第26話 女の子はみんな笑顔でいて欲しいの♡
ホームルームも終わり、軽くおしゃべりする声や椅子のきしむ音がまだ残っている中、扉が開いて次の担当教師が入ってきた。
手に教科書を抱えた中年の先生は、少し咳払いをしてから黒板の前に立つ。
「はい、それじゃあ一時間目、歴史を始めます。教科書の127ページを開いてください」
カサカサと紙の音が教室に広がり、生徒たちが一斉にページをめくる。指先で紙を弾く軽い音、シャーペンの芯をカチッと出す音。ほんの少し前まで笑いに包まれていた空気が、授業の色に塗り替わっていく。
先生がチョークを手に取り、黒板の中央に力強く文字を書きつける。白い粉がはらはらと舞い落ちて、黒の板面に「戦国時代」と大きく刻まれた。
「戦国時代──日本は各地の大名が互いに争い、分裂状態にありました。小国がいくつもに割れていたため、同盟や裏切り、合戦が繰り返されていたんです」
説明は淡々としているのに、その言葉が妙に胸に引っかかる。
分裂、同盟、裏切り。まるで──女の子の派閥みたいだ。
ギャルの子たちは、明るい声と笑顔で教室を支配する。華やかで、堂々としていて、ちょっとした言葉や流行を先取りするだけで周りを巻き込んでいく。
一方で、清楚系の子たちはギャルと正面からはぶつからず、ひっそりと自分たちの世界を築いている。笑い声は小さいけれど、そこには独自の安心感があって、彼女たちの輪の中に入れれば「優等生」的な立ち位置が得られる。
その中間にいる中位層。どこにでも顔を出せるけれど、どこにも深く入り込み過ぎない。ギャルとも清楚とも距離を保ち、バランスをとる。だけど、その分、どちらかに引き込まれたときは一気に立場が変わってしまう危うさもある。
さらに、オタク系の子たちや大人しい子たち。彼女たちは派手さもないし、声も小さい。でも、人数は決して少なくない。
みんな大好きで、みんな可愛い♡
ギャルの子たちの、まるで太陽みたいに眩しい姿が好き♡♡
清楚系の子たちの、落ち着いた空気をまとっていて、背筋が伸びるような清らかさを愛してる♡♡♡
中位層の子たちは器用で、その場に応じて色を変えるしなやかさは尊くて、オタク系の子や大人しい子は、意外な視点や独特の優しさで、他の誰とも違う安心感を与えてくれる♡
彼女たちのことを一人ひとり思い浮かべるだけで、頭の奥がじんじんと痺れてくる。胸の内側から熱が込み上げて、心臓が早鐘を打つ♡
脳内で何かがドバドバと溢れ出すのが分かる。気づけば呼吸は浅くなり、体はふわふわと軽くなっていく♡♡
まるで甘美な麻薬を浴びたみたいに、世界が色づいて、彼女たちの笑顔や声の余韻だけで全身が幸福感に満たされる♡
ただ「女の子」という存在を思い描いただけで、私の体はここまで反応してしまう♡♡
可愛い……可愛いっ……ほんとに、みんな……大好き……♡
あぁ……胸の奥がじゅわって……幸せが溶け出してる……♡
脳がしゅわしゅわって泡立って……全部みんなで満たされる……♡
派手さの少ない、どんな小国でも寄り集まるように集団を作れば、時に思わぬ影響力を持つことだってある。
そうやって小国同士が同盟を組んだり、ちょっとした感情──「あの子に無視された」「視線が冷たかった」──そんな小さな出来事で裏切り合ったりする。火種は些細なものなのに、それが一気に燃え広がって対立に発展してしまう。
もし放っておけば、このクラスはすぐに割れて、群雄割拠の戦国時代になってしまう。
私はそんなクラスを望まない。
張り合いや足の引っ張り合いでギスギスするのなんて、想像するだけで息が詰まる。
女の子はみんな笑顔で輝くべきだ──その信念だけは、誰にも譲りたくない。
