24話A 敗北
練習はいつも通りだった。
パス練習、ドリブル、シュート。汗が額を伝い、息が上がる。
先ほどまで笑っていた長谷部さんは、練習になると別人だった。
表情が引き締まり、瞳が鋭く光る。
ダメ出しの連続。
「そこ、もっと体を低く!」
「パスが遅い!」
「視野が狭い!」
声は厳しく、容赦ない。
どれも的確で、ためになるものばかりだった。
彼女の指摘が刺さるたび、指導を受けた選手の体が自然と動くようになってるのがわかる。
ダメ出しの言葉が耳に届いた瞬間、足が勝手に反応する。
膝の角度が微妙に変わり、腰の重心が低くなり、ボールへのタッチがより繊細になる。
汗が額から頰を伝い、ユニフォームに染み込むのに、動きはどんどん滑らかになっていく。
足の運びが変わり、ボールのコントロールが少しずつ安定していってる。
先ほどまでぎこちなかったパスが、ピタリと味方の足元に収まっている。
ドリブルで相手をかわす瞬間、ボールが足裏に吸い付くような感覚が蘇る。
「みんなの実力は大体わかったよ。あんたが天狗になるはずだ」
そう言ったあと、彼女は私を見た。
視線がまっすぐ刺さり、胸の奥が小さく震える。
ポニーテールが風に揺れ、汗で濡れた前髪が額に張り付いている。
「唯姉、綿津見は?」
上野君は、まだ私がやっていないのを知っていてそう言ってくれた。
彼の声は少し誇らしげで、視線が私を捉える。
苗字が違うから姉弟ではないとは思うけど。
「あぁいいの。彼女の実力はある程度把握してるから」
彼女の声は、グラウンドに静かに落ちる。
ポニーテールが軽く揺れ、汗で濡れた前髪が額に張り付いたまま、彼女の視線が私に留まる。
その言葉に、グラウンド全体の空気が一瞬凍りつく。
選手たちの息遣いが止まり、ボールの転がる音さえ消える。
なぜ私は彼女に嫌われているのかよくわからない。
長谷部さんの瞳は冷たく、でもどこか深いところで私を測っている気がしていた。
憧れていた選手に、そんな風に見られていることが、予想以上にストレスを感じているのがわかる。
「だから、私と一対一をしようか?そこの大木ちゃん」
長谷部さんが、ボールを軽く足で転がしながら、唇の端をわずかに上げる。
「大木ちゃん」という呼び方が、グラウンドに小さく波紋を広げる。
私の銀髪と赤い瞳を、彼女は一瞬だけ見つめ、すぐに視線をボールに戻していた。
部員たちの視線が一斉に私に集まり、息を呑む音が聞こえる。
「いくら綿津見でも唯さんには勝てないだろ」
「もしかしたらいいところ行くんじゃない」
勝手に外野が騒いでいる、そんなことはどうでもいい。
これは私にとってはチャンスだと思い。立ち上がった。
どんな事情だろうとあこがれの人と出来るのだから。
ユニフォームの裾を軽く払い、深く息を吸う。
「ご指名なら受けますよ」
あの時は、正体の分からない相手だった。
先日の対戦。帽子と完全に髪を下ろしていて気付かなかった。
でも今回は違う。
私は何度も彼女相手にイメトレしてきた。
部屋の鏡の前で、動画を何度も見返し、唯の動きをトレースしたこともある。
ステップ、トラップ、ターン。
長谷部唯選手は、私が憧れた選手の一人だ。
絶対に、先日のようにはしない。
胸の奥で、静かな決意が燃える。
彼女がボールを渡してくる。
軽く蹴り上げられたボールが、私の足元に転がる。
私はドリブルで仕掛けた。
急加速。
右足裏でボールを止め、反動で左足に当てる。
浮いたボールは、相手の頭上を越える。
……はずだった。
次の瞬間。
あの人は、一歩後ろに下がり、バックジャンプして胸でトラップをしていた。
