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C.C  作者: gray-zone
3/3

 ―――仕方がなかっタ。俺たちじゃ間に合わなかっタ。気にしてたらもっと大事なもんが消えんゼ?




「ねぇチェーンメール届いた?」


「届いた届いた! 鬼がなんたらかんたらってやつでしょ?」


「化粧止めろとか何様って感じ」


「俺も届いた届いた! ってか高校に入ってまでチェーンメールとか何か無性に懐かしくなったな」


「そうだよな。こんなもの良くて中学生までだよな」


「まあどうせ誰かの悪戯だろ?」


「あ、先生来た。HR始まる始まる」


「やべっ」


「…………」


「先生?」


「どうしたんですか」


「気分でも悪ぃの?」


「みんなに言わなければならないことが、あります」


「え、なに」


「転校生とか?」


「マジで!? 可愛い子だったらいいな!」


「最っ低」


「ちょ、男ならそんなもんだって」


「……真面目にね?」


「先生、本当にどうしたの?」


「……古藤君が、亡くなりました」





 今日の授業は全て中止らしい。明日は全校集会の後に通常の授業が始まるようで今日は全校生徒が完全下校となった。


「何でだろ」


「水美……」


 心が何処かへと行ってしまったかのように木崎水美は抑揚無く呟いた。それは誰かに語りかけたものではないただの独白。それを傍で聞いてあげるだけでも明輝の心は軋んだ。


「昨日一緒にご飯食べたのにね」


「そう、だね」


「昨日一緒に喋って、一緒に笑ったのにね」


「うん……」


 下校途中、朝の通勤時間を過ぎた平日の駅のホームは明輝たちの学校の生徒がまばらにいるだけだった。


「なんで、理貴っちなんだろね」


 帰りの電車を待っている間、水美の独白は止まらない。


「おかしいよ」


 零れ続ける。


「私、何も言ってないのに」


 言葉をせき止めるダムなどありもしない。


「水美……泣いてもいいんだよ」


 それでも彼女の視界が歪まなかったのは我慢をしているからなのだろう。


「ううん、大丈夫だから」


 それでも彼女が明輝の目をしっかりと見て微かに笑ったのことに、ある種の恐怖を感じさせるには充分だった。

 明輝は幼馴染の家に帰宅した。水美のことが不安だったが本人が大丈夫と言うのだから信じるしかない。重い足取りでリビングまで歩きソファに倒れ込むように体重を預けた。うつ伏せで少し苦しいが寝返りをうつ気すら起こらない。


「本当に……何でなんだろう」


 昨日まで確かに一緒にいて、これからも一緒に勉強して高校生活を過ごすはずだった友人の一人はもういない。あまりに唐突すぎて実感などあるはずもない。

 しばらくすると玄関が開く音がした。瑰が帰ってきたのだろう。


「おかえり……瑰?」


 いつもとは違い、明輝は水美を気づかうために瑰とは別の電車で帰って来たのだ。さらには昨日のこともあり少し話しかけづらかったのである意味都合が良かった。

 玄関が開く音がしても瑰が床を歩く音はしない。十秒ほどが経過してもリビングには来ないし階段を上がった音も聞こえなかった。気になってソファから身を起こしてみるとやはりリビングには来ていない。玄関の方を覗いて見れば。


「ちょっと瑰! 大丈夫!?」


 肩で息をして壁に体重を預けている幼馴染がいた。

 急いで駆けよるも瑰が腕をこちらへ真っ直ぐと伸ばしてきた。それが“近寄るな”という拒絶の意を示すのだと自然と分かってしまった。しかしそれでも深呼吸をして息を整えた彼は明輝の目を見て言った。


「良かった、先に帰ってたんだ」


「そんなことよりどうしたの! いくら体が弱いあんたでもそこまで……」


「おかしい僕に構う必要なんてないよ。大丈夫」


 昨日の寝る前に交わした会話が脳内でリピートされる。何か取り返しがつかなくなるような気がして、必死に弁明の言葉を絞りだそうとした。


「昨日言った事を根に持ってるの?」


「根に、持ってるのかな。よく分かんないや」


 でもさ、と瑰は言葉を続ける。


「おかしい人を好きになるはずがないもんね。それならそうともっと早くに言ってくれれば良かったのに。それならもっと……」


 告げられた言葉の意味をとっさに理解したくなかった。

 ―――違う。そんなつもりで言ったんじゃない。


「こんな狂っている僕に構う必要もなく明輝ももっと楽しく過ごせてはずなのに」


 ―――止めて。そんなことを言いたかったんじゃない。そんなことを聞きたくない。

 

