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第21話 由梨ちゃんが私の心に入ってくるの♡

 少し歩いて、完全に莉里たちの影が視界から消えた頃。

 私は「ふう……っ」と大きく息を吐き出した。

 その瞬間、張り詰めていた背筋の糸がぷつりと切れたみたいに、全身から力が抜ける。

 肩が落ちて、足の裏に重力がまとわりついて、膝がわずかに笑った。


「……ああー、こわかった……」


「……うん、こわかった。でも……ほんとに? 全然そんな風に見えなかった」


「当たり前でしょ。……私、ああいう男、苦手。てか、嫌いなの」

「……まあ、私も苦手だけど」


 由梨ちゃんの言葉に、私は思わず胸を押さえる。

 そう、私は恐ろしかった。莉里の隣にいた彼⸻あの男。

 彼の存在はまるで「暴力性そのもの」の具現だった。


 嫌悪。恐怖。拒絶。

 でもそれだけじゃない。私の中に潜む、もっと暗い感情を知っている。

 ……力のある者に従いたい、という生き物としての原始的欲求。

 それを認識してしまうから、ああいう存在が嫌いなんだ。


 私が女の子という美を愛するように。

 男が私のような美しさに惹かれるように。

 「可愛い」とか「綺麗」とか、そういう美は人を侍らせる力がある。

 可愛さに負けてしまう。造形美に平伏したくなる。⸻そんな欲求は誰の中にもある。

 光に集まる羽虫のように、インスタやSNSもつい可愛くて美しい存在を中心に集っていく。


 暴力も同じだ。

 絶対に敵わない「力」に、人は無意識のうちに惹かれてしまう。

 生存のために、本能がそう仕向けてしまう。

 あるいは、恐怖をごまかすために、自ら進んで服従しようとする。

 平伏するための上位存在を心のどこかで求めている。


 だからこそ。

 ああいう男たちは危うい。


 ……私のところにだって、クラスや学校で人気のある男子は何人も来た。

 「好きです、付き合ってください」なんて。

 彼らはみんな、自分から進んで私に好意という服従を差し出した。


 でも⸻獣は違う。

 彼らには、美が通じない。いや、違う。美が通じないのではなく⸻美が意味を失うほどの暴力を持っているからだ。


 彼らは「社会のため」なんて意識を持たない。

 「女を守るべき」なんて常識も通用しない。

 そこにあるのは、自分の欲望と衝動だけ。

 それだけのために暴力を使う、究極のエゴイスト。


 純粋な暴力。

 加害性そのもの。

 彼らにとって美しさは、求めれば奪える装飾品でしかない。奪いたい時に奪い、壊したい時に壊す。

 その残酷な事実を前にしたとき、美なんて……砂粒ほどにも無力だ。


 そのことが、私を震えさせる。

 ……でも。ぞっとするほどの甘美な興奮も同時に生むことを私は知っている。


 圧倒的な力に触れたときの震え。

 潰されるかもしれない予感と、守られるかもしれない錯覚。

 その両方が、私の中のどこかで眠っていることを知っている。


 もし絡め取られたら?

 私ですら、「獣を私の愛と美で飼い慣らせる」なんて錯覚してしまうかもしれない。

 そして、そんな自分に堕ちるかもしれないのが⸻恐ろしくて、苦手で、だから嫌いなんだ。


 私が惹かれるのは女の子という存在だけ♡

 女の子という美に惹かれ、

 女の子の可愛さに服従したい♡♡

 女の子の神聖さに平伏したい♡♡♡


「仕方ないから、今日はもうお開きかな? 莉里にまた会うとマズいし」

「……そうかも。ごめんね、これから買い物に夕食まで作らないといけないのに」


 由梨ちゃんが、少し肩をすくめるように言った。申し訳なさそうに目を伏せて、長い睫毛の影が頬に落ちている。


「え? 由梨ちゃん、もしかして信じちゃった? あんなの嘘ウソ」

「……え?」


 驚いた顔で目を丸くする彼女に、私はくすっと笑う。

「たまにしないといけないのは本当だけど、今日じゃないかな。じゃないと、その前に由梨ちゃんに洋服や下着見ようとなんて誘わないって」


「……え、うん。普通に信じちゃってた……」


 由梨ちゃんの唇がわずかに開いて、途方に暮れたように瞬きを繰り返す。その無防備さがあまりにも純粋で、私は思わず笑い声をこぼした。ケラケラと軽やかに。


 けれど、その笑いが自分の胸をくすぐったいほど温かくする。


 好き……可愛い……♡愛しいよ、由梨ちゃん……♡

 可愛くて、守ってあげたくて……♡胸がぎゅって苦しくなる……♡

 その純粋さ……♡穢れのなさ……♡全部可愛い……♡


 けれど同時に、ちょっと心配にもなる。この子はきっと、人の言葉を疑うより先に信じてしまうんだろう。そうやって何度も自分をすり減らしてきたんじゃないかな。


「私もね、あまり嘘とかは好きじゃないんだけどね。でも、どうしても吐かなきゃいけない場面とかも出てくるわけで」


「……吐かなきゃいけない場面?」


 由梨ちゃんが、申し訳なさそうに、でもどこかで引き寄せられるように問い返す。その瞳が揺れている。恐る恐る覗き込むみたいな、でも「もっと知りたい」っていう衝動に押されている光。


