第42話 来てくれる女の子が待ち遠しいの♡
昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴り終わると、机に突っ伏したい衝動を抑えて、小さくひとつ、息を吐いた。
それから、意を決したように立ち上がり、体育館裏へと足を向ける。
「……じゃあ、恵美、私行ってくるから」
「はーい、ちゃんとそっちに一人送るから。よろしくー」
恵美の気楽な返事が心地良いような、良くないような複雑な心境。それでも、その返事があるだけでありがたい。
手紙にはただ『昼休み、体育館裏で待ってます』とだけ書かれていた。
“すぐ”なのか、“昼休みの終わり”なのか、そこすら曖昧で、なんとなくその雑さにもうんざりしてしまう。
けれど、私にはこのあと結菜ちゃんとの予定が入っている。
だから、さっさと行って、礼儀正しく断って、それから待ち合わせ場所の家庭科室に直行する。
それが昼休みの“段取り”だ。
もしも差出人が女の子かもって希望が頭を掠めるけれど、すぐに振り払う。期待しないに越したことはない。
お約束のような断り文句を頭の中でいくつも試しながら、体育館裏に着く。
人気はない。──それだけは、少し安心すると同時に不安にもなる。
それはまだ相手の男子が到着していないということでもあって、結菜ちゃんとの約束に間に合うのか、どんな人が来るかも分からない不透明感。
私が先に着いているというだけで、胸の奥がむっと熱くなる。
授業が終わったら真っ直ぐにここに来たのだから、この小さな不快感が理不尽なのは自分でも分かっている。
でも、人の貴重な昼休みの時間を使っているのなら、そのくらいの誠意は見せてほしい。
足元の砂をつま先で軽く蹴る。
その音がやけに大きく響いた。
──このあと、恵美のジャンケン大会で勝った子が購買でパンを買って、それから私のところへ来る手筈になっている。
それが私にとっての“ご褒美”で、皆の中ではちょっとしたイベントになっている。
体育館裏に一人でいる自分と、教室で賑やかに笑っている皆を想像して、少しだけ息がこぼれた。
こうして待っている時間も、どこか見世物の準備みたいで、滑稽だ。
でも──女の子たちが楽しんでくれるなら、それはそれで、悪くない。
そんなことを思いながら、スマホの画面を適当にスクロールしていた。
安全対策の一環として、ワンタッチでコール出来るようには既にしてある。
その確認をした後は、特に見るものなんてない。けれど、何もしていないと余計に時間の進みが遅く感じるから、ただ親指を動かす。
画面の明るさを落とした瞬間、視界の端で人影が動いた。
反射的に顔を上げると、体育館の角を曲がってくる男が一人。
距離にして十メートルほど。私に気づいて、立ち止まり、それからおずおずと近づいてくる。
──たぶん、同じ学年の人だ。
けれど、正直なところ、顔に見覚えはほとんどない。
名前も思い出せない。
いかにも大人しそうで、どこにでもいそうなタイプ。
ああ、なるほど。
“手紙なんて手法”を使うのなら、こういうタイプか、あるいはふざけ半分で目立ちたいタイプのどちらかだろうと予想していたけれど──こちらの方で少し安心した。
まだ、まともそう。
だから、ほんの少しだけ、警戒心を緩める。
それでも彼の動きにはぎこちなさがあった。
手の位置が定まらず、ポケットに突っ込むでもなく、ただ宙を泳いでいる。
視線は落ち着かず、私を見るたびにすぐ逸らしてしまう。
ああ、緊張しているんだ。
私に何を言うつもりなのか知らないけれど、きっとこの様子じゃ、まともに言葉を出すのも難しいだろう。
このまま沈黙が続けば、余計な時間を取られるだけ。
出来るだけ早く終わらせたいし、結菜ちゃんとの予定もある。
だから、こちらから切り出す。
少しだけ息を吸い込んで、声の調子をできるだけ穏やかに整える。
「……人違いじゃないと思うけど、ここに呼び出したの、君かな?」
「……は、はい、そうです……」
呼びかけた瞬間、彼の肩がびくりと跳ねた。
それから、数秒遅れて、絞り出すように返ってくる。
やっぱり。
声も小さくて、喉がひどく乾いている音がした。
私はスマホをポケットに戻し、軽くため息をつく。
性的資本、なんて言葉がまことしやかに使われるようになったのは、いつからだろう。
聞き慣れないくせに、どこか人を惹きつける響きを持っていて──そのくせ、使う人の多くが薄っすらとした嫌悪と羨望を込めている。
ルックスの良し悪しがやたらともてはやされるのは、突き詰めてしまえば単純な話だ。
誰が見ても一目で分かるから。
見た瞬間に、価値が“見える”から。
しかも、その価値は、理屈よりも早く感情を動かす。
頭の中で理解するよりも先に、目が反応して、心が反応する。
人間の感情なんて、結局のところ「認知」よりも「直感」に支配されているのだと、そんな当たり前の現実を思い知らされる。
けれど、冷静に考えてみれば、人の能力や価値なんて、そんな単純なものではない。
“頭がいい”と言われる人だって、知能が高いタイプもいれば、記憶力が優れているタイプもいる。
あるいは、答えを掴む直感に長けている人、論理の流れを整理するのが速い人──
同じ「頭がいい」でも、その中身は実に多角的で、曖昧で、定義の仕方によってまるで違う顔を見せる。
運動神経だってそう。
