第34話 歌と一緒にこの想いも吐き出したいの♡
「……で、沙織はどう思う?」
「余裕がない、って感じかな。本当に愛されてるなら、ゾッコンなんて言葉使わないでしょ。毎日会いたくなってるのは莉里の方」
「まあそう思うよね」
「でも、そこまで荒れてるわけじゃないから、なんとか押し留めてる。大きくなってく不安を、どうにか会うことで満たしてるんじゃないかなー」
私たちは並んで歩きながら、さっきの会話の続きを自然とほどいていった。
足を先に進めるほどに、考えは深く沈んでいく。
恋で身を崩す時って、いきなり堕ちるんじゃなくて、必ず小さな違和感から始まる。
「さっきの言葉、ちょっと棘がなかった?」
「好きって言ってくれてるけど……本当なのかな?」
そんな小さな違和感が、心の奥にひっかかる。
気づかないふりをしていても、その棘はじわじわ大きくなって、やがて他人と比べ始める。
「私ばっかり会いたがってる」
「あの子はもっと大事にされてるのに」
そんな比較は、心に火をつける。嫉妬や劣等感が混ざり合って、不安と不満が膨らんでいく。
すると次第に、「会えないと不安」「返事がないと不安」という感覚が日常を侵食する。
自分の安心を、相手の手のひらに委ねてしまうようになる。
そうやって執着が強くなって、自分を守るために——いや、本当は自分を縛るために、相手に“安心の証明”を求め続ける。
たぶん、今の莉里はその入り口に立ってる。
不安の重さに気づかないふりをしながらも、心の奥ではすでに、会うことでしか救われなくなりつつある。その救いは、一時的な麻酔みたいにしか効かないのに。
「言っとくけど、何も出来ないからね? 下手に口出したら余計に反発したくなるし、沙織に言われたら尚更」
「それはそうなんだけどねー。でも、ほっとけないじゃない? せめてこっちはいつでも受け入れるよーとは伝えたくて」
「莉里はたぶん、沙織のそういうとこがウザいって思ってるわよ」
「それはそうなんだろうけどー」
軽口みたいに交わした言葉の奥に、重たいものが沈んでいるのが分かる。
このまま流せば楽なのに、どうしても心が足を止める。
これから先の展開なんて、もう見えている。
男の方だって、最初はなんだかんだ優しく見せる。でも、不安定になっていく莉里のことを、だんだん「重い」と感じ始める。
会話が減って、「めんどくさい」の一言で片づけられて、気づけば連絡の頻度も減っていく。
それでも莉里の中で、男への執着だけは膨れ上がっていく。満たされない想いは要求になり、要求は重さになり、重さはさらに距離を生む。
その悪循環が、少しずつ、しかし確実に、彼女を孤立させていく。
ここで振られてお終いなら、まだいい方だ。
一度切れてしまえば、痛みはいつか薄れていく。
けれど、もし——暴力、暴言、その後に落とされる慰めの言葉、飴と鞭が絡み合う関係に絡め取られてしまったら。
それはもう、お終いの始まりだ。
どこまで傷付いても、どこまで踏みにじられても、「これが愛だ」と自分に言い聞かせながら耐え続ける。
耐えたぶんだけ、彼女の心はボロボロになって、そして同時に彼だけが世界のすべてになっていく。
「彼のためならなんでもする、彼のためなら死んでもいい、これが本当の愛なの」
そんな言葉を呟きながら、底の底まで堕ちていく未来が、まざまざと浮かんでしまう。
そこから先のことなんて、本当はもう考えたくない。でも、分かってしまうからこそ、胸の奥に冷たいものが広がって、歩く足音まで遠くに感じる。
私たちが今交わしている軽い会話の向こう側に、誰も手を伸ばせない淵が口を開けているのを、どうしようもなく感じてしまう。
「でも、それを言うなら恵美もでしょ。いきなり男のことぶっ込むから、ビックリしたじゃない」
「私は良いのよ。莉里とは仲良かったし、いざとなれば2人で沙織の悪口大会開いて盛り上がるから」
「恵美、ひどーい」
私がわざとらしく口を窄めると、恵美は肩をすくめて、ケラケラと声を弾ませた。
その笑いは、小鳥の囀りみたいに軽やかで、頬にちょこんと浮かぶえくぼが、柔らかく揺れる空気をさらに愛らしく染めていく♡
目尻は三日月のようにしなやかに下がり、制服の袖口が揺れるたび、全身で「楽しい」を踊るように表現していた♡♡
眩しい。その一言でしか表せないくらい、あまりに可愛くて、胸の奥がじわりと熱を帯びる♡
心臓がひと跳ねするたびに血が駆け巡り、指先が痺れるほどに熱が広がる♡♡
まるで薄い膜に包まれて、外界と自分とが溶け合っていくような、奇妙に甘い感覚♡
恵美の笑い声が耳の奥に残り、消えない残響となって体を撫でる♡
鼓膜に触れるたび、呼吸が浅く甘くなり、胸の奥で抑えきれない疼きが広がっていく♡♡
視線を逸らそうとするのに、逸らせない♡
まぶしすぎて直視できないのに、惹き寄せられてしまう♡♡
ほんの一瞬、世界に恵美だけが光を放っているように見えた。私の網膜を焼き付けて、離さない。
その光はただ美しいだけじゃない。痛いほどに愛しくて、危ういほどに甘くて、気づけば呼吸すら支配されてしまう♡