ボールは跳ね返ることなく、そのまま真下に落ち、彼女の足元にぴたりと収まる。
動きは滑らかで、無駄がなかった。
まるで私の意図を先読みしていたかのように。
「先を見るのも大事。でも決まったと勝手に思って、ボールを見ないのは言語道断。動きが鈍すぎ」
冷たい声でそう言われてしまった。
言葉が耳に刺さり、胸が締め付けられる。
汗が背中を伝い、ユニフォームが肌に張り付く。
周囲の歓声がすごくうるさい。
そしてまたボールを渡される。
そしてドリブルをして、抜くために色々するのだけど、また簡単につぶされた。
フェイントを入れ、ボールを細かく触り、加速を繰り返す。
でも、彼女の足がいつも一瞬早く動き、私の進路を塞ぐ。
ボールが奪われ、彼女の足元で静かに止まる。
結局何もさせてもらえなかった。
息が上がり、心臓が激しく鳴る。
グラウンドの芝生が、足の裏でざらざらと擦れる感触だけが残る。
彼女は私を見るだけでこれというアドバイスはなかった。
ただ、視線を注ぎ続ける。
その瞳の奥に、期待か、失望か、それともただの観察なのか、何も読み取れない。
長谷部さんの要望で、男女込みの混合チームでやることに。
グラウンドの空気が一気に変わった。
選手たちがざわつきながらポジションを決め、チーム分けの声が飛び交う。
みんなすごく嬉しそうだった。
それはそうだろう。
次期バロントールをとれるかもしれない選手でもあり、人気でもある彼女とサッカーができる。
そんなのは、私でもテンションは上がる。
私のチームはレギュラーチーム。
普段のスタメン中心に組み込まれ、息の合った動きを期待される側。
長谷部さんのチームは補欠チーム。
控え組と、彼女が自ら入った混成チームだった。
ボールがセンターサークルに置かれ、ホイッスルが鳴る。
陽光が芝生に反射し、汗の匂いと土の匂いが混じり合う。
私はいつも通り動いた。
素早く見渡しながら、スペースを突き、ボールを呼び込む。
足元にボールが来れば、ワンタッチでターンし、鋭いパスを出す。
でも、思ったところに味方のパスがこない事、
そして私のパスはチームメンバーの取れなかった。
私の加速に、誰も追いつけない。
パスコースが空いていても、誰もそこに走り込まない。
独りでボールを抱え、孤立する瞬間が何度も訪れる。
何でこんな時にみんな調子が悪いわけ?
いつもと同じようにしてるのに。
そして結果は6-0で完全に完敗だった。
スコアボードの数字が、容赦なく突き刺さる。
いくら長谷部さんがいるからってぼろ負けだった。
補欠チームが、レギュラーを圧倒的に蹴散らした。
彼女の動きは静かで、でも確実だった。
パスを繋ぎ、スペースを埋め、相手の流れを断ち切っていた。
そして恐ろしいことに、一回もあの人はシュートをしていなかった。
ゴールを決めたのはすべて部員たちだった。
彼女はただ、中盤で糸を引くようにボールを操り、チームを動かしていただけ。
それだけで、6点を取られた。
グラウンドに座り込んだ私の前に、長谷部さんが立っていた。
ポニーテールが汗で重く垂れ、ユニフォームが肌に張り付き、息が少し上がっている。
陽光が彼女の背後から差し込み、影が私の上に落ちる。
「……あんたさぁ」
静かな声。
低く、抑揚のない響きが、耳に直接染み込んでくる。
「サッカー舐めてる?」
舐めてないし、私は真剣にって出そうとしたけど、声が出なかった。
喉が乾き、言葉が詰まる。
胸の奥で、何かがぐちゃぐちゃに絡まる。
彼女を見上げ、銀髪が額に張り付いて視界を少し遮る。
息が苦しく、指先が芝生を掴む。