瞬発力がある人、再現性が高い人、身体感覚の鋭い人──全部違う。
“運動が得意”という言葉だけでは、何一つ説明になっていない。
性格に至っては、もっと複雑だ。
長所と短所が紙一重で、見る角度を変えれば真逆に評価が変わる。
優しさは優柔不断に、真面目さは堅苦しさに、社交性は軽薄さに。
だからこそ、性格なんてものは結局“印象”でしか判断できない。
言葉にすればするほど、輪郭がぼやけていく。
──そう考えると、ルックスというのは、なんて分かりやすいのだろう。
そこにあるだけで伝わってしまう。
説明も努力もいらない。
目が受け取った情報が、そのまま価値として感情を揺さぶる。
「綺麗」とか「可愛い」とか、そういう曖昧で感情的な単語が、どれほど強い意味を持つのかを思い知らされる。
だから、人は外見で判断してしまう。
他の能力は“確かめないと分からない”けれど、外見だけは“見た瞬間に分かる”。
表情や仕草──それもまた魅力のうちだろうけれど、それはむしろ性格の領域に近い。
だから今は、ひとまず置いておく。
ルックスって、総合力で評価される。
もちろん、顔のパーツひとつひとつに配点の違いはあるけれど──それでも、「目が百点だから他は三十点でも大丈夫」みたいな単純な構造ではない。
人は、目や鼻や口をバラバラに見るわけじゃない。
その人の“印象”として、瞬間的に統合して判断してしまう。
だからこそ、スタイル含めて、奇跡のようなバランスが必要になる。
造形の整いだけじゃなく、表情や光、肌の温度や声の響きまでが、一つの“美”を構成する。
人はほんの一瞬でそれを感じ取って──その一瞬で心を掴まれる。
理屈なんて要らない。
それはもう、呼吸のような反応だ。
受け取る側がどれだけ頭が良くても、あるいはまるで考えずに感情で動くタイプでも、
そこに生まれる“惹かれる”という感覚は、ほとんど同じ温度で共有される。
美しさには、理解を超えて“伝わる”力がある。
だからこそ、ルックスというのは、誰が相手でも一定の価値基準を担保できる。
そこに正しさや善悪の判断なんて介在しない。
ただ、見た瞬間に、心が動く。
このSNSが支配する時代では、それがなおさら顕著だ。
流れるようにスクロールされる情報の中で、一瞬で“目に留まる”というのは、何よりも強い。
可視的な魅力は、文章や思想よりも早く届く。
つまり、“刺さる”ことができる。
それは、誰にでも伝わる万能の武器であり、そして、使い方を間違えれば──あっけなく人を壊すほど強力な呪いにもなる。
「手紙、ありがとね。でも、ちゃんと名前とか時間も指定してくれないと困っちゃう。呼び出した女の子を待たせちゃダメだよ?」
「……す、すいません」
彼の声は小さく、風にかき消されそうだった。
そんな気まずさを、笑みで誤魔化すように息を吐く。
でも、その「性的資本」も万能じゃない。
どんな資本にも弱点はある。
お金持ちは、銀行口座にお金を預けてしまえば、それを他人に見せない限りは誰にも分からない。
頭の善し悪しも、テストや仕事の場で証明しなければ、日常ではそうそう判断されない。
運動神経だってそう。走る、跳ぶ、投げる──その瞬間を見なければ測れない。
でも、ルックスは違う。
それは“存在しているだけで晒される資本”だ。
どんなに控えめにしても、どんなに目立たぬようにしても、
外見は“見られる”ことから逃れられない。
美しい顔立ちは、意識して隠すことが難しい。
わざわざブサイクにメイクして歩く人なんて、普通はいない。
仮にそれをしたとしても、それは“美”という資本を自ら毀損する行為になる。
そしてその価値は年齢と共に確実に減衰していく。
つまり、ルックスというのは、都合よく隠すことも、保存することもできない。
“今この瞬間”にしか価値を持たない、極めて不安定で、儚いナマモノの資本だ。
ルックスを武器にするのは好きじゃない。
でも、武器にしなければ女の子たちを守れない。
そして、その武器を使わない自分なんて──全く想像できなかった。
人は、見られることで形作られる。
そして、見られることを前提に生きるほど、他人の視線から逃れられなくなる。
“どう見られているか”が、生き方そのものを支配していく。
少しでも油断すれば、今まで積み上げてきた“私”が崩れ去ってしまう。
誰かの目が離れた瞬間、存在ごと薄れてしまうような──そんな恐怖。
だから、つい外見にばかり投資したくなる。
「中身が大事」なんて言葉を口にしながら、肝心の自分の中身については、外見が磨かれる程におざなりになっていく。
美しくあることが、“私”になって、美しさという呪縛に囚われる。
それこそが、この資本の最も残酷な副作用だと思う。
そしてもう一つ。
性的資本は、他の能力を過小評価させる。
可愛いとか、綺麗とか、整ってるとか。
そのたった一言で、どれだけ努力しても、どれだけ考えてきても、それらが「付属物」みたいに扱われてしまう。
頭が良くても、「可愛いのに意外だね」で済まされる。
頑張って成果を出しても、「まあ、美人だしね」で片づけられる。
まるで、見た目の外側にあるもの全部が、照明の届かない影の中に押し込まれるようで。
その瞬間、自分の中にある知性も、努力も、覚悟も、まるごと帳消しになる。
──だから、美しさは、武器であると同時に、人格をぼかす毒にもなる。




