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第44話 女の子にご褒美あげちゃうの♡

「……す、好きです。付き合って下さい!」


 声が震えていた。

 覚悟を振り絞ったような、少し裏返った声。

 私はひと呼吸だけ置いて、出来るだけ優しい声で答える。


「ごめんなさい。気持ちは嬉しいんだけど、私、今あまり男の人と付き合うとか考えてなくて」


「そ、そうなんですね……」


「気持ちはちゃんと受け取るね。でも、お付き合いは出来ません」


 彼の肩が、すっと力を抜かれるように落ちた。

 その瞬間、安堵と、ほんの少しの落胆が入り混じった空気が伝わってくる。

 きっと、結果は分かっていたのだろう。


 ——申し訳ないけれど、私は女の子しか愛せない。

 特定の子とかと付き合うことは出来ないけれど、ずっと女の子たちの笑顔の中にいたい。

 女の子たちと笑って、肩を並べて、生きていたい。

 それが、私にとってのいちばんの幸福だ。


 女の子を想うだけで、胸の奥がほんのりと熱くなる♡

 優しい光が心の中にぽうっと灯るような、そんな感覚♡♡

 足のつま先までじんわりと温もりが広がって、背筋が自然とぴっと伸びた♡♡♡


「じゃあ、ごめんなさい。人待たせてるから、先行くね? バイバイ」


 彼に軽く微笑みかけて、私は体育館裏を後にする。

 角を曲がると、すぐそこに——同じクラスの女の子が立っていた。


 両手には、購買のビニール袋と、その中のサンドイッチにパック飲料。

 それを胸の前でぎゅっと抱えるように持っている。


 いつもは無邪気な瞳が、どこか複雑な色を帯びて、私の顔と、私の後ろからやって来た男子の背中を交互に見つめている。

 男子は申し訳なさそうに、小走りで去って行った。


 まるで、笑い方を一瞬だけ忘れてしまったような表情。

 けれど、その唇の端には——抑えきれない好奇心と、ほんの少しの安堵の影がある。

 秘密を覗いてしまった子どものように、頬を紅潮させながら、息を詰めて立っていた。


「わざわざありがと。ごめんね、変なのに付き合わせちゃって。面白くもなんともなかったでしょ?」

「……そ、そんなことないです。隠れて見てたから、少しドキドキした」

「……もう、恥ずかしいなぁ。でも、覗きなんて、悪い子だ」


 軽く冗談めかして言ってみせると、彼女は途端に頬を染めた。

 手に持った袋をぎゅっと握りしめ、視線を泳がせる。


 たぶん彼女にとって、これはただの“覗き見”ではなかった。

 まるで、恋愛という物語の幕を、自分の目の前でリアルに開いてしまったような──そんな衝撃。

 体育館裏の空気は、彼女の中でフィクションと現実が交差する境界線のように見えたのだろう。

 そして、いま彼女は、たぶんその境界に飲み込まれている。


 急いではいるけれど、せっかく待っていてくれた子をそのまま放っておけるはずがない。

 わざわざ時間を割いてここに来てくれて、何も言わずに見届けてくれた。

 それでもって、笑ってサンドイッチを差し出してくれるなんて。

 感謝を言葉にしても足りない気がした。


 言葉よりも先に、胸の奥にあった感謝と何か温かいものがせり上がってくる♡

 彼女の中の“現実”が軋んで、きらめくような熱が生まれていく♡♡

 それを見ていると、こちらの心拍まで釣られて速くなっていった♡♡♡


 照れ隠しに笑ってみせると、彼女の黒目がふっと揺れた♡

 まるで光を飲み込むみたいに、瞳が深く、濡れたように光っている♡♡

 その視線の奥にある衝動が、静かにこちらの心を溶かしていく♡♡♡


 呼吸が浅くなる♡

 胸の奥がきゅっと詰まって、息をするたびに痛みが走るようだった♡♡

 「ダメだよ」と理性が言う。でも、それよりも先に身体が反応している♡♡♡


 指先が、ほんの少しだけ震えた♡

 心拍が速い。まるで地面の下から脈打ってくるような、低く重たい鼓動♡♡

 どうしてこんなに、彼女の表情に引きずられてしまうんだろう♡♡♡


「……どうしたの?」

 自分でも驚くほど、声が掠れていた。


 彼女の唇がわずかに動く♡

 けれど、言葉は出てこない♡♡

 その沈黙の中に、確かな意思があった♡♡

 “求めている”という単語すらいらない。もう、全部目でわかる♡♡♡