「長い間、迷惑をかけてごめんね明輝」


 大切だったはずの何かが、派手な音をたてて壊れた。




 ―――ああ、真昼間から美味そうな匂いがするナァ。新鮮な鉄の匂いダ。



 一言謝罪した瑰はまた家を出て行った。

 胸の中にぽっかりと穴が空いてしまった。何でこうなってしまったんだろうと何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度でも繰り返す。

 不幸事があったばかりなのに続けてこの仕打ちとはどういうことなのか。

 虚無感を抱えたまま明輝は階段を上がって自室に入る。

 昨晩のあの一言が駄目だったのだろう。今思えば瑰に対してあんな風に言ったのは初めてだし今までも冗談のうちで怒っていたようなものだったから、瑰も慣れていなくて戸惑ってしまったのだろう。付き合いは長くても知らないことが多いのかもしれない。


「瑰に誤解されたまま……なのは嫌だな」


 瑰の告白をうやむやにしてもう数年が経つ。何気なくずっと今までと変わらず接してきて数年が経つ。返事に迷ったわけではなく言うタイミングを逃してずるずると引きずったままだったのだ。ただそれだけの勘違いでこんなことなんて有り得ない。  

 学校は例の件で朝のうちに終わっているのでまだ昼にすらなっていない。遅くても夜には帰ってくるであろう幼馴染にどうやって顔を合わせて謝ろうかと考えているだけで時間は瞬く間に過ぎてゆく。

 その日、瑰が家に帰ってくることはなかった。





 朝起きれば、ケータイがイルミネーションを点滅させてメール着信を主張していた。液晶画面のバックライトの明るさに目が慣れず瞬かせながらメールを確認する。内容は親の出張が長引くというものだった。終わるのがいつになるか分からないから瑰に必ず伝えておく、ということが書かれていた。その現状は家の主となっている少年も今は家にはいないのだが。


「瑰……なんで……」


 朝起きても彼の部屋はもぬけの殻。こんなこと今までなかったはずなのに、やはり自分のせいなのだろうかと不安で仕方がない。

 学校へ行く準備をいつもより効率悪く済ませて、いつもより五分遅く家を出た。合い鍵を保管している場所は知っているのでそこから拝借して今日一日は預かることになるがこれもまた仕方ない。もしかしたら学校には既に瑰がいるのかもしれないと淡い期待を抱きつつ、いつもの通学路を少し足早に駆けた。


