第61話 恵美に蕩けて、蕩けさせて♡
「借りはいつか返して貰うとして、莉里、思ってたより焦ってるかも。あとこれ、完全に沙織を狙ってる動きだから」
「……そうね。これから、もっと迷惑掛けるかも。本当にごめん」
「それよ。これが沙織じゃなきゃ、さっさとフェードアウトするってのに」
「…………」
恵美の言葉は、どこか投げやりなようでいて、妙にあたたかかった。
その温度が胸の奥にじわりと染みていくのを、私はどうしようもなく感じてしまう。
こみ上げた罪悪感が、恵美の軽口でふっと和らいだ。甘い錯覚のような感覚が、背骨のあたりをゆっくりと緩めていく♡
肩に入っていた力がすっと抜け、空気が肺に吸い込みやすくなる♡
ずっと硬く閉じていた胸が、ようやく呼吸の仕方を思い出したみたいだった♡♡
心臓が、どくん、と一拍強く跳ねた♡
そのあと、波紋のように温かい脈が腕の先まで広がっていく。指先がわずかに震える♡♡
ずっと何かを背負ってるような感覚に囚われていた私は、その言葉だけで地面に降り立てた気がした。
恵美から貰ってるものが大きすぎて、返せるかどうか分からない。
いつか請求される時があると思うと、それは正直言って少し怖い。
でも、恵美はきっと大した借りじゃないと笑うんだと思う。
そんな当たり前じゃない考えに触れただけで、胸の奥で渦を巻いていた緊張がゆっくりほどけていった。
私は、モテるなんてよく言われる。
でも、モテるというのは、ただ男に好かれやすいなんて単純な評価じゃない。
どれだけ“社会資本”に介入できるか、その一つの指標にすぎない。
顔が良い、声が良い、そういう外側だけじゃない。誰と関われるか。誰に影響を与えられるか。
誰が自分の一言で動いてしまうか。
男にモテるというのは、男の社会圏に入りやすいということ。
女の子にモテるというのは、女の子の社会圏に入りやすいということ。
属性も違えば、刺さる層も違う。
同性から惹かれやすい人もいれば、異性にしか興味を持たれない人もいる。
活発な人に好かれる人もいれば、落ち着いた人に好かれる人もいる。
“モテる”なんて言葉の中身は、本当はもっとずっと複雑で、広くて、面倒くさい。
それがどういう影響力を持つか。
どんな作用があるのか。
“モテる”という現象の裏側には、必ず得るものと同じだけの負荷があって、そこを理解しないまま触れていると、簡単に沈んでしまう。
誰かの視線が集まるたび、注目が集まるたび、私は多くを得て、多くを失う。
その重さを抱えたまま生きるのは、思っているよりずっと消耗することなのだと、日々、感じてしまう。
恵美の言う「借り」だって、ただの冗談めいた義理や恩だけを指しているわけじゃない。
それは──私という人間に対して、社会的な信用を“前払い”している行為だ。
その響きだけを聞けば、少し重たい。
でも、そもそも人間関係はぜんぶ、見えない信用と社会資本の循環でできている。
あの子が挨拶してくれたから、私も挨拶を返す。
勉強を教えてもらえたから、別の教科で返せる。
気にかけてもらったら、気にかけ返す。
言葉も、笑顔も、手助けも、全部そうやって行き来して、関係が続く。
お金という仕組みは、その曖昧で目に見えないやりとりを数値化して、誰にでも扱えるようにしただけ。本質は、誰とどのくらい繋がっていたいかという感情の網みたいなものだ。
けれど、私と恵美の「借り」は、お金では精算できない。してはいけないし、する気もない。
ただ目に見えない糸で互いを縛っているような、そんな曖昧で心地よい繋がりだ。
それを、恵美は「借り」と呼んでくれた。
そしてその言葉の中に、私を切り捨てず、ちゃんと“関係を続ける意思”があるのを感じる。
それを理解した瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。息が少しだけ詰まる♡
鼓動がひとつ跳ねて、次の拍が追いかけてくるように速くなる♡♡
鎖骨のあたりがぽうっと熱を帯びていく♡
