第31話 ※恵美視点(沙織の親友) あなたを想うだけで心は強くなれるの♡
「抜かれても気にしないでねー。しっかり守ってこー」
沙織が相手ボールの中、一声かけてみんなを落ち着かせている。
その声は軽やかで、どこかあったかくて、周りの空気まで柔らかくする。
……私は、白鳥沙織が恐い。
最初からそうだった。入学式の日、教室に入った瞬間から、彼女はもう目立ってた。
背が高くて、姿勢もよくて、笑ったら教室がパッと明るくなるような子。
誰よりも輝いていた。
その光がまぶしくて、怖かった。
私は何となく女の子たちの上に立って、ただ適当に周囲の男と遊んで、ほどほどに楽しんでいればいいと思ってた。
高校生活も、中学の延長みたいに軽い気持ちで過ごすつもりだった。
男をとっかえひっかえして、可愛くてノリのいい女でいれば、それなりに楽しく過ごせるはずだった。
でも。
沙織がいるって分かった瞬間、そんな考えは全部吹っ飛んだ。
同じ学校、それどころか同じクラス。
……終わったと思った。
だって、下手したら、良い男はみんな沙織に持っていかれる。
いや、「下手したら」じゃなくて、確実にそうなる。
少なくとも、私の目に止まるような男は、みんな一度は沙織に惹かれるに決まってる。
結局、私が手に入れられるのは「沙織に振られた男」か「沙織に届かなかった男」ばかり。
そんなの、絶対に嫌だった。
私は誰かの御下がりなんて、プライドが許さない。
「白鳥沙織に負けた女」なんて、もっと嫌だ。
だから必死だった。
今の彼氏──同学年でスクールカースト最上位が約束されたような人気のある男。
そんな男を、沙織に取られる前に捕まえた。
絡め取るようにして、絶対に逃さなかった。
それだけは勝てた、と思った。
……なのに。
沙織は悔しそうな顔ひとつしないで、前と同じように接してくる。
むしろ、少しも気にしていないみたいに、私を友達として扱ってくる。
それが一番、怖かった。
勝てない。
最初から、何をしても勝てないんだって、分かってしまった。
彼女が私から奪おうとしないことが、逆に残酷だった。
私が彼氏を選んだことを笑いもしない、批判もしない、ただ当然のように受け止める。
そんな余裕を見せられるたびに、胸の奥で悔しさと焦りが燃え上がる。
その焦りは学年が上がっても変わらなかった。
……でもね。
その一方で、沙織と一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、どうしようもなく惹かれていく自分がいた。
友達として笑い合えば合うほど、彼女の光に触れるたび、私はますます勝てないって思い知らされる。
それでも、離れられなくなっていく。
沙織の恐さは、勉強ができるとか、運動が得意とか、先生に好かれるとか。そういうことは大した問題じゃない。
校内にはすでに空気がある。
「校外で彼氏を作るより、校内で相手を見つけた方が安心だよね」
そんな価値観を、沙織は自然に作り上げてしまっている。
それは学校外で彼氏を作ると、カーストが下がることを意味する。
私は今の彼氏ともう別れられない。
学校で選んでも問題ないような良い男は、もう沙織への“お手付き”以外に残っていない。
今はまっとうな高校生らしい恋愛をしてる。
そう言えば聞こえはいいけど、本当は窮屈で、不愉快で、それでいてどこか安らぎすらある。そんな矛盾した気持ちの中にいる。
冷静に見れば、莉里みたいな子が出てきたのは必然だったのかもしれない。
誰がいてもいなくても反発したくなる子は出て来て、同じような問題は起きただろう。
でも、結局のところ校内の「秩序」は、彼女の存在が一枚噛んで守られている。
問題を放置しない。
小さな軋みを見つければさりげなく手を挟んで流す。目配せひとつで周囲を固める術を持っている。
そういう振る舞いが、いつの間にか「頼れる存在」を作り上げてしまう。
白鳥沙織はわがままだ。
表面上は柔らかく見えるけれど、自分の理想や目的のためには行動を躊躇しない。
スクールカーストそのものは嫌っているくせに、その構造を利用してでも秩序を保つ。
それを自分のためではなく、「誰かのために」使うことが多いから、余計に分かりにくい。
善意の仮面を被った強さとも言えるし、無欲に見えて一歩も引かない厳しさとも取れる。
何が彼女の本当の目的なのか、私にはまだ分からない。だからこそ怖いのだ。
理由を求めて問い詰めても答えは曖昧で、でも行動は確かな手応えを残す。
私が抱くのは、単なる嫉妬だけではない──恐れと、認めざるをえない憧れが混ざり合った不安だ。
時折、そんな自分に嫌気が差す。