だから私は、このクラスを割らせない。
戦国の大名じゃないけれど、誰かが裏切りを企てても、誰かが孤立しかけても、必ず繋ぎとめる。
心の奥で、そっと自分に誓いを立てる。
「織田信長は徹底的な武力と恐怖で敵を制し、勢力を広げました」
先生の声が教室に響く。黒板に並んだ白い文字を目で追いながら、私は胸の奥で、そっと言葉を付け足した。
──いや、それだけじゃない。
信長はただ力で脅すだけの人じゃなかった。室町幕府の将軍・足利義昭を擁立し、幕府の権威を“表の顔”として利用しながら、その裏では自分が実権を握っていた。二重構造。表の看板と裏の実質。
そう、まるで私自身だ。
白鳥沙織という「美人で可愛い、みんなの憧れ」という看板を掲げつつ、実際は教室の秩序を操るために動く。
私は、みんなが安心して居られる場所をつくるために“二重の顔”を使っている。
でも、私は一番上じゃない。
自由奔放さでみんなを引き寄せる恵美や、違うクラスだけどギラギラとした熱で場を支配する莉里──あの子たちの持つ「眩しさ」には、到底かなわない。
私はあくまで、その輝きに直接触れられない子たちと、彼女たちをつなぐ仲介役。
だから、二重の、さらにもう一重奥に隠れた二重構造。……恵理に言わせれば「全然二重になってないから。沙織が眩し過ぎ」って笑われたけど。
これが正しいことなのか、私にも分からない。
でも、女の子たちが笑顔でいる方法を、私は他に知らないのだ。
先生の話は次に進む。
「信長はまた、楽市楽座を通じて経済の流れを作り、商人や町人からの支持を集めました」
──経済力。なるほど、でもそれは学校のカースト制度にはあまり通じない。
親がお金持ちだからって、クラスの中で上に立てるわけじゃない。自由にブランド物を買えたり、遊びに行く資金が潤沢だったりすれば、確かに人は寄って来る。けれど、それは結局“親のお金”の力であって、その子自身に向けられた信用じゃない。
そう、スクールカーストを動かす本当の通貨は──お金じゃない。信用だ。
「あの子の言うことは正しい」「あの子について行けば安心」
そんな風に、みんなに思わせることができる人だけが、この小さな世界で影響力を持つ。
つまり、私が積み重ねるべきは“信用”なんだ。
信用は、誰かを幸せにすることで生まれる。
誰か一人じゃない。由梨ちゃんみたいに静かな子も、恵美みたいに眩しいギャルの子も、みんなが居心地が良いと思える場所を作ること。
そうやって少しずつ与えた安心や楽しさが、やがて「沙織なら大丈夫」という信頼へと変わり、信用はさらなる信用を呼び込んでいく。
信長は朝廷や寺社にも献金をして、自らの立場を盤石にしていった。表向きの権威を味方にすることで、武力だけでは得られない信頼と安定を築いたのだ。
それにあたるのが、私にとっての先生。私は先生に反抗しないし、授業態度も真面目に見せる。小テストでそこそこの点を取って、提出物もきちんと出す。そうすれば「白鳥沙織は優等生」という評価が付与される。それは私にとって、朝廷の後ろ盾に等しいものだ。
そして、武力とは──単に殴る蹴るの喧嘩の力だけじゃない。相手を黙らせるだけの迫力、空気を制する力、あるいは美しささえも含む。
私は運動神経は良い方で、普通の女の子になら喧嘩で負けるつもりはないし、男に取り入ろうと思えばその手段だっていくらでもある。
その場の雰囲気を支配するのは十八番と言っても良い。もちろん、私の主義として男に取り入る気は毛頭ない。けれど、武力というのは実際に振るわなくても意味を持つ。誰もが「この人を怒らせたら面倒なことになる」と思えば、それだけで十分な牽制になるのだ。
