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第84話 女の子は“可愛い”という言葉そのものなの♡

「それとね、もう一つは……距離感かな?」

「距離感?」


「うん。男の人と、女の子と。どう見られるか、どういう距離でいたいのかっていうのを、私はメイクで決めてるところがあるかな。

 男の人ってさ、ナチュラルメイクが好きってよく言うでしょ。だから本当に何もしてないみたいな顔にすると、逆に距離を詰めていいって勘違いされることがあって」

「……そうなんだ」


「だから私は、あえて“ちょっとやってます感”を残すの。アイラインを気持ち強めに引いたり、リップに意志を持たせたり。簡単には近づけないよって、線を引く感じ」


 私は苦笑いしながら、由梨の視線を受け止める。

 由梨は小さく息を吸って、納得したようにゆっくり頷いた。


 いわゆるギャル風やお姉様系と呼ばれる、輪郭のはっきりした強いメイクは、女の子の自己肯定感を高めやすい。

 それは単に派手だからとか、目立つからという話ではない。


 自分の意思で選び取った色や線が、顔の上にきちんと残るからだ。

 一方で、いわゆる「モテるメイク」は、どうしても他者評価に軸足を置くことになる。


 可愛いかどうか。男ウケするかどうか。

 きちんとして見えるかどうか。


 女の子は日常的に、そうした外部の視線に晒され続けている。

 学校でも、街でも、SNSでも、評価は常に外からやってくる。


 褒められることもあれば、何も言われないこともあるし、昨日と今日で反応が変わることだって珍しくない。

 その中で、「男にモテることで成立する評価」は、とても不安定だ。


 相手の好みひとつ、気分ひとつで簡単に揺らぐ。

 頑張って整えた顔が、ある人には刺さって、別の人には見向きもされない。


 しかもその差は、自分の努力ではどうにもならない部分が大きい。

 だから、知らないうちに不安が溜まる。


 「今日は大丈夫かな」「この顔で正解かな」

 そんな確認を、無意識のうちに繰り返すことになる。


 その点で、強いメイクは少し性質が違う。

 派手で、盛っていて、「やっている」ことが一目で分かる。

 そこにあるのは、評価される前提の顔ではなく、選択された顔だ。


 どう見られるかよりも、どう在りたいか。

 近づかれたいか、距離を保ちたいか。

 柔らかくいたいのか、強く立ちたいのか。


 そういった意思が、色や線として外に現れる。

 だから、他人の反応に振り回されにくい。


 ギャルメイクは、単に可愛く見せるための顔ではない。「私はこの顔を選んでいる」という宣言のための顔だ。

 誰にどう思われるかより先に、自分がどんな立ち位置で世界に立つのかを決める。


 だからこそ、女の子はそこに主導権を感じる。

 自分の顔を、いったん他人の評価から切り離すことができる。

 好かれるかどうかではなく、選んでいるかどうかで、自分を肯定できるようになる。


 ナチュラルメイクは、柔らかさや無害さをまといやすい。

 優しそう、話しかけやすそう──そうした印象は、確かに安心感を生む。


 一方でそれは、従順さや受動性と紙一重でもある。相手に委ねる余地が大きく、どう扱われるかの主導権を、無意識のうちに他者へ渡してしまいやすい顔でもある。


 それに対して、いわゆる強いメイクは、目元や輪郭をくっきりと際立たせ、簡単には踏み込めない距離を作る。

 鋭いアイライン、存在感のあるまつ毛、陰影をはっきり描いた骨格。そこから伝わるのは「優しさ」よりも、「意志」だ。


 これは「強く見せたい」という単純な誇示ではない。むしろ、「これ以上は近づかせない」「雑に扱わせない」という、防御のための選択に近い。


 強いメイクは、攻撃ではなく装備であり、舐められないための距離を、顔そのものに組み込む行為だと言える。

 女の子にとってそれは、自衛であり、境界線であり、心の鎧でもある。


 言葉で主張する前に、態度を取る前に、まず視覚的に「ここから先は慎重に」と伝える。

 毎日あらゆる視線や評価に晒される中で、それは確かな防衛手段になる。


 さらに、強いメイクには技術的な手応えがある。

 アイラインの角度、まつ毛の束感、シャドウのグラデーション、シェーディングの入れ方。

 どれも結果が分かりやすく、鏡を見ればすぐに答えが返ってくる。


 昨日より描けた。研究が活きた。

 今日はうまくいった。


 その積み重ねは、誰かの「可愛いね」を介さなくても成立する達成感になる。

 評価の主体が自分に戻ってくることで、自己肯定感が外部の機嫌や好みに左右されにくくなる。


