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第67話 不完全な女の子は尊いの♡

「そうなの? 由梨ちゃん?」

「うん……咄嗟だったから、ちゃんとは覚えてないけど……」


 私が声を落として問いかけると、由梨ちゃんは肩をすくめるみたいに小さく頷いた。


 恵美と由梨ちゃんから莉里との一連の話を聞いたとき、私の予想と大きくはズレていなかった。

 ただ、矛先が最初から私に向けられていたという点が確定したのは大きい。


 由梨ちゃんは、ただ巻き添えになっただけ。

 分かってはいたつもりだったのに、その事実を突きつけられると胸が痛む。


 巻き込まれた由梨ちゃんの不安も、恐さも、きっと私の比じゃない。

 でも、その子がいま、こうして恥ずかしそうに笑うくらいには、自分を守り切った。


 誇らしいと思ってしまうのは、きっと私の勝手な感情なんだろうけれど。


 本音を言えば──いまからでも莉里のところに行って話をつけたい。

 曖昧さも、不安の芽も、全部まとめて潰して起きたい。


 そんな衝動が胸の奥まで込み上げてくる。でも、それはさっき、恵美に釘を刺されてしまった。


「今あんたら二人が関わると、碌なことならないから。マジで勘弁して」


 あの恵美が、あそこまで強い調子で言うのなら、とりあえずは飲むべきなんだろう。

 私自身も分かっている。感情だけで動くと、ろくでもない結果になることを。


 ……とはいえ、我慢には限界がある。


 もしそれでも事態が動いたら、いざとなれば私が正面から莉里と話せばいい。

 由梨ちゃんを巻き込んで揺さぶるつもりなら、その場で真っ向からやり合えば済む話。


 胸の奥に沈んでいた静かな憤りが、ゆっくりと形を帯びていく。

 それでも表情には出さない。

 由梨ちゃんの前では、穏やかな私でいたい。


 向こうも恵美に釘を刺された以上、しばらくは大きく動けないはず。

 直接ぶつかるのが難しいとなれば、必然的に“周りを使った長期戦”へと移行していく。


 そうなると、こちらと向こう、それぞれが互いのクラスに散らばる生徒たちを少しずつ懐柔していく、静かな陣取り合戦になる。

 自分の基盤を固めるために身内の結束を強めたり──

 逆に、私や由梨ちゃんに関する“変な噂”を流したり──

 あるいは弱味を握っている子を駒として動かしたり。


 もっとも、その盤面勝負なら私は負けるつもりはない。

 いまの莉里の立ち位置を考えると、彼女自身が表に出て動かない限り、周囲の子たちも簡単には動かないはず。

 牽引力はまだあるけど、“圧倒的な支配力”はもうない。雰囲気だけで場を動かせるわけではない。


 ……とはいえ、油断はできない。


 莉里が“直接動いた時”の影響力は、いまだ健在だ。

 口に出さずとも、あの子の視線ひとつで萎縮する子は少なくない。

 そして厄介なのは、今回のように“女の子を直接狙う”という手札を、莉里が平然と切ってくることだった。


 由梨ちゃんに限らず、誰を狙ってもおかしくない。

 そうなると、私一人では全方位の防御は難しい。

 この手の局地戦は、防ぎきれない場合がある。


 ただ──莉里にも「プライド」というものがある。


 今回、由梨ちゃんに反抗された。

 彼女の中でそれは、きっと“許しがたい汚点”として刻まれている。

 だから他の子に矛先を向けるような真似は、まずしない。

 「仕返しができなかった」という形になるのが、莉里にとっては最悪の屈辱だから。


 筋を通さない、わざと対象をずらす、そんな器用な子じゃない。

 格下と思った相手には、きちんと正面からねじ伏せられなければ気が済まないタイプだ。


 つまり、巻き込まれるのは、やっぱり私と由梨ちゃん。そこは変わらない。

 追い詰められれば、莉里は下手な手段に手を伸ばす可能性すらある。

 そう考えた時点で、私が狙うべきはもう明確だった。


 狙うのは、冷戦。


 互いに手を出せない均衡を、わざと作る。

 動けば自分も痛む、動かなければ相手も動けない。

 そんな曖昧で不安定な均衡が、実はいちばん長続きする。


 その間に、男に女の子を差し出させないように空気を固めて、莉里の男に“飽きさせる時間”を稼ぐ。

 男と別れた瞬間、莉里の一番の攻撃手段も目的も消える。

