第64話 女の子はみんな可愛いの♡
「いーじゃん、堅いこと言わずにさぁ。
由梨はもう巻き込まれてる。どうせ話しは聞かなきゃだし、しなきゃでしょ?」
恵美は軽く肩をすくめながら、まるで深刻さなんて存在しないかのような調子で言う。
その声音には妙な説得力があって、逃げ道を全部ふさがれるような気がした。
「それはそうなんだけど……」
口の端まで反論がせり上がってくるのに、そこで止まる。言葉が形になる前に、胸の中の空気がしぼんでいく。
恵美の言葉は正しい。
的を射すぎていて、痛いくらいだ。
由梨ちゃんを巻き込みたくない。
由梨ちゃんのことを守りたい。
そんな気持ちが渦巻いてる。
だけど、分かってる。
それはきっと、私の自己満足で、独りよがりで、綺麗な理屈に見せかけた独善だって。
本当は由梨ちゃんを蚊帳の外に置くことのほうが、残酷なこと。
デートの帰りにもっと知りたい、って言ってくれた真っ直ぐな瞳が忘れられない。
一緒に話したほうがいい。
現状を知って貰ったほうがいい。
彼女自身の未来のためにも、それは明らかだ。
頭では完全に理解している。
理解して、認めて、諦めてしまっている。
でも──その瞬間、こちらに駆け寄ってきた由梨ちゃんの綺麗な瞳に、影が落ちる光景が頭に浮かぶ。胸がきゅっと締め付けられる。
知るということは、世界の見え方が変わる。
由梨ちゃんの真っ白な心に現実の灰色が滲む。
その変化を招くのは、私たちだ。
それを自覚しないといけないのが辛い。
……分かってる。それでも進まなきゃいけない。
選ばなきゃいけない。
それが由梨ちゃんのためになる。
いくら逃げても、現実のほうが勝手に着いてくる。だったらせめて、自分の目で見て、向き合って欲しい。
スクールカーストの中では、自己主張の強い子は、声が届きやすい。発言力がある。
だけど、そのぶん反感も集める。
孤立だってし易くなる。
優しい子は、周りから自然と「守ってあげたい」と思われやすい。
困っていれば手を差し伸べられ、悲しそうにしていれば気にかけられる。
けれどその裏側で、自分の言いたいことや本音を飲み込みがちになる。
優しさは長所だけれど、同時に自分を犠牲にしてしまう性質とも隣り合わせだ。
人付き合いが得意な子もいれば、輪に入るだけで緊張してしまう子もいる。
勉強ができる、運動が得意、友達が多い。
こうした要素は、本来はただの「個性の違い」にすぎないはずなのに、学校ではいつの間にか順位や格付けの材料のように扱われてしまう。
特に「誰かに選ばれた」という事実は、人の心を強く揺さぶる。
告白された、恋人ができた、特別扱いされた。
それだけで、その人は周りから一段違う存在として見られ始める。
もしその相手が、クラスの人気者だったり、カーストの高い人物だったりすれば、影響はさらに大きくなる。
学校という閉じた世界では、自分の価値を測る物差しが極端に限られてしまう。
「自分を磨くか」「誰かと繋がるか」
そのどちらかでしか、自信や存在意義を確認できないような空気がある。
だからこそ、みんな無意識のうちに「親友」や「恋人」といった“選ばれた証”を求めてしまう。
承認が欲しいというより、「自分はここにいていい」と確かめる手がかりが欲しいのだ。
ルッキズム──見た目の良さが価値を左右する空気がカーストを支配しやすいのも、「選ばれやすさ」が表面的に可視化されているからだ。
可愛い、かっこいい。それだけで声をかけられる回数が増え、人に好かれやすく映る。
結果として「この人は価値がある」と周囲が思い込んでしまう。
お金という概念がほとんど機能しない学校では、目に見えない“価値のやり取り”が別の形で起きる。
信用、時間、労力、そして好意。
それらは本来、数値化も売買もできない。
しかし、そのやりとりはカーストという関係性の中で確実に行われている。
その取引は非常に曖昧で、目には決して見えないけれど、カーストの本質的には“気分”の交換に近い。
「一緒にいて楽しい」「特別だと思われたい」
そんな感情が通貨になる世界だ。
だからこそ、選ばれることも、選ばれないことも、ただの感情の揺れにすぎないのに、人の心には時として残酷な影響を与えてしまう。
学校は小さな社会だけれど、そこで動いているものは人間そのものの欲求でできている。
感情が価値になり、価値が力になる世界。
その歪さが、誰かを輝かせ、誰かを傷つける。
可愛い子を見かけただけで、胸の奥がふっと軽くなることがある。
ただ視界に入ったというだけで、空気が少し明るくなったような気がして、張りつめていた心の糸がゆるむ。
美しさには、感情の温度を一段だけ上げる力が備わっている。
綺麗な子が教室に入ってくるだけで、空間の密度が変わる。
話していなくても、笑っていなくても、ただそこに立っているだけで周囲の意識が引き寄せられる。