 女の子同士のコミュニケーションにおいても、強いメイクは機能する。

 頑張っていることが一目で分かり、努力が隠されていないからこそ、「すごい」「上手」「どうやってるの?」と肯定が返りやすい。


 そこには競争よりも、共感や情報交換が生まれやすく、横のつながりの中で安全な立ち位置を確保しやすくなる。

 そして何より、強いメイクには「変身」の快楽がある。


 学校や職場で求められる役割の自分、日常の延長線上にいる自分から、一気に別の人格へ切り替わる感覚。

 鏡の前で顔が完成した瞬間、世界との距離感まで変わる。


「でも、きつくなりすぎるのも嫌でさ」

「嫌?」


「由梨みたいな、ちょっと大人しめの子がさ。安心して話しかけられない顔になるのは、もっと嫌なんだよね」

「…………」


「だから、そのバランスをどう取ろうかって、いつも悩んでる」


 そう言って、私は一度、視線を落とす。

 鏡の中の自分を確かめるように、ほんの少しだけ目を細める。

 由梨が小さく首を傾げる。その反応を見て、私は少しだけ笑った。


 そうやって可愛い系のメイクや強い系のメイクを一つずつ覚えていくたびに、なんとなく自分の輪郭が見えてくる。


 これは似合う。

 これはやりすぎると落ち着かない。

 これは好きだけど、毎日は要らない。


 可愛い系のメイクのどこを取り入れて、どこを引くのか。

 ギャル系やお姉様系の要素を、どこまで足して、どこで止めるのか。

 そうやって足し算と引き算を繰り返すうちに、メイクは「型」ではなく「調整」になっていく。


 誰かの顔を完成形として真似るのではなく、

 自分の輪郭や性格、立ち位置に合わせて、要素を削り、組み替えていく。


 その過程で生まれるのは、技術だけじゃない。

 自分をどう見せたいか、どこまで他人を迎え入れたいかという、感覚そのものだ。


 そして、ある時ふと気づく。

 もう「可愛いメイク」とか「強いメイク」とか、そういう名前が、自分の中でしっくりこなくなっていることに。


 誰かの真似をしている感じは、いつの間にか薄れている。

 流行を追っているという意識も、前ほど強くない。

 代わりに残るのは、「今日はこれがちょうどいい」という感触だけ。


 鏡の中にいるのは、誰かに寄せた自分でも、流行に合わせた自分でもない。

 ただ、その日の気分と感覚に従っただけの、“今の自分”。


 今日は少しだけ強く魅せたい。

 今日はもっと可愛くて、少し甘えた私を魅せたい。

 あるいは、理由なんて特にないけれど、今日はただ私らしく外に出たい。


 そう思った瞬間に、もう答えは出ている。

 鏡の前で長く悩むことも、正解を探すこともない。その日の気分、心の温度、人との距離感。

 それらを言葉に整理するよりも先に、メイクが静かに語り始める。


 今日は線を少しだけはっきりさせたい。

 今日は色を柔らかく残したい。

 そんな小さな選択の積み重ねで、手は自然に動いていく。


 もう「どう見られるか」を中心に考えてはいない。評価されるか、好かれるか、正解かどうか。

 そういった外側の基準よりも、「どう在りたいか」を優先する感覚が、体に染みついている。


 誰かに褒められなくてもいい。

 振り向かれなくても、モテなくても構わない。

 それでも、この顔で外に出たいと思えるなら、それで十分だ。


 無理に可愛くしなくていい。

 無理に強く見せる必要もなければ、無理に媚びる理由もない。


 可愛さが残ったままの強さも、鋭さの中にある甘さも、中途半端なまま、混ざり合った状態で肯定できるようになる。


 可愛さと強さ。甘さと鋭さ。守りと攻め。

 どれか一つに決めなくていいと知ったとき、その人の存在そのものが、もう一つの「スタイル」になる。


 誰かのためのメイクじゃない。

 評価を集めるためのメイクでもない。

 これは、私が私であるための輪郭を、毎朝そっとなぞり直す行為そのものだ。


 だからもう、正解は外にはない。

 雑誌でも、SNSでも、誰かの視線の先でもない。流行や評価は参考にはなるけれど、決定権はもう持たない。


 誰かの目線で決まるものでもないし、

 誰かの一言で簡単に揺らぐものでもない。

 あるのは、鏡の前に立ったときの、ほんの小さな納得だけ。

 その感覚さえあれば、それ以上はいらない。


「由梨の場合は、そんなに難しく考えなくて良いから。由梨が元々持ってる魅力を活かしつつ、どう寄せるか、って話になるのかな。……ちょっとやってみる?」

「うん、よろしくお願いします」


 私はそこで一度言葉を切って、由梨の方を覗き込んだ。今度は鏡越しじゃなくて、ちゃんと本人を見て。