そうして築かれた私のクラスは──もう、女の子たちの楽園だった。
ギャルの恵理たちの明るい発言力、そして私への憧れを中心に、輪は自然とまとまる。誰も大きな喧嘩をしない。イジメも仲間外れも許さない。みんなが笑って、同じ空気を分かち合う。もちろん、不満がゼロなんてあり得ないけれど、それでも「ここに居て良いんだ」と全員が感じられる空気を作れていると、私は信じている。
先生の声が続く。「その後を継いだ豊臣秀吉は調略や懐柔を駆使し、日本を一つにまとめ上げていったんです」
──けれど、世界はクラスの中だけじゃない。
その言葉に、私の思考もクラスの外へと広がっていく。
クラスはあくまで拠点にすぎない。隣のクラス、他の学科コース、上級生、そして後輩。彼女たちもまた、群雄割拠の一角を担っている。油断すれば、外からの圧力で内部が揺らぐことだってある。
だから私は動く。情報網を友達から引き、各クラスの派閥の子と繋がりを作る。直接繋がれないなら、共通の友人や懐柔済みの女の子を経由して導線を伸ばす。後輩の面倒を見れば「憧れの先輩」として慕われる。先輩への礼儀を欠かさなければ、その庇護も得られる。生徒会に面識を持つなんて、大きな功績だ。
領土を広げるみたいに、私の関係はクラスを超えて、学年を、そして学園全体へと広げていく。
そして、秀吉が刀狩や惣無事令で武器と無秩序を取り上げ、町ごとに「これ以上暴力は許さない」と決めたように、私は似たような雰囲気を作っていく。
簡単に言えば──「彼氏という名の男の力を、教室内の序列に持ち込ませない」。もちろん完全にとはいかないけれど、そういう名目を立てるだけで、いくつもの面倒事が消える。
だから私は、休み時間や放課後にささいな揉め事を見かけたら、さりげなく間に入る。
「やめときなよ」「今日はもうやめよう」って、軽く声を投げるだけで流れが変わる。
他のクラスや学年ならカーストの高く信用出来る子にそのような役割を任せておく。
もちろん、その子への監視役を作ることも忘れない。そんな小さな規制の積み重ねが、女の子たちの秩序を保つ礎になる。
黒板に次の文字が書かれたとき、私は心底納得した。「徳川家康」。
家康のやり方は、戦を避け、時間を味方につけて秩序を作ること。彼は長期的に力を蓄え、敵を疲弊させて自分の盤石を築いた。私のやり方も同じだ。
全ての学年で日々の小さな「圧」を減らして、みんなが安心していられる場を残す──それが最終目標だ。
今までの施作を急場しのぎの強硬手段ではなく、小さな“予防”と“連携”を繰り返して信用を積み上げていく。
仕組みを日常に塗り替えていく。今日助けた子が明日仲介役になり、別の子が先輩を押さえる——そんな連鎖ができれば、派閥の勢力図は自然と安定していく。
一朝一夕では簡単に仕組みを破壊出来ない環境作り。日々の調整を続けて、いつか「ここにいると安心だね」と誰もが思える学園を作るんだ。
だけど、それでも外部からの介入はゼロにはならない。莉里の彼氏みたいに、あからさまに「力」をちらつかせてくる連中はいる。彼らは平和で安定した国に力で開国を迫る黒船のようなもの。
特に獣の様な彼らは礼儀も理性も持たない。話し合いが通じる相手でもない。
直接戦うつもりはない。武力に見合った対抗が出来る相手ではない。でも、身内である程度固まることは出来る。向こうだって簡単に直接、手を出すわけにはいかないから。
あーあ、早く諦めて帰ってくれないかなぁ。
この学校、植民地にするのなかなかに大変だよ?
私の女の子に手を出すの面倒くさいよ?




