表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/68

第52話 ※由梨視点 沙織ちゃんが側にいるみたいなの♡

 昼休みの教室は、ざわめきと笑い声で満ちていた。

 窓の外では日差しが柔らかく差し込んで、机の上を白く照らしている。


「……じゃあ、恵美、私行ってくるから」

「はーい、ちゃんとそっちに一人送るから。よろしくー」


 沙織ちゃんは、流れる髪を揺らして立ち上がった。

 昼休みが始まって早々に告白を受けに行くとかで、大きく息を吐きながら、渋々と教室を出て行く。

 私はその様子を少し離れた席から、ただ見詰めていた。


 ──沙織ちゃんが男子から告白を受けるのは、そう珍しいことじゃない。

 最初の頃は、遠くからその背中を眩しく見つめていた。

 クラスの中で、誰よりも“物語の主人公”みたいに見えて。

 あの人に名前を呼ばれたら、それだけで一日が明るくなるような気がしていた。


 でも、沙織ちゃんの隣に並んだ時に気付いてしまった。

 彼女の周りに漂う空気が“憧れ”だけなんかじゃなくて、“欲望”に溢れていたことに。

 その視線がどれほど重くて、どれほど無神経なものかを知ってしまってから、胸の奥で何かが軋んだ。


 あれ以来、私は素直に沙織ちゃんのことを「羨ましい」と思えなくなってしまった。

 それでも、その中で輝く姿はとても眩しくて、だからこそ余計に遠い世界の存在だと感じてしまう。


 私は「大変なんだろうな」って思う程度で、また傍観者に戻る。

 どれだけ沙織ちゃんの力になりたいと願っても、私が届くのはその程度。

 彼女は光の側にいて、私はその光を見上げる影の一部でしかない。


 ……それでも、ね。

 ため息をつきながら教室を出ていく沙織ちゃんの背中を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 完璧な彼女も、嫌そうに眉をひそめるときがある。