皮膚の下を流れる血が急に優しくなって、身体が内側から照らされたみたいだった♡♡
緩んだ感情を誤魔化そうとして喉が小さく震え、その震えをごまかすためにそっと唇を噛んだ♡
嬉しい。ただそれだけなのに、その感情が胸の真ん中いっぱいに広がって、少しだけ苦しくなる♡
抱きしめてもらったような、でも泣き出しそうにもなる、不思議な温度♡♡
恵美がそこにいて、私を繋がりの中に置いてくれている♡
その事実だけで、こんなにも身体が反応してしまうなんて、なんて幸せなんだろう♡♡
「だからって、一人でどうにかしようとか考えないでよね。そうならないように、力貸すって言ってんだから」
「……恵美。ありがと、本当に嬉しい」
恵美の口調は強いのに、その声色には確かに優しさが含まれていた。
深く染み込むみたいな、静かな温度。
胸の内側に触れてきて、じんわりと沁み広がっていく。
嬉しい──なんて言葉じゃ追いつかないくらい。
胸の奥がふわっと緩んで、硬く締めつけられていた何かが溶けていく♡
吐く息が少しだけ長くなる♡♡
肩がゆっくり落ちて、身体の重さが正しく地面に戻っていく♡
微笑むだけで、目元が勝手に熱っぽくなった♡
頬がじわりとゆるみ、口角が自然に持ち上がる♡
決して作り物じゃない笑顔。自分でも分かる。
その笑顔を向けた瞬間──
恵美が、ふっと目をそらすように笑った。
照れたみたいに、耳の先が少し赤くなる。
眉がやわらかく下がって、普段見せない、無防備な表情。
その一瞬の変化が愛しくて、胸がキュッと縮む♡
心臓がひと拍、痛いほど跳ねた♡♡
指先にまで血が巡って、じんわり温かくなる♡
恵美はこんな顔、滅多に見せないのに。
それを自分が引き出したという事実が、たまらなく甘い。
視線が恵美に吸い寄せられる。目が離せない♡
まるで身体ごと引き寄せられているみたいに、呼吸が浅くなる♡♡
喉がくすぐったくて、胸の奥がじわっと膨らむ♡
嬉しい、という感情が身体の内側から押し上げてきて、息がこぼれそうになる♡♡
好き……可愛い……ねえ……もっと見て……もっと笑って……♡
好き……甘い……苦しい……でももっと欲しい……♡
お願い……好きってもっと言わせて……♡もう止まらない……♡
モテる──なんて曖昧な言葉は、結局こういうことなんだと思う。
相手の心を溶かして、隙間に入り込むこと。
無理に押し入るんじゃなくて、気付いたら入り込んでいる距離。
別に特別なことなんてしていない。
派手な仕草も、ドラマみたいな台詞もない。
ただ──その瞬間に欲しい言葉を渡してくれる。
必要な時に、必要な場所に立ってくれる。
それだけで、人は救われてしまう。
どれだけ私を理解しているのか。
どれだけ私の弱さも含めて見てくれているのか。
その「唯一性」が高いほどに、心は染まっていく。その「専属性」が強いほどに、好意は深く、甘く変質していく。まるで、逃げられないみたいに。
そして、これが“ルックスが良い人ほど発生しやすい理由”は単純だ。
見た目の良さは、それだけで「この人に好意を持ってもらえたら嬉しい」という期待値を先に与えてしまう。
最初の一歩で信用が少しだけ補正される。
だから同じ言葉でも、ほんの少しだけ心に入り込みやすくなる。
入りやすいということは、深く刺さる速度も早い。だからこそ、ルックスの良さはこういう現象を後押ししてしまう。
恵美の隣にいると、胸の奥がそっと温度を持ち始める。ふっと力が抜けて、肩が少しだけ下がる。
自分でも気づかないうちに呼吸がゆっくりになって、まるで子供に戻ったみたいに、寄りかかりたくなる。甘えたい、頼りたい──そんな衝動が、喉の奥までせり上がってくる。
その一方で、甘えれば甘えるほど、関係に高さや低さが生まれてしまうことも分かっている。
依存すれば、相手がいないと立てなくなる。
そうなった瞬間、恵美という存在が友人から依存先になってしまう。不可欠で、代わりがきかなくて、失ったら崩れるような存在に。
