第25話 愛されてるって思ったら、涙が出ちゃう♡
恵美がさりげなく指先で教室の隅を示した。こっちで話そう⸻そんな合図。
いつもなら軽口混じりの笑顔を浮かべる彼女の目が、今は真っ直ぐで、まるで射抜くように私を捕らえていた。
その瞬間、胸の奥がどくんと鳴って、熱が一気に駆け上がる♡
恵美の視線は、ただ見られているという以上の力を持っていた。強すぎる光に直視したら焼けるように、でも視線を逸らせばその温もりを失うように。逃げ場がない♡♡
全身にふわっと甘い火照りが広がっていく。指先がじんじんと痺れて、呼吸が浅くなる。足もとが心許なくて、今にも膝から崩れてしまいそうなのに、不思議とその危うさが心地いい♡
胸は苦しいくらいに高鳴って、押し込めても押し込めても溢れ出す。内側から溶かされていくように、身体の隅々まで甘い熱がしみ込んでいく♡♡
視線ひとつで、こんなにも痺れるなんて♡
ただ彼女に見つめられている、それだけで、私という存在がほどけてしまいそうだった♡♡
お願い……もっと見詰めて……♡いや、見詰めないで……♡
幸せが波みたいに押し寄せて……溺れちゃう……♡
ふわふわして……頭、熱い……♡全身が蕩けて……苦しいの……♡
恵美は少し派手めの見た目をしている。肩にかかる地毛の茶色がかった髪は、ゆるく巻かれていて光を受けると艶やかに揺れる。耳元には小ぶりなピアスが光り、制服の着崩し方もほんのりギャルっぽい。でも、不思議といやらしさはなく、明るくて堂々としていて、誰もが彼女を「恵美らしい」と受け入れている。
私はその視線に抗えず、小さく頷いた。足音を忍ばせながら、教室の隅に歩いていく。
背後では一瞬、女の子たちが「ん?」とこちらを見やったが、私は笑顔を返し、手をひらひらと振って制した。すぐに彼女たちは由梨ちゃんへの質問攻めに戻っていく。由梨ちゃんの戸惑う声がかすかに耳に届いて、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「で、何があったの?」
隅に立った恵美が、低めの声で切り出した。
「……なんのこと?」
わざととぼけると、彼女は呆れ顔で眉を吊り上げる。
「惚けないで。沙織があんなことするなんて、大抵なんかあった時じゃん」
「……バレた?」
「バレバレ。てか露骨過ぎ。なによ、あの王子様エスコート。少女漫画の読み過ぎじゃない?」
「でも、みんな好きでしょ? ああやってエスコートされるの」
「……いやまあ、本当に少女漫画かなってぐらい絵になってたけど。って、そうじゃなくて! 何があったかって聞いてるの!」
恵美の瞳が真剣そのものになって、私を射抜く。軽い言葉を装いながらも、その目には心配の色がにじんでいて、全部を見透かすような強さがあった。
その瞬間、胸がじんわり熱を帯びていく。息が少し浅くなり、心臓が早鐘を打ち始める。喉の奥に熱が溜まって、声に出す前から泣きそうになる♡
友達に本気で心配されるなんて、どれくらいぶりだろう♡♡
体の内側からこみ上げてくる温かさに、指先がじんと痺れて、足の裏まで血が巡るのをはっきり感じる。頬も火照って、視線を合わせ続けるのが苦しいくらい♡♡♡
⸻嬉しい♡
ただそれだけで、全身が震えるように反応してしまう♡♡
「由梨ちゃんと買い物に行ったんだけど」
「うん、さっき言ってたね」
「その時に莉里と鉢合わせちゃって」
「あー」
「その彼氏も一緒にいて」
「……最悪」
「なんで、私に合コン来ないんだって詰められた」
「オーケー、分かった。把握した」
恵美は深く息を吐き、こめかみを指で押さえ込んだ。爪が白くなるほど力が入っている。その表情は、まるで苦い薬を噛み砕いた時のように歪んでいて、頭の奥でその情景を思い起こしているのが手に取るように分かった。唸る声が低く漏れるたび、眉間の皺がさらに深く刻まれていく。
「……その彼氏、ヤバかった?」
「ヤバかった」
「……どのくらい?」
「ヤバいとことなにかしら繋がってそう、って分かるぐらいには」
「……いやー、知ってたけど。知ってたけど……」
恵美は目を閉じて頭を抱え、肩を小さく揺らす。言葉にならない呻きが、彼女の喉から漏れ出ていた。その姿は、怒りや恐怖じゃなく「どうにかしてやりたいのにどうにもならない」苛立ちに見えて、胸の奥にじくりと罪悪感が広がる。