「今日って確か学校全体の集会だよね?」


「うん……古藤君の……」


 明輝が教室に入れば、クラスメイトが話しをしていた。クラスの雰囲気は重苦しいものであり一昨日まで友人が座っていた席には一輪の花が置かれていた。

 それを見て無意識のうちに幼馴染の席へと視線を移す。何も置かれてはおらず誰も座っていなかった。


「ねぇ、瑰はまだ来てないの?」


「やだなー。瑰君のことを誰よりも知ってるのは明輝なんだから私たちが知ってるはずがないでしょー」


「そう、ありがと」


「え、あれ、明輝どうしたの? 何かあった?」


 明輝の友人は疑問を持った。いつもの彼女ならここでヘッドロックするなり手刀を振るなり鉄拳制裁を下すのに今日は放心状態と言ってもいい程に上の空みたいだ。


「なんでもないよ大丈夫だから」


「それならいいけど……」


 そうしてHRまで時間は少しあるが教室に教師が入ってきた。


「澄村さん、あなたの幼馴染君は知らない? 欠席するとだけ電話があって……何か急いでいるようだったけど」


「いえ、知りませんが……」


「あと木崎さんも休みらしいのよ、やっぱり知らないわよねぇ?」


「ええ、知りません」


 残念そうな顔をして担任の教師は出席簿に目を落とした。もう用はないということなのだろう。

 とても同じ教室にいる女子から聞こえてくる話しとは思えないほどに、耳が遠い。


「ねぇ、古藤君からね、どうしても左腕が見つからないんだって」


「え、どういうこと……?」


「よく分からないけど、どれだけ探してもその……今の古藤君からは左腕が見つからないってこと。まるで誰かが食べたみたいだって」


「なにそれ気持ち悪い……」


「それってあのチェーンメールなんじゃ……」


 傍から聴いていた他の女子生徒がその会話に加わる。


「何言ってんの考えすぎだよ。あんないたずらでこんな事が起こるはずがないの」


 まるで言い聞かせるかのように早口でクラスメイトは言う。


「ほらほら、全校集会始まるから早く体育館に移動しましょ」


 その話をこれ以上聞きたくなかった明輝はそのグループに割って入って会話を中断させた。別に咎められることも無かった。彼女たちもまた早く終わりを望んでいたのかもしれない。

 体育館で行われた集会では校長からの上辺だけの事態の説明がされた後、全校生徒による黙祷が行われた。そしてこれからは通常通りの授業が始まる。

 しかし学校側はそのつもりでも生徒はそうではなかった。特に明輝たちのクラスが顕著だっただろう。あからさまに置かれた一輪の花には自然と目が行き、嫌でも現実を見なければならない。いつもいたはずの友人はもういないという齟齬に慣れないのかクラスの誰もが授業など耳にすら届いていない。

 誰に聞かれるでもない古典の教師の声はただ空気を振動させる波として教室に響く。

 澄村明輝も例外なくその一人だった。ただ何をするでもなくただ視界に黒板をおさめているだけの時間だ。この上ない単純な時間故に、今日の授業という授業が途方もない長さに感じる。

 ふと視線を落とした明輝はポケットの中にある携帯電話が点滅していることに気づいた。いつものメール着信。教師に見つからないように携帯電話を取り出してメールを確認する。


『食人鬼がやってきた。次は何人目?三人目。次は誰。次はあなた。お風呂に入った?ご飯食べた?お化粧したら駄目だよ。お化粧は不味いから。でも汚いのは嫌だからお風呂は入っていてね』


 登録されていない、ただ数字と英字が並んだだけの知らないメールアドレスから送られてきたのは一昨日のチェーンメールだった。




 ―――ちッ、せっかくの獲物に逃げられちまったじゃねぇカ、このクズ。


 


 放課後。

 二通目の例のチェーンメールにクラス一同が騒然となっている。


「なんだよこのチェーンメール……一昨日もだぞ」


「でも少し違うよ、次は三人目って書いてあるもん」


「一人、食べられたの?」


 その一言でクラス全員が今は亡きクラスメイトの机を、そこに置かれている儚げな一輪の花に釘づけになる。


「なにそれ、馬鹿みたい」


「でも理貴君の左腕、誰かに食べられてしまったみたいに見つからないんでしょ?」


「おまけに内蔵も空っぽって噂聞いたぞ俺……」


「何よ何よこんなチェーンメール本気にしちゃって! こんなの小学生、中学生のお遊びでしょ!」


「でも……次はあなたって……」


「黙ってよ!」


 狂ったように怒鳴る女子生徒に教室が静まりかえる。


「あんたら神経質すぎでしょ? 笑えてくるっての本当に。あーあ馬鹿らしい馬鹿らしい。んじゃ私は先に帰る」


 その女子生徒を始めとして、クラスメイトたちがまばらに教室から去っていく。それらを教室の隅から見ていた明輝はしかし、全く眼中になかった。

 ―――もし三人目が瑰や水美なら……。

 それ以上思考することを理性が許さなかった。どこか体が自分のものではないような不思議な浮遊感がある。それも構わずに一段落がついた教室からふらふらと出て、寄り道することなく帰路についた。

 明輝は幼馴染の家の玄関前に立つ。鞄から合鍵を取りだしてドアを解錠したはずなのに、しかしドアは閉まったままだった。これが意味することは“元から鍵が開いていて、今開けたつもりが実は閉めていた”ということ。

 