 気づけば、距離が詰まっていた♡

 肩と肩の間にあった空気が、もうほとんど残っていない♡♡

 触れたわけじゃない。けれど、触れてしまったような錯覚♡♡

 熱が伝わる。空気越しに♡♡♡


 心臓の音が、耳の奥で響いている。

 この鼓動を聞かれたらどうしよう──そんな子どもみたいな考えが浮かんで、苦笑した。

 でも、彼女の瞳がこちらを捉えたまま離れない。

 もう、ごまかしは利かない。


 私は女の子の幸せのためにある。

 誰かの気持ちを踏みにじるようなことはしてはいけない。

 そう分かっているのに、目の前の彼女の“想い”が、あまりにもまっすぐで、その熱の中で、理性がふわりと溶けていく。


 ──少しくらいなら。

 たったひとときでも、この子の想いに応えられるなら。


 そう思った瞬間、すべての音が消えた。

 風も、遠くの掛け声も。

 残ったのは、彼女の瞳と、自分の心臓の音だけ。


 その沈黙の中で、私は小さく息を吐いた。

 そして、ほんのわずかに──心を、傾けた。


「……ねえ、ご褒美、欲しい?」

 その言葉が、空気の表面張力を破ったように静かに落ちる。

 彼女のまつげがぴくりと震え、頬の温度が上がっていくのが目に見えるほどだった。


「……え?」

 小さく漏れた声は、まるで水面を撫でる風みたいに頼りない。

 けれど、その一言の裏には、驚きと期待と──ほんの少しの恐れが混ざっていた。


「いいよ、なんでも言うこと聞くから。そういうルールでしょ?」

 冗談めかして笑ってみせる。

 けれど、胸の奥では別の何かがざわめいていた♡

 心臓がドクン、と強く鳴るたび、世界の輪郭が淡く滲む♡♡

 視界が明るくなったり暗くなったり、まるで夢の中みたいに現実が呼吸している♡♡♡


「……して欲しいこと言って?」

 理性が「落ち着け」と囁くのに、体が勝手に熱を帯びていく♡

 ハッキリしているのに、どこか遠く──そんな二重の意識が自分を包んでいた♡♡

 この“ルール”の中で、私は少しずつ自分を手放していく♡♡♡


「……撫でて欲しい、です。坂尾さんみたいに、頭を撫でて欲しい……」

「……分かった。いいよ、いっぱい撫でてあげる」


 彼女の言葉に応える瞬間、過去の記憶がふっと蘇る。

 由梨ちゃんの柔らかい髪。

 あのときの空気の温度、陽の光が差し込む角度、

 彼氏の視線を意識しながら、私だけの証のように撫でた感触──。

 その一瞬が、今、再び指先に戻ってくる。


 そっと、指先を伸ばす。

 けれど、触れる直前で止まった。

 たった数センチの距離が、永遠にも感じられる。

 空気の中で指が泳ぐたび、そこに見えない緊張の糸が張りつめる。


「……触るよ? いい?」

 声を出すと、彼女は小さく頷いた。

 その動作に、覚悟と甘えが同時に宿っている。


 指が髪に触れた瞬間、空気がふわりと震えた。

 まるで、見えない花が咲いたみたいに、柔らかな音がひとつ生まれる。

 髪の一本一本が、感情の糸のように指に絡まり、

 撫でるたび、微かな静電が“ぱちっ”と弾けて、音になって消えていく。


 それはまるで、言葉にならない対話だった。

 髪を通して伝わる熱、頭皮のわずかな動き、呼吸の乱れ。

 すべてが繋がって、ひとつのリズムになる。


 彼女の瞼がゆっくりと閉じる。

 吐息がこぼれ、空気が柔らかく波打つ。


 撫でるたびに、こちらの鼓動が速くなる。

 “ご褒美”をあげているのは私のはずなのに、

 なぜか、蕩けているのは私の方だった。


「……気持ちいい?」

 声に乗せた息が、彼女の耳のすぐそばでほどける。


 手のひら全体で包み込むように、ゆっくりと撫でた。頭の丸みに沿って、根元から毛先までをなぞる。撫でるたび、髪の繊維が微かな音を立て、静かな呼吸に溶けていった。


 彼女の呼吸は浅く、リズムを忘れたように揺れている。視線を落とすと、頬にはやわらかな赤みが差し、まぶたは半ば閉じられ、唇は言葉の代わりにわずかに震えていた。まるで、その一瞬を壊すことが惜しいとでも言うように。


 その無防備な表情が、どうしようもなく胸に刺さった。撫でる手を止められない。触れるたびに、指先から心臓へ伝わってくるような鼓動の連鎖がある。まるで、お互いの境界が熱で曖昧になっていくような。