 その瞬間まで持たせれば、勝ちはほぼ確定する。


 でも──

 私がただ勝てばいいわけじゃない。


 長期戦には「負け方」の技術が必要だ。

 ちゃんと局所的には負けてやらなきゃいけない。

 莉里のクラスにこちらが介入すれば、その分の“痛い目”は必ず返されるから、ある程度は覚悟して受ける。


 もし莉里のクラスで、誰かがいじめられている“気配”があったら、私はわざとらしく手を出してあげる。

 その目的は、もちろんその子を守るためではあるけれど、本命は莉里が表向き叩ける口実をつくるため。


 私が動けば、莉里は当然「何してんの?」と呼び出し、釘を刺してくる。

 周りの子たちは、「沙織が余計なことをして怒られた」と理解する。


 でも、その結果どうなるか。

 莉里は“助けられた子”のことを、今までみたいに雑には扱えなくなる。

 私に釘を刺した手前、その子をまたいじめれば──

 「沙織の言っていたことが正しかった」

 そう周りに思われるリスクが出てしまう。


 だから莉里は、その子への扱いを自然と慎重に、前より優しくせざるをえない。

 そして私は、傷を負いながらも計算どおりに負ける。


 勝ち続けると人は麻痺する。

 “勝っている自分”に酔う。

 目的より手段に先に手が伸びてしまう。


 勝ちというのは、少し甘い毒みたいなもので、大局観をじわじわ鈍らせる。

 だからこそ私は、必要な場面では敗北を選ぶ。

 それも、計画された痛みとして。


 私の目的はひとつだ。

 全員の女の子が、ちゃんと学校生活を幸せに過ごせること。

 誰も泣かずに済むなんて、そんな甘い理想は抱かない。

 それでも、泣くにしても“大怪我より擦り傷”で済ませたい。


 そのために、私は勝つし、負ける。

 たとえそれが滑稽でも、卑怯でも、周りに理解されなくても。

 女の子たちが幸せでいられる未来のためなら、私はいくらでも汚れてみせる。


 私は別に莉里を貶めたいわけじゃない。

 むしろ、あの子はカーストの上にいてこそ映える。光の当たる場所を歩くために生まれたような子で、そこから外れてしまえば、たぶん彼女自身が輝きを損なわせてしまう。

 だから私は、その輝きを汚すつもりなんて、最初からない。


 それに、私の考えが絶対に正義だなんて、そんな傲慢は持ち合わせていない。

 あの子にはあの子の正しさがあって、私にも私の正しさがあって、その価値観がぶつかり合っているだけの話。

 やる以上、負ける気なんてさらさらないけれど、莉里の価値観に頷く子だって確実に存在する。


 その“微妙な対立”こそ学校のリアルだし、むしろ無い方が不自然なんだと思う。

 女の子は、みんな違う光を持っている。

 明るすぎる子もいれば、淡く揺れる子もいて、その差があるから女の子って複雑で面白い。


 だから、当面は由梨ちゃんを中心に守りを固めながら、波をやり過ごすのが正しいのだろう。

 焦って強引に押せば、余計な摩擦を生むだけだし、少しずつ周囲の温度を調整していくだけ。

 たまには恵美に頼んで、莉里のガス抜きをしてもらうのもいいかもしれない。


 けれど──目の前にいる由梨ちゃんを見ると、そんな冷静な分析がふっと揺らぐ♡

 自信と戸惑いのあいだで揺れて、でも懸命に立とうとしている。その姿が、どうしようもなく可愛い♡♡

 真面目で、努力家で、謙虚で、触れたら壊れてしまいそうな尊さをまとっている♡♡♡


 その気配が胸の奥にふっと流れ込んできて、気付けば呼吸がひとつ浅くなる♡

 胸のあたりがぎゅっと熱を帯びて、心臓が小さく跳ねる♡♡

 指先まで微かな痺れが広がるみたいで、落ち着こうと深呼吸しても、うまく呼吸が整わない♡♡

 由梨ちゃんがこちらを見上げてくれた瞬間、視線が触れたその一点だけが世界の中心みたいになってしまう♡


 好き……偉いね……♡頑張ったね、由梨ちゃん……♡

 その優しさも……勇気も……♡全部、私が抱きしめたい……♡

 由梨ちゃんに……溺れて……♡蕩けて……壊れちゃう……♡


「……そっか、頑張ったんだね」

「……そうなの、かな? あまり実感がなくて」

「そうだよ、カーストが上の子に意見するって凄く勇気がいることだから」


 私が静かに呟くと、由梨ちゃんは目を伏せて、照れながらも、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。