「え、嘘……」


 言い知れない不安が、形容の出来ない不安が心を揺さぶる。

 ―――次は誰。次はあなた。

 ガチャン。そして内側からドアの鍵が外され、ドアが開く。


「あ、明輝か。おかえりなさい」


 出迎えたのは幼馴染だった。





 生まれて初めて感謝された時は、幼いころ両親と一緒に飲食店に入って食事を取り、その店を後にする時だった。店員から言われた「ありがとうございました」という決まり文句が私が初めて感謝されたことだった。

 以来、何かを食べれば感謝されるのだと子供心ながらに理解した。




「あ、明輝か。おかえりなさい」


 出迎えたのは笑顔の幼馴染だった。

 

「えっ、あ……ただいま」


 昨日一日どこをほっつき歩いていたのか。何事も無かったのか。どうやったらそこまで服がボロボロになるのかと問い詰めたいことは山ほどあった。しかし肝心な時になって言葉が喉に引っかかって出ない。

 何故か溢れてくる涙を感づかれないように俯いて家の中へ入ろうとして、瑰がいきなり抱き締めるように引き寄せて何かから逃げるようにドアを急いで閉めた。


「何? 瑰、なにかあったの?」


「ん、いや、ちょっとね」


 瑰が昨日から着ているであろう制服はボロボロになってしまっている。まるで山道を真っ逆さまに転げ落ちたように無事な箇所がないと言っていいほどだった。服はボロボロでもう着ることができないほどに損傷しているのに擦り傷一つ見当たらないのが酷く奇妙だった。

 そこまで見ていると不意にインターホンが鳴った。ピンポーン、と場違いまでに軽い呼び出し音が耳に残る。


「明輝、いる?」


「水……美?」


 閉められたドアの向こう側から呼びかけてきたのは、瑰と同様に今日欠席したはずの友人の声だった。


「ねぇ、いるのー?」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

 まるで狂気の沙汰ではないかと思うほどに友人はドアをノック――と言うよりは殴り続けている。


「明輝、絶対に返事をしちゃ駄目だ……」


「何で? 水美だよ?」


「絶対に声を出さないで」


 いつもの彼からは感じられない圧力。それが有無を言わさずに明輝を黙らせた。

 瑰の腕に力が入り、明輝は彼の胸に顔が押しつけられる。トットッと早くリズムを刻む鼓動が間近にある。


「ねぇ、いるんでしょ? ねぇってばー」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

 鍵は、開いたままだ。


「私、さっき明輝が家の方に向かって歩いてるの見たからさ、知ってるんだよ。でもまさか瑰君の家の方に入るとは思わなかったよ。でさ、ナニをしてるノ?」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

 狂ったようにドアを殴り続ける友人を想像して、耐えれるわけがなかった。


「べ、別に変な意味があるわけじゃない! 私の親が出張で、私一人で家にいるなんて危ないから瑰の家にいるだけだから」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

 そっと優しく、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に瑰の腕を解いてドアノブに手をかける。


「明輝っ!?」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

 驚きの声とは裏腹に、瑰は明輝を制止しようとはしなかった。


「私、ドア開けるね」


 ドアノブに手をかけてドアを開けば、予想通りに木崎水美がそこにいた。ドアを開けた瞬間に水美の口角が吊りあがったのを明輝は確かに見た。そして明輝の後ろに瑰がいると理解した途端にその口角が引きつったことも分かった。


「あれ、瑰君もいたの? 足、早いね」


 今までノックをしていたであろう水美の右手は真っ赤に染まっている。皮は捲れ肉が損傷し、血濡れた拳骨の合間から骨らしきものが見える。

 明輝は水美の顔を一目見て異彩を放っているその右手を見てしまった。もう使い物にならないであろうその右手に皮などなくそこだけが人そのもの、異質となっている。

 明輝の視界が明滅し、胃液が出口を求めて腹の中で暴れ狂う。それを必死に堪えれば堪える程に辛く苦しくしかし外に放つことは理性が許さなかった。


「少し喉渇いたからさ、上がらせてもらってもいいよね? 瑰君が明輝に変なことをしないか監視するためにも」


「え、あ…………う、ん」


 やっとのことで返した言葉も言葉として成り立っているのか怪しい。

 明輝が覚束ない足取りで振り返り、水美を家の中に招き入れると唇を噛みしめている瑰が視界の隅に居た。

 リビングにあるソファに腰掛ける幼馴染と友人。冷蔵庫にロクなものが無くお茶を沸かすのも忘れていたので、仕方なく数秒で淹れることのできるインスタントの珈琲を出すことにした。

