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【二部開始】 Liebe   作者:
2章 誘いと過去のモノローグ

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28話A 何で栞はそういうことが言えるの?

 キッチンのカウンターで、トマトソースが静かに煮えている。

 鍋をひと混ぜすると、やわらかい香りがふわっと広がった。

 玉ねぎとニンニクを炒めて、トマトを加えて、ハーブを少し。

 火は弱いまま、そのまま置いてある。


 今日のメニューはスパゲッティにした。

 栞が帰ってきたらすぐに茹でて、出来立てを食べられるようにするためだ。

 少しだけ手抜きだけど、今の私にはこれが精一杯だった。

 食べながらではなく、食べる前にちゃんと話し合おう。


 栞が帰ってくるまで、最悪の事態ばかりが頭をよぎっていた。

 クビになるかもしれない。

 二度と口をきいてくれないかもしれない。

 それでも、自業自得だ。

 そう自分に言い聞かせていた。


 指先で木べらを握って、ソースを静かにかき混ぜる。

 そのとき、玄関のドアが開く音がした。靴を脱ぐ気配が、小さく響いてきた。

 足音は、一つ分しか聞こえない。

 少しだけ顔を上げると、入ってきたのは栞ひとりだった。

「……栞?」


 どうやら、秋子さんはそのまま戻るらしい。

 いつもは夕飯を食べていくのに。


「二人でゆっくり話しなさい」という、彼女なりの無言の配慮なのだろう。

 リビングで向かい合うと、何を口にすればいいか分からなくなった。


 テーブルを挟んで座る。

 ソースの香りが、私たちを優しく包む。

 けれど、言葉は同時に零れた。


「「ごめんなさい」」


 同時に頭を下げたのがおかしくて、思わず顔を見合わせた。


「あはは……。もう、綾さんも何謝ってるの?」


「……それは栞もでしょ」


 少しだけ、いつもの空気が戻った気がした。

 私は、冷蔵庫からミルクティーを出し、席に座る。

 グラスに注ぐ音が、部屋に静かに響く。

 冷たい液体がグラスを満たし、氷が軽く鳴る。


「……本当なら、これは綾さんの個人的なことだから、私に聞く権利はないんだと思う。でも……」


 栞はゆっくりとミルクティーを口に含み、私を真っ直ぐに見つめた。

 瞳が、テーブルを挟んで私を捉える。

 グラスの縁に触れる唇が、少しだけ緊張で固くなっているのがわかる。

 彼女の指がグラスを軽く握り、爪が透明なガラスに白く映る。


「もし、私を信用してくれるなら、話してほしい。……卑怯な聞き方なのは分かってるけど」


「……栞のことは、信用してる」


 俯きながら答える。

 いつものように淡々と話せない。

 声が少し震え、うまく話せてない気がする。


 私の過去。

 水無月さんは仕事柄、当然知っているはずだ。

 そしてきっと、長谷部さんも。

 あの時彼女は、父の苗字ではなく、母方の綿津見で言っていたから。


 胸の奥が、ざわつく。

 幼い頃、友達だと思っていた子たちは、みんな私の側から消えていった。

 期待すれば、身も心も奪われるだけ。

 だから誰もいらないと思っていたのに。

 どうして私は、今この場所に、彼女の前にいるんだろう。


「……話したら、栞も私に出て行けって言うかもしれない。もしそうなっても、私は従うつもり」


「綾さんは綾さんじゃん。何があったかは知らないけど、私は気にしないよ」


 栞の迷いのない言葉が、胸の奥に刺さる。


「……栞が言った通り、サッカーが好きならイングランドのフィールドは見てみたいと思う。あそこは、母国だから」


 私は静かに言った。


「なら、なんで? 唯さんに負けて自信がなくなったとか?」


 栞の声が、少し鋭く響く。

 彼女綺麗な瞳が、私をまっすぐ見つめてくる。