自分の存在が薄く感じたり、息を飲むような圧を感じたりする。
その“存在感”は、言葉よりも先に心を揺らす。
怒っていたはずなのに、ふっと見つめられただけで感情の波が消えてしまうことがある。
理屈ではなく、反射。
綺麗さは、警戒心や苛立ちといったネガティブな感情にさえ、無意識的な緩みを与えてしまう。
気づけば頬が緩んで、言い争いを続ける気力すら薄れていく。
勉強で結果を出す。スポーツで活躍する。
そうやって努力の証を見せられた人は、周囲から羨望の視線を集める。
拍手も称賛も、「すごい」という感情も、その人が生み出した成果に対する評価だ。
笑わせるのが得意な人なら、周りを楽しませて、その場の雰囲気を晴れやかに変えられる。
そこには必ず“行動”や“実績”が必要になる。
けれど、美しさは違う。
存在するだけで、視線を集め、感情を揺らし、人の心に影響を与えてしまう。
特別な言動がなくても、努力を見せなくても、そこにいるというだけで周囲の空間が歪む。
羨望と嫉妬。
憧れと劣等感。
尊敬と敵意。
相反する感情がひとつの人物に集中していき、その中心に美しさは存在する。
本人の意図とは無関係に、ただ見た目だけで他者の心をかき回し、空気の重心を変えてしまう。
“存在するだけで価値を生む”という特異さは、学校という閉じた社会で強烈な意味と力を持つ。
成果を見せなくても、能力を証明しなくても、視線と関心を獲得できる。
美しさとはつまり、スクールカーストの頂点に立つための最も即効性のある資本だ。
だからこそ、カーストはルッキズムに支配されていく。見た目の良さが、そのまま影響力になり、影響力がそのまま“立場”になる。
ルックスは単なる外見ではなく、感情を動かす力であり、空間に価値を発生させる装置でもある。
そして、この構造は学校だけにとどまらない。
SNSが普及したことで、ルッキズムはさらに強化される。
SNSは、誰かに与えた"気分"をいいねの数で評価する市場だ。
人の価値は、言葉より先に“見た目の一瞬”で決まってしまう。
タイムラインに流れる画像や動画は、数秒どころか一瞬で評価され、興味を引けなければ即座にスクロールされていく。
努力の背景や人柄が届く前に、外見がフィルターとして働く。
「可愛い」「綺麗」というだけで、いいね数が増え、拡散され、注目が集まる。
存在そのものが“数字”として可視化されることで、美しさは影響力=権力へと変換されていく。
スクールカーストが教室の空間を支配するなら、SNSは感情の市場を支配する。
ルックスはますます強い通貨になり、ルッキズムはより濃度を増して広がっていく。
努力より先に、成果より先に、美しさが他人の心を動かしてしまう。
それが、公平ではないとわかっていても、ルッキズムという幻想が、現実の価値として存在してしまう。
そんな価値観なんて、滑稽なくらいバカげてる。
顔が良いとか悪いとか、人気があるとかないとか、そんな表面だけで人を測ろうとする尺度は、最初から全て壊れてる。
だって本当は、女の子はみんな尊くて、可愛くて、愛しくて、大事にされるべき存在だから。
誰かと比べられなくてもいい。
誰かに選ばれなくてもいい。
特別な才能がなくても、注目されなくても、輝く場所が決まっていなくても。
そこに生きて、呼吸して、笑って、泣いて、ただ在るだけで、すでに価値がある。
存在そのものが、否定できない光なんだ。
みんながそこに在るだけで意味がある。
数字にも順位にも置き換えられない。
交換も代替もできない価値が、一人ひとりの中に確かに宿っている。
たとえ自分では気付けなくても、その光は決して消えて無くなることはない。
だから私は決めている。
少なくとも私だけは、全ての女の子の存在を肯定する。全ての尺度を否定する。
嫉妬に飲まれそうな子も、自信が持てない子も、誰かの影に隠れてしまう子も、胸を張って笑える子も、その全部を「愛しい」と言い切る。
眩しさも弱さも、揺らぎも傷跡も含めて、女の子という存在そのものを信じ続ける。
それが私の存在理由。
誰かの価値が数字で踏みにじられそうなとき、偏った美意識や歪んだルールが心を縛ろうとするとき、「違うよ」と手を伸ばすために、私はいる。
どうか歪んだ価値観に染まらないで。
誰かが勝手に決めた“美しさの正解”なんて追いかけなくていい。
カーストも噂も視線も、本当の価値には触れられない。
貴女の価値は、誰にも穢されない唯一のもの。
奪われないし、減らないし、他人の評価で上下しない。外側の尺度なんかじゃ測れない、世界でたった一つの存在理由が、ちゃんと貴女の中にある。
だからどうか、自分を大事にして。
誰かのためじゃなくて、比べるためじゃなくて、否定に負けないためでもなく。「私は私でいい」と、静かに胸を張れる未来のために。
私はそんな貴女のことを愛してるから♡