 淹れ終わると自分の分も合わせて計三つをテーブルに置いた。明輝の隣に水美が座り、その向かいに瑰が座っている。

 水美の傷が剥きだしの痛々しい右手は、瑰が一応の応急処置として包帯を巻いておいた。


「今日さ、理貴っちに黙祷みたいなこと、全校生徒でやったんだよね?」


「……うん、そうだよ」


「私も出れば良かったかも。後悔してる場合じゃなかった、かな」


 そう言って自嘲気味に笑う水美はまだ熱いコーヒーを口にした。砂糖もミルクも渡しているのにどちらも使わずブラックで飲んでいる。


「さて、ここで問題です」


 場の雰囲気を和ませるように水美は明るく言う。


「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、キスのように甘い味がするものって何?」


「人、かな」


 即答したのは他でもない、向かいに座っている瑰だった。


「ブッブー、残念。答えは珈琲だよ。フランスの元外相のタラーレンが美味しい珈琲を飲んだ時に評価したセリフなんだよ? 瑰君ってば面白いね。まるで“人を食べたことがあるみたい”じゃん」


「僕なりのジョークだったんだけどな……」


 二人は明輝そっちのけでひとくさり笑うと、水美がまだ熱いままの珈琲を一気に飲み干した。


「ありがとう。美味しかったよ。じゃあね明輝」


 勢いよく水美は立ち上がるとスタスタと玄関まで何の迷いも無いかのように素早く歩く。明輝と瑰が慌てて後ろから追って玄関に出た時には水美は靴を履き、扉を開けていた。


「ちょっと水美! 何でそんなに急いでるの?」


「お腹が減ったから、かな。誰かさんに邪魔されちゃってロクなご飯を食べてないんだよ」


 ―――ほラ、間違いねぇじゃねぇカ。さっさとやらねぇと死ぬゾ?


「うん、分かってるさ」


 向かいで一人ごちる幼馴染。

 明輝自分の知らないところで何が起こっているのか見当もつかないからこそ、知っているようで何も知らなかった彼のことを知りたいと思った。


「ねぇ瑰、一体何が起こってるの? 水美の様子もあんなの普通じゃない」


 ―――どうすんダ? 正義のヒーローごっこは終わりだゼ?


「……今、から」

 

 やっとのことで声を絞り出したからなのか、瑰の言葉は詰まり気味で本人も苦しそうだった。


「僕は本当のことを明輝に話す。でもそれを信じるか信じないかは明輝に任せるからさ」


 そう言って瑰はぽつぽつと話し始めた。




「いただきます」


 それが食事に対する一番簡単かつ至高である儀式であると知ったのは、食べると感謝されることを理解してからあまり時間を置いてはいないと記憶している。

 この言葉は至極簡単な儀式である。自分が生きていくために他者の命を喰らう事を肯定して食事となるものに対して敬意を表する言葉である。食事を取れば礼を言われるのだからその礼を言われるために必要ならば必然、自分も踏襲しなければならない。


「……食人文化カニバリズム


 これを知ったのは敬意を表さなければならないと理解したときから大して時間は経過していないはずだ。ひたすらに美味しいものを求めて本を読み漁っていればいつの間にか奇妙な本に没頭していた。内容は口から零れた通り食人文化についての本だった。歴史書か哲学書、はたまた珍妙な人物が書き残したものだったのだろう。何はともあれそれにハマり込んでしまったのは確かなのだから。

 その誰がしるしたかも分からない本には、その文化は愛する親族や人物を己の中へと取り込むことによって死ぬこと無く永遠に自分とともに生き続けるのだと書いてあった。


「…………」


 それからは辛かった。食人嗜好を持つ自分が人間社会の中では決定的なイレギュラーだと理解できるほどには理性があったから。いっそのこと狂ってしまえば良かったのかもしれないがそれももう無理だ。けだもののように無様に生きたくない。