でも同時に、彼女と過ごす時間の心地よさや、誰かを守るという彼女の姿勢に救われてしまう自分がいる。
矛盾だらけで、どう折り合いをつければいいのか分からないまま、私はまた今日も彼女に向き合ってしまう。
「パスっ!」
沙織が声を張り、すぐ近くにいた子へとボールを送る。その子も慌てながら受け取って──けれど、次の瞬間には驚くほど大きな声で「はいっ!」と返してきた。力強く放たれたボールが、私の胸元へ飛んでくる。
普段の教室では、こんな光景あり得ない。
ほとんど目立たない子の声が、体育館に響き渡るなんて。だけど、この場ではそれが自然に起こる。
いや、自然に見えているだけで──きっとその空気を作っているのは沙織だ。
今の場面、沙織が自分でドリブル突破した方が確実だった。彼女なら一人で切り開けた。
でも、それをせずに周囲を使う。決して最適じゃなくても、仲間に触らせる。仲間に声を出させる。
その目的が、あまりにも透けて見える。
「みんなに楽しんでほしい」「自信を持ってほしい」──そんな願いが、その一つ一つのプレイからにじみ出ている。
だからこそ、相手に読まれることも増えてきた。
パスを狙われ、ボールを奪われる場面も少なくない。勝ちに徹するならやらない選択を、彼女は迷わず選んでいる。
私はふと考える。あれだけ男子からの好意を受けて、女子からの羨望も集めて、それでもなお沙織は自分を差し出すように振る舞う。その裏にある葛藤や苦しみは、一体どれほどのものなのだろう。
言葉にできない痛みを、どれだけ抱えているんだろう。
それを想像すると、胸の奥がぞわりと熱くなる。沙織の笑顔の下に隠された重みが、どうしようもなく恐ろしく、同時に美しく見えた。
「恵美っ!」
沙織の声が、体育館のざわめきの中でも真っすぐ耳に突き刺さる。
……あー、ウザイ、ウザイ。なんで私に指示すんの。体育の授業なんて、ダルいだけじゃん。汗かいてベタつくし、髪も肌も崩れるし、メイクだって台無し。適当に流して、出席点だけ取れればいいのに。
だけど沙織は──全然違う。
全力疾走。床を蹴る音が軽快で、それがまるでリズムを刻むみたいに耳に残る。視界を切り裂くみたいに、私と相手の間を一瞬で抜けていく。その姿は無駄がなく、なのにしなやかで、ただ走るだけで周囲の空気を持っていく。
「沙織っ!」
咄嗟にロングパスを放つ。少し逸れた。だけど──彼女はまるで吸い寄せられるみたいに滑らかに動いて、指先で掴み取り、そのまま跳ねるようにゴールポストへボールを沈めた。
「はぁっ……はぁっ……」
肩が大きく上下して、頬が紅潮している。髪が額に張りついて、首筋を汗が伝う。唇がわずかに開いて、吐く息が白く煙るみたいに揺れている。
必死なのに、苦しそうなのに──なぜか目が離せない。どこか艶めいた気配さえあって、胸の奥をざわつかせる。
……でも、沙織は楽しんでる。全力で走って、全力で笑って、この場を自分の色にしてしまう。こんな空気の中で、私だけが冷めた顔してたら逆に浮いてしまう。そう思わせる力が、彼女にはある。
気づけば、なんだか私まで楽しくなってる。
──ふざけんな。ムカつく、ムカつく。腑が煮え繰り返りそう。
「ナイス、シュート!」
「恵美こそ、ナイスパス」
弾けるような声とともに、二人の手のひらが軽く触れ合った。
乾いた音が小さく響く。けれど、その一瞬が胸の奥では花火のように炸裂する。
沙織がこちらを見て、眩しいほどの笑顔を向けてきた。
普段、クラスの中心で誰にでも見せる社交的な笑顔ではない。
それよりも、もっと柔らかくて、もっと近い。
まるで「相棒はあなただけ」と告げるような、私にだけ向ける特別な笑顔。
視線が絡んだ瞬間、心臓は跳ね、熱が体中に駆け抜けた。
頬の奥が熱くなる。
指先の感覚が消えていくほど、全身を幸福感が占めていく。
バスケットボールのコートというただの体育館の空間が、まるで光に包まれていくように思えた。
──こんな気持ち、男なんかはくれなかった。
沙織だけが私に与えてくれる。
彼女だけが、私をこんなふうに震わせてくれる。
私は白鳥沙織が恐い。
彼女の真っ直ぐさは、私の弱さを容赦なく照らし出してしまうから。
でも、それ以上に誰よりも信じられる。
誰よりも好きでいられる。
──沙織の力になりたい。
──沙織の望む先を、この目で一緒に見たい。
彼女は本当にどこまでもバカで、無鉄砲で、必死に生きている。
それが時に無防備で、危なっかしくて、それでも。
あまりに綺麗で、尊くて、眩しくて。
私の中の闇ごと、全部を溶かしてくれるような光に思えて仕方がない。
だから私は願ってしまう。
白鳥沙織という光を、誰よりも近くで見届けたい、と。