 そんな“人間らしい”姿を見つけて、私はほっとしている。

 同時に、そんなことで安心している自分を、どこかで軽蔑してもいる。


 彼女が嫌がっているのに、私は嬉しい。

 その歪んだ気持ちを抱きしめるように、胸の前で手を重ねた。

 ざわめく教室の中で、一人だけ違う時間を生きているような感覚がした。


 それでも、沙織ちゃんに寄り添いたいって思いは消えることはない。

 けれど、その気持ちに手が届くほどの自信もなくて、許してくれるのかなって恐くなる。

 無力感と失望感の底で、私はずっと問い続けていた。私にそんな資格があるのかなと。


 ジャンケンには負けてしまったので、私はいつもの友人たちと机を囲み、お弁当を広げていた。

 今日は母が作ってくれた卵焼きが少し甘い。冷めてもやわらかくて、口に入れるとじゅわっと広がる。


 白いご飯の上には、昨日の夕飯の残りらしい照り焼きチキンが一切れ。照りの強いタレが染みていて、少し濃い味が妙に安心する。

 その横で、友達がミニトマトを楊枝で刺して口に入れた。


「ねえ、昨日の体育の白鳥さんさ、まじでヤバかったよね。ロングパスをそのまま、シュートだよ。美しすぎて、マジヤバい」

「わかる〜! あれほんと感動した」

「坂尾さんも頑張ってたよね? 白鳥さんにいっぱいパスしてた」

「え、ううん、たまたまだよ。その分、いっぱいミスしたし」


 苦笑しながら答えると、みんなもつられて笑ってくれた。

 けれど、どこかぎこちない。

 箸を動かす音と、少し伸びた沈黙の隙間。

 笑い声の奥に、妙な“間”があることに気づいてしまう。


 ふと顔を上げると、みんなの視線が私の手元に集まっていた。

 遠慮、羨望、嫉妬、そしてほんの少しの畏れ。

 そのどれもが、いつも沙織ちゃんに向けられているものに、よく似ていた。


 直樹っていう彼氏がいることが公になったのも、少しは影響しているのかもしれない。

 でも、決定的なのはやっぱり──昨日のあの時間。


 沙織ちゃんがみんなの前で、私の手を取って、連れ出してくれたあの瞬間。メイクと称して、彼女の指が私の頬を撫でてくれたあの瞬間。

 あの教室のざわめき、息を呑む気配、わずかに聞こえた「いいなぁ……」という囁き。


「ねぇ、そのチーク、白鳥さんにしてもらったの真似た感じ? めっちゃ似合ってる」

「あ、うん……そう。一人でも出来ないかなってやってみたけど、なかなか上手く出来なくて」

「いいなー。私も白鳥さんにメイクして欲しいなぁ。坂尾さん、なんとか白鳥さんにお願い出来ないかな?」

「……うーん、出来なくはないと思うけど。たぶん自分でお願いした方が良いと思うよ」

「それが出来てたら、こうやって頼まないよー」


 そんな何気ない会話の中で、私は箸を止めた。

 みんなの笑顔は優しいけれど、その中に少しだけ“線”が引かれている。

 私はその線のこちら側にいるのか、それともあちら側に立たされているのか。


 その答えが怖くて、笑うしかなかった。


 昨日、沙織ちゃんにメイクをして貰っていたとき、私はその空気に気づかなかった。

 いや、正確には──気づかないふりをしていた。

 みんなの羨望の視線を感じながら、沙織ちゃんに特別扱いされることが、ただ嬉しくて、心地よくて。


 私はあの時、周囲のざわめきなんてどうでもよかった。

 沙織ちゃんの指先が私の頬をなぞる感触だけで、世界がいっぱいになっていたから。


 今になってようやく分かる。

 あの視線の意味も、そこに含まれた距離も。

 私のほんの少し後ろ──まるで沙織ちゃんが隠れているみたいに、彼女の存在が私の輪郭に影を落としている。


 私は変わらず、みんなと仲良くしたいだけなのに──なぜか、心が遠い。

 笑顔のまま話していても、どこか膜が一枚隔てているような感覚。

 みんなの声も、少しだけ遠くから聞こえる。

 私は何も変わっていない。


 変わったように見えるのは沙織ちゃんがすごいだけ。

 それなのに、まるで私だけが別の場所に立っているような気がした。


 もしかして──沙織ちゃんも、いつもこんな気持ちを抱えているのかな。

 周りに憧れられて、羨ましがられて、それでも誰かの隣にいたくて。

 そんな居心地の悪さと、少しの誇らしさが混ざったような感情。

 ほんの少しだけ、それが分かった気がした。


「坂尾さーん、なんか2組の子が呼んでるー!」


 唐突に、教室の入口のほうから声が響いた。

 箸を持つ手が止まり、口の中に入っていたご飯を慌てて飲み込む。

 喉の奥がちょっと痛くなる。

 私が呼ばれることなんて、今まで一度もなかった。


 冗談かと思って周囲を見渡すと、みんなも「え?」という顔で私を見ている。

 声をかけてくれた子に視線を向けると、ちゃんと目が合った。

 それでも信じられなくて、自分を指さして確認する。

 彼女は無言でコクリと頷いた。


「え、私? 誰か別の人じゃなくて?」

「うん、坂尾さんに用事だって」

「……分かった。すぐ行くね」


 そう答える声が、思っていたよりも上ずっていた。

 お弁当箱にそっと蓋を被せる。

 まだ半分も食べていないけれど、もう味なんて分からなかった。


 友達に「ちょっと行ってくるね」と目配せをして立ち上がる。

 机の脚が床を擦る音が、やけに大きく響く。

 教室の空気が、一瞬だけ私の動きに引きずられたように静まり返った。


 ──誰が、私に?

 何の用事で?

 全く検討がつかない。


 一瞬、直樹の顔が浮かんだけれど、すぐに首を振る。

 アイツなら、わざわざ別のクラスの子に頼まず、自分で顔を出すはず。

 扉の外を覗いても、彼の姿はない。

 じゃあ、誰?


 足元が少しふらつくような感覚のまま、私は廊下に出た。

 昼休みのざわめきと、窓から差し込む白い光。

 その中に、ぽつんと立っている女の子がいた。


 肩までの髪。整った前髪。スカートの裾を少しだけ握っている。

 顔は見たことがある。2組の、確か……名前は思い出せない。

 でも、話したことなんて一度もない。


 なのに、彼女はまっすぐ私を見つめていた。

 視線が交わった瞬間、胸の奥がざわりと揺れる。


「……あ、あなたが坂尾由梨ちゃん?」

「……あ、はい。そうですけど」

「ちょっと着いてきて貰っていい?」

「……は、はぁ。いいですけど」


 呼び止めたその女の子は、私の顔を確認しながらも、どこか落ち着かない様子だった。

 肩までの髪を指でいじりながら、視線を泳がせている。私と目を合わせたのはほんの一瞬だけ。

 まるで、何かを頼まれて仕方なくやっているような──そんな雰囲気。


 私は余計に訳が分からず、ただ曖昧に頷くしかなかった。

 そのままの流れで、彼女の背中を追いかけるように歩き出す。


 昼休みの喧噪がまだ残る廊下。

 教室の中からは笑い声と机を引く音、パンの袋を破く音が聞こえる。

 けれど、その声が遠のくほどに、私の足音だけが妙に響いていく。


 曲がり角をいくつも曲がり、渡り廊下を抜けたあたりで、空気がひんやりと変わった。

 校舎の端──普段ほとんど人のいない階段の踊り場。

 ここに来た瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。


 「ごめんね、私は連れて来てって言われただけだから」


 案内してきた女の子が、申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げた。

 その声には、どこか怯えのような響きが混じっていた。

 そして彼女はすぐに踵を返し、足音を立てて走り去っていく。

 足音が廊下の奥で消えると、世界が一瞬で静まり返った。


 私は立ち尽くしたまま、状況を理解しようとする。

 でも、頭の中が白くなって、思考がまとまらない。

 呼吸が浅くなり、指先がじんわりと冷えていく。

 ──なぜ、私が呼ばれたの?

 ──誰が、何のために?


 その答えは、次の瞬間に現れた。


 階段の影から、ゆっくりと一人の女子が姿を現す。

 制服の裾を整え、髪をかき上げながら、まっすぐこちらを見据えてくる。

 その目は、どこか獲物を見つけた肉食獣のように静かで、冷たい。


 「……高木、莉里……さん……?」


 喉の奥でその名前を呟いた瞬間、背中を冷たいものが走った。

 彼女は軽く笑うでもなく、ただ淡々と──けれど確かな敵意を孕んだ目で、私を見つめていた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