 ただその一心で本能を押し殺し続けた結果。

 ―――マッタク、ソロソロ、ゲンカイ、ナンダガ。


「あ、あれ……」


 初恋の相手は肉塊に変わって、自分の口の中にいた。



 


「僕たちが住んでいるこの世界には、鬼がいるんだ」


「鬼……?」


「そう、昔話に出てくる赤鬼や青鬼みたいなのを想像してくれたらそれでいいよ」


 ソファに腰掛けている明輝は、冷蔵庫を開いてトマトジュースを二つのコップに注いでいる瑰を見ながら彼の話しに耳を傾ける。


「説明が難しいから結論から言うけどその鬼は作り話なんかじゃなくて本当にいたんだよ。そして今僕たちが何気なく過ごしているこの時間に、鬼も生きているんだ」


「え、ちょっと……瑰、何を言ってるの?」


「信じるか信じないかは明輝に任せるって僕は言ったよ?」


「ご、ごめん……続けて」


 瑰はコップの片方を明輝に渡すと、彼女が座っている真向かいのソファに腰を下ろす。

 トマトは嫌いだということを瑰は忘れているのだろうか。


「鬼って言うのはとても我侭わがままで遊びが大好きなんだ。そして僕たち人間の事も好きだ」


 ―――そうだナ。


「でも大人は嫌いなんだよ。人間に染まってしまっているから。だから鬼は特に子供を好んで遊びに誘う」


 ―――あア、大人を見ていると吐き気が止まなイ。


「ここからが重要なんだけど」


「え……何を」


 そう言って瑰はコップになみなみと満たされているトマトジュースを一気に飲み干した。いきなりそんなことをされては驚くなという方が無茶である。


「鬼は子供を遊びに誘って勝負を申し込むんだ。そしてこう言う。“あなたが勝ったら何でも願いを叶えてあげるから、負けたらあなたを頂戴”ってね」


「勝ったら願いを叶えてくれるのは分かるけど、負けたらどうなるの?」


 明輝は恐る恐るコップに口をつけて舌をコップに付けてトマトジュースを舐める程度に飲んだ。意外と悪くは無い。ジュースということで味を強引に変えているから明輝の嫌いなあの独特な臭いが薄らいでいるのだ。


