第43話 女の子という光は永遠なの♡
「……で、わざわざこんな手紙くれたってことは、何か言いたい事があるんだよね?」
そう言いながら、自然な仕草でポケットから封筒を取り出す。
声のトーンはあくまで柔らかく、告白なんて言葉は使わず、感情も乗せない。
期待も拒絶も混ぜず、ただ“穏やかに整えた表情”で。
──わざわざ緊張させる必要はないし、でも本気で取られても困ってしまう。
嫌味にならない距離感と、好意を持たれない距離感。
その両方のバランスを取るのは、思っているよりずっと難しい。
しかし──「大いなる力には大いなる責任が伴う」なんて、よく言ったものだ。
どんな資本も、どんな才能も、それが人より少し突出しているだけで、同時に“破滅の方向へ傾く力”も強まっていく。
お金を持つ人が投資を誤り、気づけば借金まみれになっているように。美貌を持つ人ほど、周囲の期待や欲望の渦に飲み込まれて、自分を失っていくように。
力というのは常に、自分を守るものではなく、時に自分を傷つける刃にもなる。
美しさや魅力というのは、極めてシンプルに、そして残酷なまでに“人を惹きつける力”を持っている。
視線の先で、誰かの欲望を生み出してしまう。
だからこそ、扱い方を間違えれば──その力に振り回されて、自分の存在が“他人の欲望の燃料”に変わってしまう。
大きな力は、必ず人を集める。
お金を持てば人が寄ってくる。権力を持てば人が媚びてくる。
そして、美しさを持てば──それはもっと直接的に、もっと生々しく、誰かの“感情”を引き寄せる。
性的資本という力は、特にその性質が顕著だ。
それは「どう活かせばいいか」という明確な正解が存在しない。
経済のように数値で管理もできないし、学問のように体系化もできない。
にもかかわらず、女の子たちは──まだ自分の価値を理解する前から──その資本を“持たされてしまう”。
何の準備もなく、何の覚悟もないままに。
幼い頃から「可愛い」と言われ、「モテそう」と囁かれ、それが褒め言葉であると同時に、世界の中で自分の“居場所のラベル”として貼られていく。
それがどれほど危ういかを知るのは、ずっと後になってからだ。
性的資本とは、そういう意味で恐ろしく、残酷な資本だと私は思う。
本人の意思に関係なく、人の視線に晒される。
まだ何者でもない少女たちが、他人の欲望という巨大な潮流の中で、無意識のままに価値づけられていく。
そして──性的資本の最大の力とは、「男という存在を魅了し、好意という名の服従を引き出すこと」にある。
恋愛感情というのは、結局のところ“服従の形式を甘く言い換えたもの”だ。
惹かれ、尽くし、奪われ、支配される。
それを“愛”という言葉で包んで、人は納得しようとする。
けれど、生物学的な視点から見れば、女性の身体は常にリスクを抱えている。
出産には命の危険が伴い、産み育てれる数にも限界がある。
だからこそ、繁殖という観点で見ても、数多くの男性を囲うことに現実的な意味はない。
結婚という制度は、そうした生物的・社会的な構造の上に築かれた“最適化された仕組み”なのだろう。
優れた男性を選び、愛という鎖でつなぎ、経済的にも精神的にも安定を得て、子を育てる。
それは倫理でも、ロマンチックな幻想でもなく、性的資本を長期的に安定運用するための最適な戦略の一つなのだ。
もちろん、別の道もあるにはある。
若い頃の性的資本を、そのまま市場に投じ、短期的に金銭という形で回収する。
それによって得た金融資本を、株式や、資格、留学、自分自身という人的資本へと再投資する。
再投資された資本は、配当や値上がり益という形で人生に彩りを与えてくれる。
確かに、理屈としてはそれも賢い選択に見える。
だが、その行為は同時に──自らの身体を、商品として差し出し、穢させるということでもある。
私は女の子という美を愛している。
その美を愛する私が、自らその身体を男という劣性因子に穢させるなんて許されない。
いくら戦略的であったとしても、その選択を取る自分を、どうしても想像することができなかった。
資本としての身体は、いずれ減価する。
でも、“尊厳としての身体”は、どう使うかによって、永遠に輝きを増すものだと信じているから。
では──その“優れた男”と、どうすれば結婚できるのか。
これは、社会の常識でも、恋愛指南書の答えでもなく、あくまで私の個人的な考えにすぎない。
けれど、女の子たちが誰もが一度はぶつかる現実──「時間の制約」という、残酷な真理に突き当たる。
女の子の身体には、“出産のタイムリミット”という見えない砂時計が埋め込まれている。
若くて、健康で、肌が張り、瞳が光り、髪が艶を放っている──。
