表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/67

第56話 ※由梨視点 沙織ちゃんの隣に立ちたいの♡

「べ、別に誰も……っ、そ、そんなことっ」

「莉里もさ、彼氏が自分が原因でブタ箱行きとか、勘弁したいでしょ? 私もそういうのに付き合わされるの面倒だから、やめといて欲しいのよね」


 高木さんの声が裏返った。喉の奥が震えて、息が詰まる。

 橋本さんの言葉は、まるで雑談みたいな口調なのに、その芯だけが鋭く、冷たい刃物のように空気を裂いた。


 その場の温度が一瞬で下がる。

 高木さんは唇を噛みしめたまま、何も言えない。

 私も同じだ。橋本さんの声には、怒鳴り声なんかよりずっと強い重みがあった。


 刑務所。

 その単語が、唐突に現実味を帯びて胸の奥を締めつける。まさか、と思う。

 だけど“最悪”を想像したとき、どうしても非力な女の子が頼れる手段って限られる。最後まで逃げられなかった時は、そうするしかない。


 警察が来て、手錠を掛けられ、ニュースで名前が出て──そんな場面が、一瞬だけ脳裏をよぎる。

 そして次の瞬間、その想像を振り払うように身体が小さく震えた。


 橋本さんの言葉は、脅しのようでいて、どこか心配する匂いが混じっていた。

 “面倒だから”という軽い響きの奥に、誰かをどこかで思いやる優しさがある。

 高木さんはその意図を分かっているのか分からない。けれど、その顔は明らかに青ざめていた。


 もし、その高木さんが誘う“合コン”に私や沙織ちゃんが行くとしたら──

 そう思うと、胃の奥がきゅっと痛んだ。

 想像するのも嫌な種類の不安が、背中を這い上がる。


 どんな場所なのかも分からない。

 どんな人がいるのかも、何が目的なのかも知らない。

 ただ、あの高木さんの“慣れた笑い方”と、橋本さんの“静かな警告”が、その答えを暗に示している気がした。


 もしそこに、あの高木さんの彼氏のような腕にタトゥーを入れたような男たちが集まっていたら。

 そうでなくても、どこか慣れた男たちに、こちらの顔や身体を値踏みするような目に晒されたら。

 断り切れず、笑って誤魔化しようもない空気に飲み込まれたら──。


 頭の奥がじんわりと重くなる。

 息をするたび、胸の奥がざらつくような不安が広がっていった。


 それでも、沙織ちゃんがそんな場所にノコノコ、無防備で行くはずがない。

 沙織ちゃんは、どんな時でも慎重で、自分のことを大事にする。

 どこか無鉄砲に見えることがあっても、それは誰かのためであり、ちゃんと「計算された大胆さ」だ。


 学校の告白だってそう。

 人気のない場所に呼び出される時は、どこかで友達が見守っている。

 そうでなくても、すぐに連絡が出来るようにワンタッチで電話が繋がるように設定してるし、防犯ブザーのアプリも入れている。

 「一応ね」なんて笑って言うけれど、それは冗談なんかじゃない。

 沙織ちゃんの中では、すでに“リスク管理”の一部になっている。

 どれだけ警戒してもし足りない──その慎重さが、あの余裕の正体なんだと思う。


 私は沙織ちゃんの気持ちになって考えてみる。


 ──きっと彼女は、行く前から全ての“もしも”を想定して動く。

