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第28話 由梨ちゃんは私の理想なの♡

 私は教室に戻り、そっと席へ腰を下ろした。

 その瞬間、メイクの続きを待っていた子の瞳がぱっと輝く。まるで光が一粒、瞳の奥で弾けたようで、胸の奥にまで柔らかな熱が広がった。彼女のその表情だけで、何か神聖なものに触れている気がする♡


 ただ一人、由梨ちゃんだけを特別に見せてしまうと、どうしても周囲の嫉妬を招きかねない。他の何人かにもメイクをしてあげたらと恵美が提案してくれた。


 一人は由梨ちゃんと同じ、控えめで大人しい女の子。彼女なら、由梨ちゃんの心を刺激しすぎず、むしろ「自分と似ている子だから」という安心感を与えてくれる。


 もう一人は、教室の中で比較的、目立つグループに属し、序列で二番目くらいの立場にいる子。発言力はあるけれど、決して承認欲求は高くない子。

 トップの子にしてしまうと周囲に優越感を与えすぎるし、嫉妬心を煽ってしまう危険がある。でも、二番手なら「私も次はしてもらえるかも」とグループ全体に期待感を持たせられる。


 「次はあなたね」と軽く約束をしてあげれば、十分。

 身内だけで固まって「ずるい!」と文句を言う空気を作らせず、皆に平等感を残す。そうすれば、由梨ちゃんも不安を抱かずに済むだろう。


「ごめんね、お待たせ」


「ううん、大丈夫。お願いします」


 彼女は静かに目を閉じ、まつ毛がすっと頬に影を落とす。差し出された白い肌は、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細で、呼吸すらためらうほどだった♡


 私は指先でファンデーションを馴染ませていく。ひんやりとしたクリームが体温に溶けていき、滑らかに広がる♡

 その下で彼女の肌がわずかに熱を帯び、淡い桃色が透けていくように見えた♡♡


 筆を持ち、頬に色を乗せる。毛先がかすかに触れるだけで、彼女の頬がふわりと紅潮する。それを見た瞬間、胸が跳ね、呼吸が浅く速くなる♡


 まぶたの上に色を差すとき、筆先を動かす自分の手が小刻みに震えているのが分かる♡

 理性で抑え込んでいるつもりでも、全身を駆け巡る甘い痺れのような感覚が、どうしても止まらなかった♡♡

 心臓は痛いほどに打ち、血が脈打つたびに、頭の奥まで火照っていく♡♡♡


 唇に色を重ねる瞬間、指先が触れそうで触れない距離にある。そのわずかな隙間が、まるで禁忌を踏み越えそうな境界のようで、息を呑む♡

 彼女の身体がほんの少し震え、けれど拒むことなく受け入れているのを感じて、体の奥底から甘い熱が込み上げた♡♡


 見ているだけで胸が苦しい。けれど筆を動かすほどに、熱が快感のように波を打ち、理性と欲望の境が溶けていく♡

 まるで自分の全身が、メイクそのものに呑み込まれているようだった♡♡


 可愛い……可愛いっ♡……もっと可愛くしてあげる……♡

 好き……♡愛してる……♡いっぱい……いっぱい……♡

 もうダメ……蕩けちゃう……♡壊れちゃう……♡でも幸せ……♡


「ねえ、沙織、もし沙織が彼氏作るとしたら、どんな男が良いの?」


 ちょっと離れたところからメイクの様子を覗いていた恵美が、不意に声を掛けてきた。

 その瞬間、教室の空気がひとつ揺れる。視線が一斉に私へと注がれ、まつ毛に触れていた筆先が一瞬止まった。


 皆の関心が私に集中している──それはこれまで女の子たちの間に限られていたのに、今は廊下の向こうや、男子たちの目線までも絡んでくるのを肌で感じた。背筋がじわりと熱くなる。


 男と付き合うつもりなんて、正直サラサラない。私の世界は女の子で完結している。だけど、この状況で「興味ない」と答えてしまえば、妙に浮いてしまうだろう。

 だから、ほんの少し間を置いて、言葉を探す。


「……うーん、優しい人かなぁ」


 当たり障りのない答えを選んだつもりだった。けれど次の瞬間、恵美の口元がにやりと上がる。


「無難過ぎ。もっと詳しく」


 声は軽いけど、その響きは教室中に届いた。クラスメイトたちの瞳が「聞きたい」と訴えている。

 こういう場で空気を支配するのが恵美の強さだ。みんなが求めているものを嗅ぎ取って、逃げ道を塞ぐように私に投げかける。


 私は心の中で問い直す。

 ──女の子が男と付き合うって、そもそもどうして必要なんだろう?


 ひとつは、単純に好きだから。心が惹かれ合って、一緒にいたいから。


 でもそれだけじゃない。女の子の集団の中では、それがひとつの「序列」になる。彼氏がいる、という肩書きが周囲に与える影響。

 選ばれた、という承認。

 他の男子から守られる安心。

 「経験値」を積んだという誇示。

 孤立を避けるための、仲間との足並み。


 そういう計算が絡んで、女の子は彼氏を作る。     

 ──私はそれを冷静に理解してしまっている。


 けれど、そんな分析をそのまま口にしたら、空気を壊すだけだ。

 恵美はその「危ういところ」を期待して私を見つめている。


「……えーと、優しいのは必須でしょ」


 私は小さく呟くように言った。考え込むように眉をひそめながら、頭の中で理想の相手像を整理していく。


 まず浮かぶのは、みんなに人気のあるイケメンで、スポーツも勉強もできる、所謂モテる男だ。授業も運動も器用にこなし、笑えば女子たちはきゃあきゃあと騒ぐ。学内での評価も高く、まさに付き合えば“理想のカップル”と称されるような存在。