そうした「性的資本のピーク」にあるうちに、より優れた男を捕まえて、“逃げ切る”ように結婚へと持ち込もうとするのは、ある種の本能に近い。
けれど、その戦略は、思っているほど上手くはいかない。
なぜなら──男たちは、その“逃げ切り”を本能的に察知しているからだ。
優れた男というのは、多くの場合「時間と共に価値が上がる資本」を持つ存在だ。
社会的地位、年収、経験、信用、実績──。
年齢を重ねるほどに、その資本は成熟していく。
一方で、女性の性的資本は時間と共に毀損していく。
若さという“即効性のある資産”は、時間の経過に逆らえない。
だから、同じタイミングで二人が出会い、恋に落ちたとしても、その瞬間の“価値の釣り合い”は、時が経つほどに崩れていく。
結婚という長期契約を交わそうとしたとき、男の側からすれば、それはまるで“減価していく資産”を抱え込み、損するかのように感じてしまうのだ。
それゆえに、男は慎重になる。
「今、付き合うのは楽しいけど、十年後は……?」と。そんな計算を、意識せずとも、心のどこかでしている。
一方で、女の子のほうは焦りを抱える。
「今逃したら、もう二度と、こんな人には出会えないかもしれない」と。
こうして、双方の時計の針はズレていく。
価値の曲線が交わるわずかな期間──その刹那の交差を“恋愛”と呼ぶのだとしたら、結婚とは、その価値の交点を中長期的に均すことで、“契約”に変える仕組みになる。
でも、その契約を結ぶのは、簡単じゃない。
時間と共に価値が上がる男に、時間と共に価値が下がる女が挑むのだから、それはどうしたって“傾いた取引”になる。
だから、優れた男の多くは“消費”という形でしか関わろうとしない。
いずれ価値が落ちるなら、その価値が高いうちだけ、美味しく頂いて終わりにすればいい。
──つまり、現時点で同じぐらいの価値を持つ男女の恋愛とは、本質的には「性的資本の消費行動」にすぎない。
長期的な投資ではなく、短期的な快楽。
契約ではなく、取引。
ロマンスの皮をかぶった、等価交換。
そして、その現実を女の子自身が気付けるのは、いつだって少し遅い。
自分の価値という眼鏡は、曇りやすい。
他人から見れば眩しく輝いているうちに、
自分ではまだ大丈夫だと信じ込んで、気づけば、“市場価値”の変動に取り残される。
ちょうどいいと思った相手でも、結局は自分を消費していくだけの関係で終わってしまうこともある。
まるで誰かが決めた市場のルールの中で、自分の身体と心を“減価償却”していくように。
対等に見える相手との恋愛が、結局のところ互いの“資本”の消費に過ぎないのだとすれば、真に長期的な契約──つまり結婚──を結ぶためには、どうすれば良いか。
それは、男のように時間と共に自分の価値を上げていくか、その恋愛という消費行動の中で二人だけの思い出や信頼という新たな資産を創造するか、あるいは未来に値上がる男に先んじて投資するしかないのだと思う。
素材が良い、あるいはまだ学生という“未完成”な段階にある男の中には、社会に出てから大きく伸びる人もいる。
学び続ける意志、挑戦を恐れない胆力、他者への誠実さ──
そういった一見して数字に見えない“無形資本”こそ、将来の価値を決める最も確かな指標だと信じて、そんな男に賭けるしかない。
それを見抜ける目を持てたなら、
将来、彼がどんなに優れた資本を得たとしても、
きっと、その信頼を借りとして覚え、
時を経て、利息のように愛と誠実を還元してくれるだろう。
当時の何も持たなかった男が返せるものなんて、誠意以外に存在しないのだから。
でも、そういった相手を見つけるのって、本当に途方もなく難しい。
昔は違った。お見合いという仕組みがあって、親や仲人が“選ぶ”という作業を一部引き受けてくれていた。相手の素性や家族、評判を第三者が確認し、ある程度の安全網が張られていた。恋はそこから始まることも多かった。
けれど、自由恋愛が当たり前になり、その安全網は解体された。自分の心で選べるようになった代わりに、選ぶ責任そのものが丸ごと個人に返ってきた。
だから、DVや借金漬けや浮気の話がでると、
「でも、その人を選んだのは貴方だよね?」って言葉が必ず飛んでくる。
猫かぶりや詐称もあるのに、そんなの結婚前から見抜けるなんて保証は、誰にも出来ない。
それでも、私たちは“見極めろ”と要求される。
でも——それでも見極めないといけない。
なぜなら、自由とは同時に“孤独な責任”を背負わせる制度だから。
好きに選べるという自由は、美しいけれど残酷でもある。
選択の権利を受け取った瞬間、結果のすべてを引き受ける義務も手渡される。
選ぶ自由。
選び損なうリスク。