 沙織ちゃんの頭の中では、あらゆる危機とその可能性、その対処法に事前の対策が渦巻いてる。

 そのどれもが『自分を守るため』であり、『誰と繋がる』ようになっている。


 まず、仲の良い子たちに「もし時間になっても連絡が来なかったら」と、事前にメッセージを残しておく。

 それはただの安否確認ではなく、“沙織ちゃんがみんなと繋がっている”ことの合図。

 誰かが自分を気にかけている、それだけで心が温かくなる。


 出かける前に、位置情報の共有アプリを起動し、スマホとキーホルダー型のGPSをポケットに入れる。

 もしもの時、どちらかを失っても片方は生き残るように。

 そして、アプリの中では、彼女の居場所が点滅している。

 その点が、どこか知らない場所に動いても、誰かが見つけてくれる。


 さらに、時間を決めて、アプリ経由で自動的に電話がかかってくるように設定しておく。

 あくまで“偶然を装う救助信号”。

 もし嫌な空気な場であったなら、電話を取り、落ち着いた声で言うのだ。

 「親が帰って来いってうるさい」「どこにいるのかって心配してる」──

 その一言で、“外との繋がり”を思い出させる。

 この空間の外に、彼女を気に掛けている人間がいる。その現実を突きつけさせる。


 それでも返してくれなかったら──次の段階がある。事前に連絡していた友達が動く。

 まずはメッセージを送る。「どう?」「大丈夫?」

 反応がなければ、数人でお店に押しかける。

 沙織ちゃんの世界では、“友達”が最初の救急網だ。


 それでもどうにもならなかったら、残りの子たちが交番に行く。

 「私たちの友達が連絡取れません」

 1人では軽く扱われても、十人、二十人の女子が一斉に訴えれば、警察だって無視できない。

 彼女はそれを知っている。

 自分の声が届かなくても、誰かの声が届く仕組みを作っておく。


 沙織ちゃんの周りには、彼女のために動きたいって子たちがいっぱいいる。

 その繋がりが、彼女自身の護りになる。

 それだけ沙織ちゃんはみんなに愛されてるし、大切な存在。

 みんなが、沙織ちゃんのことを守りたいって思ってる。


「私は坂尾さんに話しあるから、莉里は教室に帰りな。用事は済んだんでしょ?」

「……分かった」

「おう。んじゃ、またなー」

「……また」


 軽く手を振る橋本さんに、高木さんは不満げに眉を寄せながらも、渋々と踊り場を後にしていった。

 その背中が角を曲がって完全に見えなくなった瞬間、張り詰めていた糸がふっと切れた。


 息を吐く。長く、ゆっくりと。

 それだけで胸の奥が少し熱くなる。

 緊張でこわばっていた肩がじんわりと下がり、指先まで血が戻ってくるのがわかる。


 ふう、と小さく吐き出した息に、自分でも気づかぬほどの震えが混じっていた。

 心臓の鼓動は、まだ少し速い。

 でも、それは恐怖じゃなく、守れた安堵のリズム。


 なんで、みんながそんなに沙織ちゃんのことを守りたいと思うのか。

 最初は、私も分からなかった。

 もちろん、沙織ちゃんは優しくて、誰にでも公平で、勉強もできるし、困っている人を放っておけない。みんなの憧れで、頼りにされる存在だ。

 そんなの、好きにならないほうが難しい。

 