 由梨は一瞬だけ視線を彷徨わせてから、背筋を小さく正す。唇をきゅっと結んで、少しだけ肩に力が入っているのが分かる。


 緊張しているのは明らかだったけれど、それでも逃げなかった。

 ほんの一拍遅れて、はっきりと頷く。


 その仕草を見た瞬間、胸の奥でトクン、と音がした♡

 鼓動が一段だけ強くなって、息を吸うのが少しだけ遅れる♡♡

 心臓のあたりが、ぎゅっと掴まれたみたいに苦しくなるのに、不思議と嫌じゃない♡


 喉の奥が熱くなって、言葉が一瞬、詰まりそうになる。なのに、気づけば口元が緩んでいた♡

 抑えようとしても、どうしても浮かんでしまう、小さな笑み♡♡


 これからメイクを教える、という流れ自体は、最初から分かっていたことだ。

 段取りも、目的も、頭では全部理解していた。


 それなのに、ただ素直に受け入れてくれる。

 その一言が、想像以上に胸に刺さる。


 由梨が、自分から一歩踏み出してくれたこと。

 私に委ねる、と選んでくれたこと。

 それを、こんなに素直な言葉で差し出されて、こんなに幸せな気分になるだなんて、思ってもみなかった。


 胸の奥がじんわりと熱を持って、指先までその温度が広がっていく♡

 肩の内側が少しだけ強張って、背筋が自然と伸びる♡♡

 責任感と喜びが、同時に押し寄せてきて、逃げ場がなくなる♡


 可愛い……嬉しい……由梨のことが愛しすぎて……♡

 どうしてそんなに可愛いの……こんなにも、私を狂わせるんだよ……♡

 可愛い声……可愛い顔……もっと可愛くて……もっと綺麗になろうね……♡


 もちろん、完全に揺らぎが消えるわけじゃない。

 今日の私はこれで良いのかな、もっと可愛く、もっと綺麗に、もっと清楚に出来たんじゃないか。


 そんな揺らぎは、たぶん一生なくならない。

 上手くになっても、慣れても、経験を重ねても、

 「これで完璧」と思える日はそう簡単には来ない。

 むしろ分かることが増えるほど、選択肢が増えて、迷いも一緒に増えていく。


 それでも、だからこそ。

 その揺らぎを消そうとするんじゃなくて、抱えたまま今日のベストを尽くす。

 今の自分が持っている技術と感覚で、今の気分と心の温度に、いちばん近い形を探す。


 どうせ、帰ってきたらメイクは落とされてしまう。洗面台の前で、水と一緒に全部流れていく。

 どんなに丁寧に仕上げても、どんなに気に入っていても、それは一日の終わりには、跡形もなく消える。


 だからこそ、分かっている。

 これはどこまでも儚いものだって。

 永遠に残るものでも、固定されるものでもない。


 それでも、ただ今、会いに行くその人のために。そして何より、今日の私自身のために。

 「この顔で行く」と、静かに覚悟を決める。

 それは、今日の自分と折り合いをつけるための、小さな誓い。


 「私は今日、こう在りたい」

 メイクは、その意思を言葉にしないまま形にする手段だ。


 強くてもいいし、清楚でもいい。

 可愛いに寄っても、大人っぽく振ってもいい。

 どれか一つを選ばなきゃいけない理由なんて、本当はどこにもない。


 正解がないことを、ちゃんと知った上で。

 それでも毎朝、手を動かして、鏡の前に立つ。

 迷いながら、少し悩みながら、

 「今日はこれかな」と、ほんのわずかに頷けたなら──

 それはもう、十分に正しい。


 綺麗も、可愛いも、清楚も、強さも。

 全部が対立しているようで、実はどれも同じ場所から生まれている。


 自分を大切にしたいという気持ち。

 ちゃんと在りたいという願い。


 誰かの視線に怯えるだけじゃなく、それでも外に出て、世界と向き合おうとする意思。

 全ては曖昧で、輪郭はぼやけていて、はっきりした答えなんて、どこにも書いていない。


 それでも女の子たちは、今日も手を伸ばす。

 昨日より少しだけ、納得できる自分に近づこうとして。


 だから、それは一生「掴めた」と言えるものにはならない。

 完成することも、固定されることもない。

 でも不思議と、失われることもない。


 可愛いは、遠くにある目標じゃない。

 誰かに与えられる称号でもない。

 それはずっと、私たちの手の中にある。

 迷いながらでも、悩みながらでも、

 選び続ける限り、そこにあり続けるもの。


 だって──

 可愛いは、全ての女の子たちの憧れで。

 可愛いは、全ての女の子たちの象徴で。


 そしてきっと、

 女の子は最初からずっと、

 “可愛い”という言葉そのものなのだから。

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