 彼女は声も出さず、小さく頷いた。髪が頬に流れ、肩がわずかに震える。答えの代わりに、もう一度撫でた。

 今度は、指先を交差させるように、髪の奥へと潜り込ませる。柔らかな髪が指に絡みつき、ゆるやかに抜けていく。手のひらで温度を感じ、指先で輪郭を確かめる。


 ひと撫でするたびに、呼吸の音が変わる。吐息と静電のような微かな音だけが、外の空気を震わせた。


「……ちゃんと目、見て」

 囁きながら、髪を撫でていた指先が顎のあたりで止まる。

 細くて白い指が、彼女の輪郭をすくい取るように留まり、そのままゆっくりと彼女の瞳を捉えた。


 潤んだ瞳が、光を宿して揺れている。

 まるで何かを訴えるように、あるいは懇願するように、微かな震えをたたえて。

 その揺らめきの奥に映っているのは、私だけだった。

 揺れる木の葉も、陽の光も、全部が滲んで消えていく。世界が小さく、二人の呼吸だけで満たされていく。


 理性も倫理も、もうどこか遠くの岸に置いてきたように感じる。

 この瞬間だけでいい。ただ、彼女が幸せでいてくれたら──それでいい。

 その想いに突き動かされるように、指先が再び動き出す。


 髪を梳くように、頬の輪郭をなぞる。

 何度も、何度も。

 そのたびに、彼女の黒い瞳がゆっくりと細まり、まつげが震えた。

 まるで、私の指が触れるたびに、彼女の感情の波が伝わってくるみたいで──

 不意に、私の胸の奥にも熱が広がっていく。

 撫でているのに、撫でられている気がした。

 彼女の瞳の中に映る自分を見つめているうちに、どちらが触れているのか、境界があやふやになっていく。


 ぽとり、と音を立てて、彼女の手からビニール袋が地面に落ちた。

 驚いたように視線をそちらに向けようとする彼女の肩を、私は逃さず抱き寄せた。

 腰に手を回し、引き寄せる。

 その瞬間、彼女の身体がふわりと跳ねて、力が抜けた。

 胸の中に収まった身体は驚くほど軽く、柔らかくて、微かな呼吸の震えが胸の鼓動に重なる。


 髪が頬に触れ、かすかに香りが立ち上る。

 雨上がりの草の匂いに、少しだけ甘い果実のような香りが混じっていた。

 息を吸うたびに、心臓の奥が淡く震える。


「……いいの。今は貴女だけの時間だから」

 指先はそのまま、髪を撫でながら後頭部へ、そして首筋へ。

 指の腹が触れるたび、肌の温度が掌に伝わる。

 それは確かに、生きている証の温度。

 指先から、その温もりが心臓にまで伝わっていく。


 彼女の背中を包み込むように抱きしめると、世界が静かになった。

 外の音も、時間の感覚も、すべてが遠ざかっていく。

 残るのはただ、ふたりの鼓動と、撫でるたびに微かに揺れる呼吸の音だけだった。


「……胸の音、聞いてみて?」

 自分でも驚くほど穏やかな声だった。

 まるで、胸の奥の鼓動そのものが言葉になったような、そんな響き。


 彼女は一瞬ためらうように目を伏せ、それから静かに顔を寄せてきた。

 頬が触れ合う距離で息を吸い、ゆっくりと胸のあたりに額を預ける。

 その瞬間、肌の間に流れる空気がふっと震えた。


「とくん、とくん、って鳴ってるの」

 彼女の吐息が、薄い布越しに伝わる。

 それだけで心臓がひとつ、強く打つ。

 音が彼女の耳に届くように、腕の力をほんの少しだけ強めた。

 抱き寄せるでもなく、包み込むでもなく──ただ、確かめるように。


 髪を撫でる指先が、耳の後ろや頬に触れるたび、彼女の身体が小さく反応する。

 そのたびに、細い呼吸が肩先で震えて、温度が交わる。

 とんとん、と呼吸に合わせて、彼女の背中を叩いて、刺激と共に、落ち着かせていく。


「……気持ちいい? 由梨ちゃんの見て、羨ましかったのかな?」

 その声は、まるで胸の奥から滲み出たような柔らかさを帯びていた。

 撫でていた手のひらの下で、髪が静かに流れていく。

 細くて、軽くて、それなのに、確かに“生きている”という実感を指先が覚えていく。


 彼女は「うん……」と小さく返しながら、髪の間に顔を寄せる。

 そこから香る微かな匂い──甘いシャンプーと、体温の混ざった匂いが心臓をさらに早く打たせた。

 掌の中にある柔らかさが、どんな言葉よりも雄弁に気持ちを伝えてくる。

 彼女は目を閉じたまま、少しだけ唇を緩めて笑った。

 その笑顔が、切ないほどに綺麗だった。


 腰に回していた手に、自然と力が入る。

 けれど、すぐに緩めた。


 上体を少しだけ離すと、彼女の瞳がゆっくりと開かれた。

 潤んだ黒目が光を宿し、どこか夢の中にいるような表情でこちらを見上げてくる。

 その視線に胸が締めつけられる。

 あまりに愛しくて、どうしていいか分からなくなる。


 そのまま髪を撫でながら、顔の輪郭を指でなぞる。

 頬の曲線、顎の形、唇の影──すべてがひどく近い。

 指先が口元で止まり、親指がそっと唇の端に触れた。

 柔らかい。

 それだけで、全身の温度が一気に跳ね上がる。


 彼女の唇が、わずかに震えた。

 呼吸が絡み合い、世界がまた少し狭くなる。

 たった一つの鼓動の音が、胸の奥で重なった。

 誰のものかも分からないままに、静かで熱い、時間が流れていった。

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