「体を乗っ取られるって言えば分かる?」


「えっと……それってつまり……」


「例えば僕という人格が消えてこの体は鬼のものになる、とかじゃ分かりにくい?」


「……それって瑰がいなくなるってこと?」


「そうそう、体は死んでいないけど心が死んだという感じ。つまり鬼が言いたいのは“ゲームに勝ったら何でも願いを叶えてあげるけど、人間の体を頂戴ね”っていうことだね」


 明輝のなんとも形容のし難い視線が瑰を射抜く。懐疑困惑不安侮蔑。どれに当てはまるのかも分からずその他の感情なのかもしれない。

 ―――どんな感情を向けられろうガ、お前も人間じゃねぇヨ。


「うるさい」


「え……」


 瑰の暴言は唐突だった。

 それが誰に向けられたものなのか明輝には理解できなかった。

 ―――ほラ、大切な人も困ってるゼ。


「だから、お前は黙っててくれ」


「ちょっと瑰、しっかりしなさいよ! 誰に向かって……」


 不意に、瑰がまるで操り人形の糸が切れたかのようにソファに倒れ込んだ。呆気に取られたが数秒後にまた瑰がのそりと気だるそうに起き上がった。


「そうだナ……瑰はオレに向かって黙れって言ってタ」


 いつもの瑰なら絶対にしないであろう、前髪を手櫛でかき上げる所作。

 いつもの瑰なら絶対にしないであろう、不細工で大きな欠伸。

 いつもの瑰なら絶対にしないであろう、指の骨をパキパキと鳴らす所作。

 いつもの瑰とは違うような変な口調。

 それらだけで分かった。

 ―――ゲームに勝ったら何でも願いを叶えてあげるけど、人間の体を頂戴ねっていうことだね。

 つい数分前に瑰が言っていたその言葉が脳内で強烈に響いた。


「誰?」


 自分でも気づかない内に目の前の幼馴染にそう言っていた。


「オレカ? オレはシュヴァリエ。さっきお前が瑰から説明をされた鬼ってやつダ」





 力の強い鬼というのものは力の弱い鬼を率いることができる。

 それを知ったのはいつのころだっただろうか。ただ自覚もなくそれが“当然”だと思っていた。

 それを行使したのは初めてだったが上手くいった。そのお陰で好きな人と永遠に一緒となることができた。

 まさかこんな身近に自分と同じ存在がいるなんて完全に予想外だったが、これはこれで面白いことになった。最高のゲームじゃないか。

 ―――ハラモミタセテ、アソベルナンテ、ヨウイガイイナ。


「でしょでしょ? いや、私も実際驚いてるけど」


 邪魔が入ったせいで左腕しか持ってこれなかったが仕方ない。ゆっくりと味わって骨も残さず食べた。口周りが汚れてしまったがこれも仕方ないのだ。

 久しぶりに食べた“大切な人”はやはり予想通り美味しくて、これからも一緒にいてくれるということを思い返すと気持ちが舞いあがるようだった。

 

「あとは……そうだなぁ、好きな人ってライクかラブかで別れるよね」


 女子高生一人しかいない暗室。天井からはもう役目を終えようと明滅している電球が一つ垂れ下がっている。視界が確保できて不意に闇に放り出される。そのスイッチの繰り返しだ。


「やっぱさ、ラブばかりだと私ってそこまで男好きなのかーとか思われそうだしさ、友達も私と一緒にいてほしいんだよね」


 だからさ、と女子高生は続ける。


「明輝にもずっと一緒にいてほしいかなーとか思ったりするの」


 女子高生、木崎水美は無邪気に笑って、春にクラス変えをした時に撮ったクラス写真に映っている友人すみむらあきをフォークで突き刺した。




「いいカ? さっき瑰が言っていた鬼と一緒にゲームをすればその結果が勝ち負けによって変わることはもう分かってるナ?」


 未だに信じられないことだが目の前にいる幼馴染は幼馴染であって幼馴染じゃない。

 そして、瑰が言っていたことが本当なら既に瑰は乗っ取られたということではないのか。


「あア、お前が今思っていることは分かル。鬼と遊ぶときのルールに従うなラ、瑰はもう乗っ取られたとかそんなとこだロ?」


「……」


 驚きのあまり我を忘れてただ目の前の幼馴染が背景として映っているかのように呆けてしまった。


「ハハ、顔にかいてあるから簡単ダ」


 そう言ってシュヴァリエと名乗った幼馴染の姿をした鬼は、明輝が飲みかけのまま置いておいたグラスに注がれているトマトジュースを何の躊躇いもなくらっぱ飲みで、あらかさまにごきゅごきゅと喉を鳴らしながら豪快に飲みほした。

 

「それ私の……」


「ア? そんなの関係ねぇヨ。早い者勝ちだこんなモン」


 ずっと幼いころから見ていた男の子が目の前で全て否定されていく。何よりも誰よりも彼を知っていたという自負というものが崩れていく。


「その姿で、そんなこと止めてもらえる?」


「アー? オレは瑰で瑰はオレだからオレを否定するってことハ、瑰を否定するってことになんゾ」


「あなたの名前はシ、シュヴァリエ、でしょ? 瑰じゃないって自分で言ってるようなものじゃない」


「……ハァ」


 シュヴァリエは深くため息をつくとガシガシと乱暴に自分の頭を掻いた。その素振りからも良く思われていないことなど明輝にも一目で分かる。


「いいカ、これを良く見ろよクソアマ」


 親しき仲にも礼儀あり、などどこ吹く風。

 否、この鬼とは今さっき初めて会話をした程度だった。

 シュヴァリエがポケットから財布を取り出しそこから100円玉を一枚取り出す。


「このコインは一枚だが表と裏があるだロ?」


「それがどうしたっていうの」


「だからナ、一個のものでも表と裏の二面性があるってオレは言いたいんだヨ。さっさと気づけクズ。この体という一つしかないものに瑰とオレという二面性があるってことダ」


 

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