「長谷部さんは、女子サッカー界の世界最高峰の選手だよ。そこまでうぬぼれてないと思う」


 自嘲気味に笑うと、少しだけ心が軽くなった。

 唇の端が引きつるのが、自分でもわかる。


「私も一週間くらい仕事でいないし、いいかなって思うんだけど」


 栞はもう一度そのことを言ってくれる。私たちもいないんだから行ってきなよって。

 背中を押してくれてるのはわかってるんだけど。


「……向こうにいるのは、たぶん五日間くらいだと思う」


 二日飛行機泊になるから多分それぐらいだろう。


「行ってくればいいじゃない。……唯さんも向こうに行っても行けると思って誘ってるんだし」


栞が身を乗り出してくる。

テーブル越しに彼女の顔が近づき、瞳が真っ直ぐに私を捉える。

黒髪が肩に落ち、細い指がテーブルの端を強く握っている。


「だから……できない」


「あああああああああん、もう、理由を教えて、行きたいんでしょ。お金も何も問題ないじゃん。理由がわからないんですけど。そこはわかった。行くって流れだと思うんだけど」


 栞の声が、テーブル越しに響く。

 苛立ちと心配が混じった視線が、私を捉える。


「だから……」


 事実を言うだけだ。

 調べても確証は出にくいかもしれない。

 けれど、少し推理すればほぼ正解に辿り着けるはず。


 もし、栞に嫌われたら。

 そんな不安が胸をかすめる。

 どうして栞が、それこそ関係ないはずの私のことに、そこまで……。


「たぶんね、私、それを聞いても驚かないと思うよ。流石に実は綾さんがサイコパスで、何十人も殺してきました……とかだったら別だけど」


「……それなら、今ここにいないよ。もし本当なら、事情を知ってる水無月さんが真っ先に通報してるはずだし」


「そりゃそうだよね。じゃあ何? 何が綾さんの鎖になってるの?」


 栞の真っ直ぐな瞳。私は覚悟を決めるように問いかけた。


「……もしかしたら、これでサヨナラかもしれないよ。それでも知りたい?」


「それで綾さんが行く気になってくれるなら、知りたい」


 見つめると、なぜか栞の顔が赤くなっている。

 仕事で疲れているのに、こんな重い話に付き合わせているせいだろうか。

 彼女の頬が、ほんのり赤らみ、瞳が少し潤んでいるように見える。


「……栞、顔赤いよ。この話、ここまでにしない?」


 そう言った瞬間、がたッと鈍い音がした。

 栞がテーブルに額をぶつけている。

 ……大丈夫なの、それ。

 頬はほんのり赤いままで、部屋の灯りに照らされて、余計に目立っていた。


「はぁ!? 顔が赤いのはそういうのじゃないから! ほら、教えてよ」


 栞は視線を逸らして、少しだけ間を置いた。


「……たぶん秋子さんは、それを聞いちゃったら、立場上止めなきゃいけないから、本人から聞かなければいいって思ってるんだと思う。全くもう、知ってるなら教えてくれてもいいのに」


 栞の声が、苛立ちを隠せずに跳ね上がる。

 水無月さんの沈黙。それは彼女なりの出来る範囲の優しさだったのかもしれない。


「……たぶんね。栞が思っている『斜め上』の内容だからだよ」


 私は、小さく息を吐きながら答える。

 言葉が喉の奥で少し詰まる。


「うん、私は覚悟を決めた。私がどう判断するかは綾さんが気にすることじゃない。それは私の気持ちだから配慮は無用。いいね?」


 栞の声は真っ直ぐで、迷いがない。

 彼女の瞳が、揺るぎなく私を見つめている。

 その強引さが、今はなぜか胸に染みる。

 本当に、無茶苦茶な理屈だ。

 でも、その強引さが今はありがたかった。


 私は一度深くため息をつき、温くなったミルクティーを一口飲んだ。

 甘い液体が喉を通り、胸のざわめきを少しだけ和らげる。

 そして、語りだした。

 あの日からずっと、私の心に居座り続けている。

 忘れられない12年前の出来事を。



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