そして、その責任は誰とも分かち合えない。
つまり、恋愛とは、つまるところ「自分の人生を誰に賭けるか」という選択の命題に他ならない。
短期的な熱情や刺激で結ばれる関係は、資本の交換でしかない。
でも、互いの人間性を信じて、未来に向かって時間を重ね合う関係は、それこそ“人生の共同投資”のようなものだ。
だから、私が思う“本当の恋愛”とは──
「今ある価値を交換し合うこと」ではなく、
「まだ見ぬ未来に、お互いの生命を賭け合うこと」。
その覚悟を共有できる相手を選ぶことなのだと思う。
……なんて、一丁前な理屈を並べてはみても、
そんな理想的な男が現実にいるとは、とても思えないのだけれども。
女の子という光は永遠で、どんな時でも輝いてて、ただ在るだけで世界を照らす♡
性的資本なんて言葉に惑わされないで♡
若さなんて幻想に縛られないで♡♡
女の子たちは、どんな時でも綺麗で、可愛くて、
愛されるために生まれてきた奇跡そのものなんだから♡♡♡
女の子って……ほんとに……可愛すぎて……♡胸がじゅわって溶けてく……♡
脳がしゅわしゅわって泡立って……全部女の子って言葉で満たされる……♡
もう……好きって言葉で溢れちゃう……♡
「……あ、あの、……えと……」
「…………」
黙って、静かに待つ。
肩が少し上がって、視線が泳いで、喉が小さく鳴る。
──緊張と、早く終わらせたいっていう恐怖感。
その二つが、目の前の男の全身から溢れていた。
もちろん、好意もゼロではないのだろう。
けれど、それはどこかに押し込められて、ほとんど伝わってこない。
──もしかして、とふと察してしまう。
これは何かの苛めか罰ゲームなのではないかと──そう直感した瞬間、胸の奥に冷たい鉛が落ちるような感覚が走った。
誰かが「告白してこい」とからかって、押し付けあって、辿り着いた矢印がたまたま私に向いたのだろう。そんな遊びは、よく目立たない子や弱い立場の子を標的にする。
だけど、たとえ相手が誰であれ、女の子を傷つけるような真似を私は絶対に許さない。どんな子だろうと“見世物”されてしまう空気を放置するわけがない。
そして、ふと思い出す。
この男は莉里のクラスの子だった、と。
莉里が私のことをどこか突き放すように見ているのは、誰の耳にも入っている噂事実だ。
きっと誰かが流れで「やれ」と焚きつけたものは良いものの、告白に都合の良い女の子がおらずに引っ込みがつかなくなったのかも。
そこで莉里への忖度が働いて、この事態の落とし所が私に回ってきた──そう推理すると、この手紙という中途半端な手法も妙に合点がいく。
面と向かわせれば、イジメの関係者が誰か判明し易い。
しかし、手紙という文面を通せば、責任を出した本人に押し付けることが出来る。
DMなんかより、手紙の方がずっと面白くもある。
もしそうだとするならば、目の前で、震えるこの男に少しだけ同情してしまう。
この状況に巻き込まれて、誰かの笑いを取るために、わざわざ震えながら立っているこの男の子に。
──なんて、全部私の勝手な想像にすぎないけれど。
しかし、もし私の想像通りだったとしたならば、このイジメは、さすがに許容できない。
胸の奥に、ひやりとした怒りが静かに沈殿していくのがわかる。
男相手であっても、虐めを許す空気を一度作ってしまえば、それは必ず形を変えて女の子たちへ波及する。
そして、そんな空気は──声を荒げることの出来ない、優しくておとなしい女の子たちを、真っ先に怯えさせる。本来怯える必要なんてどこにもないのに。
莉里の周りのすべてを飲み込むような眩しい輝きは、確かに魅力的だ。
まるで太陽のように、彼女の存在が場を支配し、他の人たちの感情さえも引き寄せてしまう。
でも──もし私の想像が正しいのだとしたら。
その輝きが生み出す影は、私の主義に反してしまう。
私は、女の子たちが泣くのを見たくない。
誰かを貶めて笑う笑顔よりも、互いを照らし合って笑う姿が見たい。
「女の子はみんな私が守りたい」と思うのは、きっと理屈じゃない。
守るというより、「奪わせたくない」のだ。
その無垢な笑顔も、自分を信じる力も、まだ名前をつけられない未来の可能性も──。
莉里の輝きを翳らせてしまうことになるかもしれない。
それでも、見過ごすことだけは出来ない。
学校での立場が危うくなれば、より悪い男の深みに堕ちていくのだろう。
それでも、その輝きが本物であるなら、なおさら守らなきゃいけない。
だって、女の子はみんな、笑って輝いてくれなきゃ嫌なんだ。
泣いている顔なんて、似合わない。
そのためなら、私は何でもやる。
冷たい目で見られても、嫌われても構わない。
そんな決意の音だけが、心臓の鼓動と一緒に鳴り続けていた。