 でも、それだけじゃない。

 だって、誰かを助けたいって思っても、実際に動ける人なんてほとんどいない。

 どうしていいか分からなくて、ただ立ち尽くすだけ。

 ──少なくとも、私はそうだった。


 助けてあげたい、なんて言葉にするほど、自分の無力さが突きつけられる気がして。

 だから、いつも少し離れたところから見ていた。

 彼女の眩しい背中を、ただ目で追うことしかできなかった。


 たぶん、沙織ちゃんが困った時だって、私は何もできないんだと思う。

 どうすればいいか分からなくて、ただ遠くから見てるだけ。


 “助けてあげたい”って気持ちが喉の奥でつかえて、声に出来ない。

 でも、沙織ちゃんは違う。

 彼女は、そういう時、ちゃんと「助けてほしい」って言える。

 「今、困ってる」「これが怖い」「だから力を貸して」──って。


 その言葉を聞いた瞬間、私の中の迷いがふっと消える。何をすればいいのかが分かるから、動ける。


 沙織ちゃんは、誰よりも“自分を大事にしてる”。

 それはわがままとか、自己中心的とか、そういうことじゃない。

 たとえ友達に迷惑をかけることになっても、自分の身を危険に晒すようなことは絶対にしない。


 それが冷たく見える時もあるけど、本当は違う。

 自分のことをちゃんと尊重できる人は、他人の尊厳も同じように扱う。

 守られること”を当然と思わない人ほど、守られやすい──そんな矛盾みたいな真理を、沙織ちゃんは生き方で証明してる。


 ……そんなの、簡単にできることじゃない。

 私は、嫌われたくなくて、つい笑って誤魔化すし、誰かに合わせてしまう。

 「自分を守る」ってことが、どこかで「人を拒むこと」と同じだと思っていたから。


 でも、沙織ちゃんの優しさは、ちゃんと“境界線”を持ってる。

 誰にでも手を差し伸べるけど、その手は絶対に自分を見失わない。


 だから、みんなが彼女を守りたいと思うんだと思う。

 自分を粗末に扱わない人は、他人からも粗末に扱われない。

 そんな当たり前のことを、沙織ちゃんは行動で見せてくれる。

 見てるだけで、心の奥に何かが刺さる。


 でも、ただ自分を大事にしているだけなら、他の誰かのためにまでは動けないはずだ。

 それなのに、沙織ちゃんは違う。

 他人のために危ない橋を渡ろうとする。


 誰よりも慎重で、誰よりも自分の安全を優先するはずの人が、それでも誰かのために動く。

 その矛盾こそが、彼女の“人間らしさ”であり、“強さ”なんだと思う。


 私なんて、たぶん誰かのためにそこまで出来ない。

 怖いものは怖いし、危険な場所には近づきたくない。

 それは当たり前のことのはずなのに、沙織ちゃんの前では、少しだけ恥ずかしくなる。


 彼女は臆病なのに、誰かを助ける時だけ、まるで別の生き物みたいに強くなる。

 その姿を見ていると、「本当の勇気ってこういうことなのかも」って思わされる。


 たとえば、あの高木さんの誘いに、もし私が少しでも迷っていたとしたら。

 沙織ちゃんは、きっと迷わず助けに来る。

 「やめといた方がいいよ」って、軽く笑いながら。


 私が怖くて何も言えなかったら、彼女は私の手を引いて、代わりに断ってくれる。

 それでも断れなかったら、一緒にその場所まで行ってくれる。

 たとえ自分が嫌だと思うような場所でも、私をひとりにはしない。


 ──それが、沙織ちゃんだ。


 危険を察知して、最悪の事態を想定して、それでもなお他人のために動く。

 そんなの、冷静に考えたら愚かしいはずなのに、彼女がやると、不思議と正しく見える。

 それでも、彼女は決してそれを恩着せがましく言わない。

 きっと、私を助けに来たとしても、「私が行きたいだけだから」って笑うんだ。


 たぶん、それが──沙織ちゃんの“守りたいもの”なんだと思う。

 私には、その全部は分からない。

 どんな想いが沙織ちゃんの胸の奥で燃えているのか、その炎が何を照らして、何を焼いているのか。

 けれど確かに感じる。沙織ちゃんは、その何かを守るために生きている。


 いつも笑っているくせに、あの笑顔の奥には緊張がある。

 周囲の全員を見ていて、どこかで常に何かを計算していて、油断のない静けさを纏っている。

 自分の身を守るための準備も怠らない。きっと誰よりも慎重で、誰よりも怖がりな人なのに──それでも、いざという時は自分を差し出してしまう。

 その姿勢が、私にはどうしようもなく恐ろしくて、そして美しい。


 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 沙織ちゃんが誰かを庇う瞬間、あの白い指先が差し伸べられるたび、私は息を呑む。

 その中に、私の名前が含まれているかもしれない。


 そう思っただけで、心が震えた。喉が熱くなって、息が震えて、視界が滲んだ。

 ──もし本当に、あの光の輪の中に自分がいるなら。

 私は、どんなに傷付いても、もう後戻りできないと思った。


 沙織ちゃんは、まるで太陽みたいにまっすぐで、手を伸ばせば焼かれそうなほど眩しい。

 でも、怖いのはその熱さじゃない。

 その光を見てしまったら、もう何も見えなくなる自分のほうが怖い。

 守られているうちはきっと幸せ。でも、ずっとそのままだと、私は“影のまま”になってしまう。


 だから、私も──そうありたいと思う。

 守られるだけじゃなく、自分で選んで、自分で立てるように。

 怖くても、誰かを見捨てないように。

 沙織ちゃんみたいに、自分の手で“守りたいもの”を抱き締められるように。


 本当は何も出来ないかもしれない。

 沙織ちゃんの迷惑になるかもって考えると、少し怖い。でも、何度でも怖がっていいし、それが当たり前なんだって、何となく分かる。

 だって、恐れを知ってる人だけが、本当に誰かを救えると思うから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