第58話 ※恵美視点 沙織も莉里もバカばっか♡
昼休みの教室は、弁当の匂いとざわざわした声が混ざり合っている。
私は友達と適当な話をしながらお昼を食べていたが、頭のどこかでは、体育館裏に向かった沙織のことをずっと追っていた。
沙織があんな露骨に面倒くさそうな顔するの、ほんと面白い。
あの子は普段、必要以上の感情を表に出さないくせに、男関係の嫌なことには全力で顔が曇る。
その落差がたまらない。告白する男子には申し訳ないけど、沙織を観察できる機会って意味では“ごちそう”だ。
戻ってきたら絶対突っ込むと心に決める。
「何点の告白だったの?」とか、そんな感じで。
友達が現場を見に行ってるから、裏話を聞くのも楽しみだし、本人のリアクションはさらに美味しい。私はこういう“二度おいしい状況”が結構好きだった。
そんな時、教室の入口のほうから声が飛んできた。
「坂尾さーん、なんか二組の子が呼んでるー!」
坂尾由梨。
最近、沙織のお気に入りになった子。
コスメを沙織と一緒に観に行った帰りに、莉里とその彼氏に遭遇して巻き込まれた子。
私から見ると、あの子は“運悪く巻き込まれた地味な子”みたいな印象があった。
運が悪いとも言えるし、沙織に気に入られる運の良さも持ってる。
ああいうタイプは、反抗することが少ないから、ちょっとしたきっかけでトラブルに巻き込まれていくことがある。
名前を呼ばれた坂尾さんは、箸を止めて目を瞬かせた。驚きと戸惑いが一度に浮かぶ、あの正直すぎる顔。
お弁当の蓋をそっと閉じる仕草がちょっと小動物っぽい。
坂尾さんが誰かに呼ばれるなんて、ほとんど聞いたことがない。
それに、呼んでいるのが二組……つまり莉里のクラス。胸の奥に小さく“嫌な感じ”が沈殿した。
教室の入口へ向かって歩いていく坂尾さんを、私は横目で追う。
お弁当をしまうときの手がぎこちなくて、ああ、分かりやすい子だなって思う。
不安を隠すのが下手なタイプ。
こういう子は、呼ばれたらつい行ってしまう。何かを疑うこともないし、なにより空気を壊すのが怖いから。
私はその後ろ姿を流し見しながら、ひとつ静かに息を吐いた。
気付かないふりなんて、しようと思えばいくらでも出来る。
私が関わる義理なんて本来どこにもない。
たまたま二組の誰かに何か頼まれただけかもしれないし、無視していたって咎められる筋合いはない。
けれど、“もし”を考えると厄介だった。
もし不味いことになったら。沙織は絶対に言う。
「恵美が気付かないわけないでしょ」
その声が脳内であまりにも鮮やかに再生されてしまう。
しかも、“気付いていてスルーした”ことまで完全に見透かされる未来が容易に想像できて、苦笑いしたくなる。
あの子にそう言われると、妙な敗北感がある。
私のことを理解しすぎてるというか、先回りされてる感じというか。
その信頼が嬉しいくせに、逆に少し恥ずかしくて、ほんの少しイラッともする。
それに──沙織の性格を思えば、このまま放置もできない。
もし坂尾さんが莉里の開く合コンとやらに行かなきゃいけない、とかになったら。
沙織は間違いなく「着いて行く」と言い出す。あの子はそういう類の“バカ”だ。
男の集まりなんて本気で嫌いなのに、友達のためなら眉ひとつ動かさず突っ込んでいく。
しょうもない正義感と、妙な責任感と、意地と、優しさと、全部がごちゃ混ぜになったあの行動力。
美人ってだけで面倒に巻き込まれるくせに、他人の面倒にも自分から飛び込んでいく。
本当に、理解が追いつかない。
しかも、ただ飛び込むだけじゃない。
“ちゃんと対策を打つ”。
数人ほど女の子に声をかけて、味方を固めて、安全策まで整えて、行き過ぎなくらい守りに回る。
だからこそ、余計に無茶ばかりしようとして、周囲のほうがヒヤヒヤさせられる。
そして、その輪の中に私がいないとなると……
面倒くさい。色んな意味で面倒くさい。
沙織の親友であり、相方であり、理解者であるというポジション。
そんな私が不在だったら、あとで空気に微妙な隙間のようなものが出来る。それが気に入らない。
面倒事が嫌いなわけじゃない。
むしろ、沙織の周りの面倒ごとは、アイドルの追っかけみたいな感覚で楽しんでるところもある。
でも今回は違う。結局どう転んでも、今のうちに手を打っておくほうが早い。
「そんなに気になるなら、誰か見に行ってやりなよー?」
私は、お弁当を前にしてそわそわしている坂尾さんの友達グループに向かって、軽く声を投げた。
彼女たちは、半分ほど残った弁当箱を囲んで、持ち主が急に呼び出された理由を推し量るみたいに顔を突き合わせていた。
声を掛けられると、全員がぴくっと肩を揺らし、互いの顔を見合わせる。
「え、誰が行く?」みたいな空気がふわっと流れる。その沈黙が三秒続いたところで、一人が意を決したように立ち上がり、箸をぽんと置いて走り出した。
私はその背中を、まるで授業参観の母親みたいな気持ちで眺めていた。
数分後、戻ってきたその子は、眉をきゅっと寄せ、不安が隠しきれていない顔だった。
「坂尾さん、なんか……高木さんに絡まれてるかも。どうしよう」
ああ、はいはい。
脳内でため息が二回ぐらい鳴った。
ああもう、本当に面倒臭い。
いや、予想はしてたけど。
莉里も、ほんとバカじゃないの。
自分のクラスの子達を誘うくらいならまだしも、ウチのクラスの坂尾さんみたいな大人しい子を“そういう場所”に連れて行けば、どんな後始末になるかくらい分かっているはずだ。