「独りよがりなら、やめた方がいいよ。サッカーは個人技も大事だけど、チームスポーツだよ。いくら実力あっても向いてない。実際私のパスの成功率は90%を超えてると思う。貴女は?サッカーは曲芸じゃないんだよ」
その言葉が、胸に深く突き刺さる。
実力はあると言われた。
でも、それが何の意味もないことを、今、はっきりと突きつけられた。
唯の視線は冷たくない。
ただ、事実を淡々と告げているだけ。
それが、余計に痛い。
その瞬間。
私は走り出していた。
座り込んだ体が、勝手に跳ね上がる。
私はどこに向かっているのかも分からないまま走っていた。
スパイクがアスファルトを強く蹴り、息が乱れ、肺が焼けるように熱い。
髪が汗で頰に張り付き、風に乱れて視界を遮る。
視界がぼやけ、夕陽の赤い光が涙のように滲む。
学校のグラウンドから、フェンスを越え、住宅街の路地を抜け、坂を駆け下りる。
足音だけが静かな通りを切り裂き、心臓の鼓動が耳元で鳴り響く。
どこへ向かうのか、自分でもわからない。
ただ、彼女の言葉が胸に突き刺さったまま、逃げたくて、動かずにはいられなかった。
気づけば学校からかなり離れていた。
街の灯りがまだまばらで、夕陽が西の空を赤く染め、長い影を地面に伸ばしている。
息が上がって、膝が震え、ようやく足が止まった。
そこは私の家の近くの小さな公園だった。
街灯がひとつだけ、点き始めたばかりの橙色の光でブランコをぼんやり照らしている。
ブランコの鎖が微かに揺れて、小さな金属音を立てる。
周りは木々に囲まれ、葉ずれの音と遠くの車の音が静かに混じり合う。
私はその場に座り込んだ。
膝を抱え、芝生の上に崩れるように体を沈める。
ユニフォームが汗で冷たく張り付き、肌に不快な感触を残す。
悔しい。
胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
心臓が痛いほど締め付けられ、息が詰まる。
喉の奥で何かが詰まり、熱いものが込み上げる。
「くっ……」
手で顔を覆う。
手の平に涙が落ち、指の間を伝って滴る。
涙が止まらなかった。
頬を伝い、顎からぽたりと落ち、ユニフォームの胸元を濡らす。
「何よ……」
長谷部唯。
世界で戦っている選手。
なでしこジャパンのキャプテン。
ムーンシティWFCで中盤を支配する存在。
そんな相手に敵うはずない。
頭では分かっている。
実力の差は、歴然としている。
でも。
「舐めてる……?」
その言葉が、何度も頭の中で響く。
唯の静かな声が、耳の奥で繰り返される。
冷たく、でも事実を突きつける響き。
「独りよがり」
「サッカーは、チームスポーツ」
「いくら実力あっても向いてない」
一つ一つの言葉が、胸に突き刺さり、抜けない。
私は拳を握った。
爪が手の平に食い込み、痛みが走る。
「……そんなつもりじゃない」
ぽつりと呟く。
声が震え、夕方の空気に溶ける。
「私は……」
その先の言葉が出ない。
何を言いたいのか、自分でもわからない。
真剣にやっていた。
練習してきた。
憧れていた。
なのに、今日の試合で、何もできなかった。
パスは通らず、味方は追いつかず、独りで終わった。
すべてが、虚しく感じる。
涙が、また溢れた。
抑えきれず、肩が震え、嗚咽が漏れる。
誰もいない夕暮れの公園で、私は声を上げて泣いた。
ブランコの鎖が風に揺れる音だけが、静かに寄り添うように響く。
街灯の光と残る夕陽が、私の銀髪を淡く照らし、涙の軌跡をきらめかせる。
胸の奥の熱い塊が溶け出して、涙が止まらなかった。
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