 その仕草がまた胸をぎゅっと掴んでくる。

 恥じらいと強さの両方が透けて見える瞬間に、人ってこんなに綺麗になるのだと、改めて思わされる。


 精神的な成長とか、心の頑張りに対する評価って、本当に難しい。

 勉強やスポーツみたいに、何が出来るようになったとか、点数が上がったとか、そういう目に見える指標があるわけじゃない。


 努力した気もするし、何もしていない気もする。

 変わったような気もするし、まったく変わっていないようにも思える。


 心って、成長の形をはっきり示してくれない。

 そのせいで、どこで頑張ったのか、どこで踏み出したのか、自分自身でも見えづらい。


 大人に近づくって、感受性が弱くなったり、何かを得るかわりに別の何かを手放したり、そういう痛みが必ずついてくる。

 価値観が固まっていく過程で、子供の頃の純粋さが少しずつ薄れていくのも避けられない。

 それでも、いつまでも子供のままではいられない。

 その喪失すら、成長の自然な影のひとつなんだと思う。


 そして──由梨ちゃんも確かに変わっている。

 行動の芯にある勇気とか、言葉を選ぶときの呼吸の間とか、目の奥に宿る小さな決意とか。

 それらぜんぶが、少し前の由梨ちゃんとは違う色をしている。


 でも、その変化を“欠如”なんて表現するのは絶対に違う。

 むしろ、削れたり、踏み出したり、揺れたりした分だけ、前よりずっとしなやかで強くなっている。


 精神的な成長みたいな言葉って、すぐ曖昧になる。でも、それでも無理やり輪郭をつけてみるなら──自分の中にいる、たくさんの“私”とちゃんと向き合えるようになること、なんじゃないかなって。


 自分の中にいるいくつもの“私”を、一つひとつ見つめ直して、対話して、噛みしめて、その全体が少し広がったと感じられた時、人はやっと自分の心の幅が広がったと気づく。

 その広がりが、ほんの少しでも生きやすさに繋がったなら、きっとそれは間違いなく成長なんだ。


 由梨ちゃんがどんな気持ちで莉里に反抗したか。

 そこまでは、さすがに読み切れない。

 けれど──その胸の奥に、いろんな感情が渦巻いていたのは間違いない。


 悲しさ。悔しさ。怖さ。

 でも、誘いに乗った方が楽かもしれないと感じる弱い自分もいるし、かといって「そんな自分になりたくない」と拒む自分もいる。


 そして、その間に挟まれて泣きそうになってる自分。行けば行ったで、ちょっとは面白いかも……なんて期待を抱いちゃう自分。

 迷って、揺れて、混ざって、ぶつかって。

 そういう矛盾した“たくさんの自分”が、全部ひっくるめて確かに由梨ちゃんの中に存在してた。


 人って、そういう多層的な自分を抱えている時にこそ、選択を迫られる。

 「今の私はこんな私でいたい」

 その小さな想いが胸の奥で形になった瞬間、行動として滲み出てしまう。

 それは理屈の問題じゃない。

 感情でも覚悟でもなくて、もっと静かで深いところから立ち上がる、本物の選択。


 しかも、その選択は別に“綺麗”である必要なんてない。

 尊い正義感とか、強くて凛とした心とか、そんなものばかりを求めなくていい。

 怠惰な自分のままでも、弱くて泣き虫な自分でも、嫉妬や羨望に振り回される自分でもいい。


 ──ただ、「こんな自分でいいんだ」と思える自分であれば、それで充分。


 そのために、譲れるところはすっと手放してしまえばいいし、譲れない部分は頑固でいい。

 むしろ、意地でも手渡さないくらいで丁度いい。

 私は私のために、どこまでも我儘になれるし、女の子のためなら、迷わず手放す。

 矛盾と思われてもいい。


 その“選び取る”という動作そのものが、たまらなく尊くて、眩しい。


 人は成長するから強くなるわけじゃない。

 強さと弱さの所在を知って、どこまでなら抱えられて、どこからは抱えきれないかを判断できるようになる。それだけ。

 でも、それだけで生きるのは随分と楽になる。


 他人の言葉に削られすぎないように、甘えを許す場所と許さない場所を仕切れるように、

 時には頑ななまま立ち止まり、時には適当に流され、そうやって自分の“形”を更新していけるなら。


 それはもう立派な精神的成長だと思う。


 私も、みんなも、ずっと完成なんてしない。

 ずっと未完成なまま、でも未完成であることに怯えなくなる瞬間があって。

 そのとき初めて、自分の心がちょっとだけ大人になったと気付くのかもしれない。


 成長しても、しなくてもいい。未完成なのが当たり前。

 未完成なまま呼吸して、未完成なまま笑う女の子たちは、それだけで奇跡みたいに尊い。


 その不完全さのきらめきが愛おしくて、私はどうしようもなく惹かれてしまう。


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