 ⸻その揺らぎが、私は嬉しかった♡

 今までの由梨ちゃんは、自分を開示することばかりに必死だった♡♡

 私に対する感謝と共に「こんな自分でもいいのかな?」って確かめたくて、無意識に自分をさらけ出そうとしていた♡♡♡


 でも今は違う。彼女は、私に触れようとしてくれている♡

 踏み込んでくれる。私の奥にまで♡♡


「気になる感じ?」

わざと、少し意地悪そうに首を傾けて聞く。


「う、うん……。言いたくないんだったら言わなくても良いんだけど」


 視線を泳がせながら、それでも逃げずに言う由梨ちゃん。

 ⸻ほんと、誠実で、弱いのに強い。


 私はゆっくり首を振った。

「ううん、いいよ。由梨ちゃんは特別」


「……っ」


 その瞬間、由梨ちゃんの肩が小さく震えた♡

 大きく見開かれた瞳が、すぐに涙で揺らめく。

 胸の奥を強く掴まれたみたいに、息の仕方を忘れてしまったような表情♡♡

 何かを言おうと唇がかすかに動くけれど、声にはならない。結局、言葉は喉の奥に沈んでしまう♡♡♡


 私は、その一連の仕草を見つめながら、どうしようもなく胸が熱くなった♡

 「特別」なんて軽く言ったつもりはなかったけれど、由梨ちゃんがそれほどまでに反応してくれるなんて、思ってもみなかったから♡♡


 気づけば、自分の鼓動が速くなっている。耳の奥でドクドクと響く音に、自分でも少し戸惑う♡

 頬がじんわりと熱を帯び、視線を合わせるのが怖いのに、同時に離したくもなかった♡♡

 ただ彼女の潤んだ瞳が愛おしくて、胸の奥を優しく、そして痛いほど強く締めつけられる♡♡♡


 可愛い……可愛い……♡由梨ちゃんが可愛すぎて……♡

 可愛いって思うたびに……♡胸が熱くて壊れそう……♡

 可愛い声……♡可愛い顔……♡全部私だけのものにしたい……♡


「さっき莉里が『合コンに誘ったのに』って言ってたじゃない?」

「……言ってたね」

「まず私、そもそも今彼氏が欲しいとか思ってないし、そういうのはいつも断ってるんだ」


「そうなんだ……」


 由梨ちゃんが素直に頷く。その声音は、どこか安心したようでもあり、逆に少しだけ不安げでもあった。


「でもね、莉里にもメンツってものがあるの」

「……メンツ」


 繰り返す由梨ちゃんの声は小さくて、言葉の意味をかみしめるようだった。


「ああいう子は、可愛い女の子を揃えて“場を映えさせれる女”ってカードが必要なの。男たちに見せるための舞台装置みたいにね。だから、私が断るときもただ『行きたくない』じゃ潰しが効かない。……そこで親の都合ってカードを出すわけ」


「親の都合……」


「そう。そうすれば莉里も、みんなに『白鳥沙織は親の庇護下からも抜け出せない程度の女』っていうレッテルを貼れる。表向きには私を下げながら、自分のメンツも立つ。私は私で、男のいる集まりに行かなくて済む。⸻つまり、WIN-WINってやつ」


 私が淡々と説明すると、由梨ちゃんは唇を結び、複雑そうに視線を落とした。眉の奥にかすかな影が差していて、それでも心の中でモヤモヤを消化するように、ゆっくりと言葉を探してくれる。


「……それって、沙織ちゃんがただ損してるようにしか聞こえないんだけど」


「なんで?」私は肩をすくめて微笑む。

「親の庇護下にいるのは事実だし、それを恥じる理由なんてない。むしろ、守ってくれる家族がいるって本当に幸せなことだと思う。どこの誰か分からない男の庇護下に入るよりは、よっぽどね」


 少し強めにそう言ってみせる。けれど本当のところを言えば、そんなの建前に過ぎない。


 WIN-WINなんかじゃない。

 ただのLOSE-LOSEだ。


 私は学校内の評判を落とし、莉里は「結局、女を引っ張れない子」と男からレッテルを貼られる。どちらも傷を負って、どちらも虚しくなるだけの関係。


 ……虚しいなぁ。

 女の子同士の関係って、男が絡むと本当にロクなことがない。


 結局、私の心の底から出てくるのはひとつの言葉だけ。

 ⸻やっぱり、男ってクソ。


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