「莉里とこのクラスで一番仲良いの恵美でしょ? どう思う?」
「どう思うって言われてもなぁ……私も莉里があの辺のヤバい連中とつるみ始めたって時点で、少しずつ距離置いてたし。昔の莉里を知ってるから余計にね。みんなも似たような感じだと思う。あからさまに拒絶はしないし、表面上は凄いねって持ち上げるけど、内心じゃみんな“あーあ”って」
「……もしかして莉里、ヤバい?」
「たぶんヤバい。私のとこにも誘い来たけど、彼氏いるからって突っぱねた。だから私には何もしてこない。もう……同じ学年で誘いに乗りそうな子の残弾は残ってないと思う」
残弾⸻恵美が何気なく口にしたその言葉に、思わず息を呑む。女の子を「男に渡すための残弾」なんて。あまりにも酷い言い回しだと分かっているのに、妙に状況に即していて、胸が冷たくなる。
淡々と告げるその声には、現実を突きつける重みがあった。
「そうなると、次は大人しい子とか下の学年の子に……ってなっちゃうかも。ないとは思うけど、流石にそれは避けたいなぁ」
頭の中で状況を整理する。
⸻私と由梨ちゃんが二人でいるところを、莉里に見られた。
⸻その場にいた彼氏に、私の存在を目に付けられた。
⸻莉里にはもう「献上」できそうな子が残っていない。
そうなると、次どうなるかは……。
誘うのも、男に献上した後の処理も面倒な箱入り娘か、莉里からすればツテの少ない下の学年か。
どちらにせよ、莉里が男に捨てられるのは時間の問題だろう。それ自体は、正直いいことだ。けれど、より深みにハマっていく恐れもあるし、その前に何かしら莉里が“暴発”する恐れがある。
恋愛と承認欲求に狂った女の子は、本当に怖い。
⸻いや、知ってる。恋する女の子は尊くて、眩しくて、世界を鮮やかに塗り替えてくれる存在だ。
でも、その気持ちが歯止めを失ったとき。自分の思い通りにしたいがために無茶を通そうとしたとき。理性なんて簡単に吹き飛んで、誰も止められないほどの力を発揮してしまう。
「それで坂尾さんをああやって身内に囲んだのね」
恵美が細い目をさらに細めて、窓際にもたれ掛かり、腕を組んだまま私を見た。半ば呆れ顔だけれど、その声色には確かな理解がある。
「そういうこと。恵美は話が早くて助かる」
「露骨過ぎて笑えるわ」
「てなわけで、誰か由梨ちゃんに嫉妬したりしないかフォローよろしくー」
「はーい、分かったわよ。沙織も気を付けなさいよ。一番ヤバいの、たぶん沙織だから」
言われてみれば確かに、標的になりそうなのは私自身だ。莉里の視線、彼氏の獲物を狙うような眼差し
⸻どちらも不快な温度を帯びていたことを思い出し、少し背筋が冷たくなる。
「……そうねえ、男が直接は流石にないと思うけど、莉里が押し掛けてくるぐらいは覚悟しないとかなぁ」
「それでも1人で帰るとかは出来るだけ気を付けないとよ」
恵美はあくまで淡々と、でも声の端には友達を心配する真剣さが滲んでいた。彼女がこうやって真正面から釘を刺してくれることが、どれだけ心強いか。
「ふふっ、心配してくれて、ありがと。恵美と友達で良かった」
「私もよ。沙織が友達で良かった」
二人同時に、同じタイミングで⸻
「「絶対に敵に回したくないから」」
声が揃った瞬間、私たちは顔を見合わせて、こらえきれずに吹き出してしまった。プッ、と息がもれると同時に、教室の空気がふわりと揺れる。
からからとよく通る笑い声が広がり、私と恵美が笑っていることに気付いた周囲の女子たちもつられて微笑む。何が面白いのか分からないまま笑いが連鎖し、机の間をぬうように小さな笑い声が波紋のように広がっていく。
「なに、なに? 何の話ー?」
「秘密ー」
「ずるーい!」
数人が茶化すように身を乗り出してきて、笑いの輪はさらに大きくなった。男子たちまで「何がおかしいんだ?」なんて顔をしつつ、結局よく分からないまま苦笑している。
ちょうどそのとき、教室の扉がガラリと開いた。
「はいはい、ホームルーム始めるから席ついてー」
先生の緩んだ声とともに、始業を告げるチャイムが鳴り響く。弾むような笑い声は、その音に押されて少しずつ収束していき、やがて静かに吸い込まれるように教室の空気へ溶けていった。
笑いの余韻を胸の奥に残したまま、私は「新しい一日」が始まる気配を感じていた。