胸の奥に広がる熱は、恋にも似た陶酔に変わっていく♡♡
大好き……ほんとに……好きすぎて……♡もう、どうにかなっちゃう……♡
熱くて……苦しくて……でも幸せすぎて……溶けたい……♡
壊れてもいい……このまま好きって叫ばせて……♡
「2人とも、ご苦労様。私はそういうの面倒からパス」
「沙織が悪いのよ、沙織が。何でもかんでも首突っ込もうとするから、フォローするこっちの身にもなって欲しいわ」
「恵美、いつもありがと。感謝してる」
「これよ、これ。私は、こっちの身にもなれって言ったのに」
口では文句を言いながらも、また楽しそうに声を弾ませる恵美♡
その無邪気さに触れるたび、私の胸の奥では、どうしようもなく甘い火花が散っていく♡♡
友人の言葉を呆れたように返す恵美に、私はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
恵美には、いつもいっぱい甘えさせてもらっている。だからこそ、強く反論なんてできない。
喉の奥で言葉が絡まって、結局、息に溶かすしかなかった。
分かってる。こんなことをしたって、莉里のことを本当にどうにかできるはずなんてない。
私にできることは限られてるし、女の子全てを救えるだなんて、そんな思い上がりは持ち合わせていない。
結局は、全て莉里が自分で選んで望んだこと。
そこに私が介入して「助けてあげたい」なんて、きっと烏滸がましいことなのだろう。
得るものなんてひとつもないし、そもそも私のことをよく思っていない子をわざわざ救おうとするなんて——客観的に見れば馬鹿げている。
……それでも。
それでも、私は彼女の輝きを、もう一度見たいと思ってしまう。
一緒に遊んで、笑って、ふざけ合った時間を忘れられない。反発ばかりしてるのに、ふとした瞬間に見せる愛嬌とか。
あれだけ強がるくせに、周囲の目を気にして少しだけ臆病になる姿とか。
そんな全部が、どうしようもなく愛おしい。
胸の奥が、熱くて苦しくて、でも甘く満たされてしまうのだ。
たとえどこまで堕ちたって構わない。
その身が焦げ付いて、心が腐り果て、濁った淵に沈んだとしても——私はきっと莉里を見捨てられない。
だって、どんな時も女の子はみんな可愛くて、神聖で、眩しいほどに輝いている。
そんな姿だからこそ、誰にも真似できない光を放てると信じてる。
莉里ならきっと、どれだけ深く沈んでも、最後にはまた這い上がってくる。
傷ついて、心も身体も動かなくなって、暗闇に沈み込む日があったとしても。
その時、彼女は泣いて、泣いて、自分を責めて、世界を呪って——それでもなお、負けたくない自分を愛そうとする。莉里はそういう子だ。
どこまでも強く、輝く自分を求め続けられる子。
もしも助けを求めてくれるなら——その時は、全力で応えたい。
私にできるのは、側でその光を見届けることだけ。
「で、これからカラオケ行くの?」
「行くに決まってるでしょ! こんな時こそ、歌わないでどうするの! むしろ思いっ切り歌うぐらいしないと、やってられない!」
「沙織が珍しく荒れてるー」
「いいんじゃない? 私もいろいろぶち撒けたい気分だし」
「歌うわよー!」
「「おおー!」」
その場に意味なんてなくていい。ただ声を合わせるだけで、笑い声が弾けて、空気が震える。
くだらない掛け合いに恵美が肩をすくめ、誰かが笑いすぎて前のめりになり、視線と笑いが入り乱れて渦を巻く。
私の胸の奥は、笑いながらもぎゅっと熱くなっていた。鼓動が速すぎて、笑うたびに胸の奥で小さく弾ける♡
血が頬に集まって火照り、指先まで痺れるようにじんじんして、呼吸がうまく整えられない♡♡
誰かの肩がぶつかった拍子に制服の生地が擦れて、そこから全身が敏感に疼く♡
熱い。胸の奥から突き上げる高揚が、身体を内側から押し広げていく♡♡
笑っているだけなのに、全身が浮き上がるような陶酔に包まれて、もう止められない♡
声を合わせ、笑いを重ねるだけで、世界は目の前の光景しか存在しなくなって——その一瞬の熱に、私は心も身体も飲み込まれていった♡
みんな愛してる……愛してるの……♡いっぱい……いっぱい……♡
もうダメ……蕩けちゃう……壊れちゃう……♡でも幸せ……♡
細胞のひとつまで……女の子への愛で包まれてる……♡
放課後の夕焼けに照らされて、影が長く並んでいく。その笑い声は、少し乾いていて、でも確かに温かい。
——不安も、痛みも、嘆きも、胸に抱えたもの全部を誤魔化すみたいに、ひとときの明るさで包んでくれる。
ああ、歌いたい。叫びたい。
この胸の奥に溜め込んだ喜びも、悲しみも、痛みも、苦しみも。
全部を大声で、言葉にもならないメロディに変えて吐き出したい。
この瞬間、私たちが歩いているのはただの帰り道じゃない。
青春という名の歌への、前奏みたいなものだ。
きらきらした汗と笑い声が混ざり合う、その全部を抱きしめるように。
——さあ、思いっきり歌おう。
胸の奥の震えを、未来への祈りみたいに響かせるために。