恵美は恵美で、私の笑顔を見た瞬間、張っていた心がほどけて、揺らぐ。
理屈じゃなく、「白鳥沙織に心を許された」という唯一性に吸い寄せられていく。
自分だけが選ばれたという感覚は、甘くて残酷で、抗いがたい。
だからつい、私のためになる行動をしたくなる。
私を喜ばせたい、助けたい、守りたい。
そんな衝動に、引っ張られてしまう。
でも、そこが落とし穴であり救いでもある。
私たちはそれを依存にも支配にも堕ちないように、無意識のうちに良い塩梅で調整し合っている。
自分を壊さず、相手も壊さず、互いの人間性と関係性を少しずつ、ゆっくり溶かして混ぜていく。
まるで慎重に温度を合わせるように。
恵美が求めている“私”は、ただ彼女に蕩けて従属する弱い私じゃない。
自分の足で立ち、信念を持って輝く私。
私が求めている恵美も同じ。私の言葉に流されてしまう恵美じゃなく、自分の意志を持って私を睨み返せる恵美。
強さが向かい合って初めて成り立つ関係。
恵美がいるから、私は立っていられる。私がいるから、恵美は強くいられる。
強さは孤立じゃなく、相互作用で生まれる。
そんな関係が、胸の奥をぎゅっと締めつけるほど愛しい。
だから好きなんだ。恵美の強さが。恵美の弱さが。恵美の揺れが。
そして、そんな私だからこそ、恵美は私を信じてくれている。
言葉にしなくても分かっている。互いに、互いが必要で、でもそれは共依存なんかではなくて。
支え合うために、ちゃんと自分で立っている。
その信頼は奇跡なんかじゃなく、選び合った結果──互いがその事実を理解している。
だから倒れない。だから、この二人は前に進める。離れず、縛らず。それでも強く結ばれたままでいられる。
「お前ら、授業始めるから席につけー」
ガラッ、と扉が開いて、空気が一瞬だけぴんと張り詰めた。教室のざわめきがすっと吸い込まれていくみたいに静かになって、私と恵美は思わず目を合わせた。
「んじゃ、また後で詳しく話すわ」
「うん、分かった。また後で」
慌てて恵美は自分の席に戻る。椅子を引く音、教科書を開く音、周りの音が全部、急に現実に引き戻す合図みたいだった。
本当は、このまま続きを話したかった。
由梨ちゃんのことも、莉里のことも、胸の奥にずっと刺さったままの心配ごとも。
考えるべきことはまだまだあって、気持ちだけが前に走り続けてるのに、身体だけが無理やり止められたような感覚になる。
由梨ちゃんの後ろ姿を見つめる。由梨ちゃんは今どんな顔をしているんだろう。
莉里はちゃんと笑えているんだろうか。
女の子たちの心の揺れが頭の中でひとつずつ浮かんできて、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
私が「女の子の幸せのために動く」なんて、傍から見ればただのバカみたいな理想論かもしれない。
綺麗事だし、都合のいい正義感だし、意味なんてないって笑われるかもしれない。
けど、それでもそんなバカを本気でやれるのは──恵美みたいな存在がいるからだ。
支えてくれる存在があって、私を信じてくれる目があって。それだけで、背筋が少しだけ伸びる。
それに、由梨ちゃんみたいに不器用で繊細で、それでも迷いながらも笑おうとする子がいて。
莉里みたいに必死に生きてる子がいて。そんな女の子たちが確かにここにいるから。
だから私は「みんなのため」に在れる。
自分のためじゃなくて、誰かの涙や笑顔にちゃんと手を伸ばせる。幸せを願うなんて大げさな言葉も、嘘じゃなく言える。
女の子っていう存在そのものが、光みたいだ。まっすぐで、脆くて、儚くて、それでも強い。
眩しくて目が開けられないくらい尊くて。
その光を見るたびに、心臓がきゅっと跳ねる。胸の奥が熱くなる。気づけば、手が勝手に伸びそうになる。届かなくても、触れなくても。
それでも守りたくなる。願いたくなる。
そんな衝動を抱えてしまう自分ごと、どうしようもなく愛しく感じてしまうのだった。