 でも、どうしても心が惹かれない。モテるということは、裏返せば選択肢が山ほどあるということ。気に障るようなことがあれば次の誰かへ、飽きたらポイ……そんな風に簡単に扱われる可能性を、私は許せるはずもない。

 見た目の華やかさや能力の高さでは、心は満たされない。それに、モテる人間は何かしら歪んでいるというのが、私の経験則だ。——ソースは私自身。


 次に思い浮かべるのは、他の男から守ってくれるタイプ。周囲を威圧し、何かあれば力で解決できる男。行き過ぎてはいるが、莉里の彼氏のように、強引で威圧的な存在は、一目で周囲の男を寄せ付けないだろう。

 しかし、その力が自分に向けられることもある。男性の力を社会制度で補完している現代で、果たして本当にそこまで守られる必要があるだろうか?


 一人の男に依存するより、女の子同士で固まる方がずっと安全だ。情報を共有し、互いに支え合う力は、時には暴力よりも信頼できる。


 経験値、孤立感、そんなものはいらない。

じゃあ、やっぱり付き合うこと自体、必要ないんじゃないか──そんな極端な結論にも一瞬行き着く。


 ……いや、違う。

 本来なら、人間関係に男とか女とか関係ない。

 じゃあ、私はなぜ由梨ちゃんに心を動かされたのだろう? 恵美の言葉が嬉しかったのはなぜだろう?


 答えは単純だ。私をそのまま受け入れてくれて、支えようとしてくれたからだ。一緒にいるだけで、ささやかな幸せを実感させてくれたからだ。胸の奥に小さな温かさがじんわり広がり、同時に安心感が体を包む。


「……私を任せることが出来る人、かな」


 その言葉に、恵美の表情が興味深そうに変わる。


「ほう」


 私は自然と口を開く。言葉を選びながら、頭の中で誰かの姿が思い浮かぶ。


「まず優しいのは大前提。他者に貢献して、奉仕できる人。誰も見ていないところでも、誰かのために動ける。人の助けになることが出来る優しさ。そして、人の嫌がることをしない——“やらない優しさ”を持っている人」


 喋りながら、胸の奥で確信が芽生える。

 ——ああ、これは間違いなく、由梨ちゃんのことだ。私が、由梨ちゃんに言った言葉そのまんま♡

 自分の言葉が自然と胸に落ちて、体の中心から温かさが広がる♡♡


 そして無意識に、由梨ちゃんの方をチラリと見る。目が合った。顔をパッと両手で抱え、少しずつ真っ赤になっていく♡

 皆の視線は私と恵美、そしてメイクされている彼女に向かっている中で、私だけがその光景をそっと見守る。胸が高鳴る感覚と、柔らかな幸福が混ざり合い、静かに心を満たしていく♡♡


 ああ……由梨ちゃん……♡好きすぎて……心が震えてるの……♡

 体温も心拍も……♡全部由梨ちゃん色に染まってく……♡

 愛してる……♡この気持ち、全部受け止めて……♡お願い……♡


「ちゃんと私のことを受け入れてくれて、支えてくれて。この人になら身を委ねても良いって安心感をくれる人」


 言葉にすると、胸の奥がじんわり温かくなる。恥ずかしさと同時に、確かな幸福感が広がる。


「でも、沙織にならそんなことしたいって男はいっぱいいると思うけど? 優しい男なんて腐るほどいるでしょ」


 意地悪そうに言う恵美の声に、私の心は少しピリリと刺激される。単なるからかいではなく、核心を突かれている気分だった。


「そう、だからみんなにも優しいけど、私にだけ特別優しい人がいい。綺麗とか彼女って枠ではなくて、私に優しくしてくれる人」


「……うーん、無理じゃない?そんなの。恋人だから特別優しくはあるけど、自分だから特別優しくなんてのは無理よ」

「そう、無理なの。だから一緒に作っていける人になるんだろうね」

「何を?」

「私がその人だけと決める理由。その人が私だけと決める理由を」

「でも、それって依存じゃないの?」

「……そうかもしれない。だから振れる人でもあって欲しいなって。依存し合うけど、ちゃんと線引きして、相手にちゃんと怒れて、いざ最後となったら、キチンと振れる人がいい」

「……理想が高い。そしてそんな関係を築くような男を今は」

「……受け付けてない」


 互いに視線を交わし、軽く笑い合う。心の緊張が少しほぐれ、空気が柔らかくなる。


「はあー、無理無理。沙織、難攻不落過ぎ。これ絶対に結婚出来ないやつ」

「えー、ちょっと恵美酷い!」

「ほら、メイクの手止まってる」

「もうっ、後で覚えててね!」


 私はメイクを仕上げながら、教室の空気や女の子達の表情を観察する。

 頬を赤く染めて照れ笑いをする子。うっとりと夢を見ているように見つめてくる子。口元を押さえながら、こっそり「すごいね」と囁き合う子。

 それぞれの反応が、胸をじんわり満たしてくれる。


 ああ、なんて楽しいのだろう。なんて幸せなのだろう。私の言葉が響いている由梨ちゃんがいて、引き出してくれる恵美がいて、それを受け止めてくれる周囲の女の子たちがいる。


 たぶん、私は今、みんなが思い描く理想の「白鳥沙織」じゃない。

 でも、それでいい。今はただの白鳥沙織でいられる時間。それが、どこまでも心地良くて、幸福だった。


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