男の中でも特に刺激に飢えた獣のような奴等が集まっている場所だ。
傷つきやすい子を放り込めば、何が起きても不思議じゃない。
その後の処理に親や教師まで巻き込まれたら、面倒は雪だるま式。こっちが動く隙もなくなる。
分かっていて、やる。
いや、分かっているからこそ、か。
どうせ沙織を引っ張り出すための口実が欲しいんだろう。「助けて」と誰かが言えば、沙織が動く。
その構造を、莉里はずる賢いほど理解している。
……本当に、バカらしい。
別に、莉里の気持ちが分からないわけじゃない。
沙織がこの学校全体に敷いている秩序の網は、確かに鬱陶しいと思われても仕方がないし、反発したい気持ちも分かる。
けれど、だからといって巻き込んでいい相手と悪い相手の区別くらい、つけてほしい。
坂尾さんは、“反発のためのコマ”にするには適さない。
胸の奥で、静かに、しかし確実に温度が上がっていく。
苛立ちとも、責任感ともつかない感情が絡み合い、背筋を押した。
ひっそりと、この学校には暗黙の了解みたいな空気がある。「彼氏を作るなら、校外より校内のほうが安心だよね」というやつだ。
理由は単純で、校外の男と付き合われると“監視の網”が行き届かなくなるから。
この空気を作ったのは沙織だって、私は知ってる。みんなを危険な目に遭わせたくない、という善意かららしいけれど、正直、その言葉自体に大した意味はないと思ってる。
学校は集団圧力で秩序を保つ場所で、誰が誰と仲が良いか、どこで問題が起きそうか、だいたい全部把握しやすい。だけど校外の男との恋愛となれば、そうはいかない。
そこで傷付くかもしれないなんて、本来は“自由恋愛の場”なら当たり前のリスクだ。
みんなも沙織も、分かっているようで分かっていない。頭で理解したつもりでも、実際に痛みを伴わなければ、本気で理解することはない。
悩んで、苦しんで、付き合って、振られて、また付き合って。
そんな繰り返しの中で、ようやく“男ってヤツ”を、ほんの少しだけ知っていく。
みんなが沙織みたいに勘が良くて、周りの空気を読み切れるわけじゃない。
沙織がやっているのは、そういう“経験の場”を丸ごと潰してるようなものだ。
リスクを遮断して、痛みを避けさせて、恋愛を安全圏に縛りつけている。
わざわざ沙織に文句を言うつもりはない。
その網に守られている子達も確かにいるし、誰もが強くいられるわけじゃないのは理解している。
……私は良い。
沙織が同じクラスで、正直ちょっと焦ったから、学校でカースト上位の男をさっさと捕まえた。
自分を守るためなら、動きは早い方がいいと分かっていたし、結果として今もそれなりに上手くやれている。
でも、莉里は違う。
もともと刺激が強くて、ちょっと危ない匂いのする男が好きだった。
そういうタイプの男は、特にこの学校の中では本領を発揮できない。
男同士で釘を刺され、女子からも“あいつは危険”と目を光らされ、自由な振る舞いなんて許されるわけがない。
だから、莉里は“より強い男”を求めた。
校内の秩序に押さえ込まれて身動きが取れないなら、その外、さらに外へ。
束縛の枠が届かない場所で、自分を振り回してくれるような、あの手の危険な匂いのする男を。
その延長線上でたどり着いたのが、今の彼氏だ。
彼の欲しがるものに応えるために、莉里はせっせと“女子生徒の調達”みたいな真似をしている。
合コンと称して、実態は彼氏の先輩や取り巻きへの“供給”。
みんなも何となくは察しつつも、怖いものは怖いから、莉里のカーストだけは形だけ残っている。
でも、もはや信頼なんてものは欠片もない。
みんな、心の中では距離を置いている。
その孤独を思うと、一瞬だけ胸が痛む。
けれど“共感”まではしない。そこまで同じ景色は見てられない。
ただ、ふと考えてしまう。
もし逆だったら、と。
──もし莉里が沙織と同じクラスで、私が別のクラスにいたとしたら。
今の立場はまるで違っていた気がしてしまう。
沙織の網に最初に捕まるのが私じゃなくて莉里だったら、彼女は少なくとも今ほど歪まなかったのか。
莉里みたくなってたのは、私の方だったんじゃないか。そんな仮定が、頭の奥で小さく鳴る。
「いいよ、私が行く。莉里に話し付けてくるから」
坂尾さんの様子を見に行った子に、できるだけ軽く言ってみせる。
子ども扱いにも似た安心を与えたくて、声のトーンをわざと柔らかくした。
莉里のバカも大概だけど、沙織のバカも大概だ。
沙織はきっと、莉里のことすら助けようとする。
そんなこと、莉里からしたら反吐が出るほど鬱陶しいはずだ。
差し出された手から逃げるように、さらに外へ、さらに深みに落ちていく。
なら、私が二人を関わらせないようにするしかない。あの2人は、触れ合えば何かしら衝突する。
放っておけばもっと厄介なことになる。
ホント、バカに付き合わされるのって、大変で面倒くさい。いい加減にして欲しい。
……それなのに、心の奥はなぜか温かい。
この面倒事の渦中にいる自分を、完全には嫌いになれない。
誰かが“やらなきゃいけない役”を、自然に引き受けてしまっている自分に、苦笑する。
温かさは、責任か、諦めか、それとも──わざわざ動く理由が、もうどこかに根付いてしまっているだけなのか。
答えは分からない。
けれど足は、もう坂尾さんと莉里の方へ向かっていた。




