15話S 負け犬の遠吠えと異性の壁
あの事件から一週間がたっていた。
相変わらず、綾さんはいつも通りで、休憩時間は復讐か予習をしているように見えた。
私自身最近はセリフ覚えとかが忙しくてあれから、話も最低限しかしてなかった。
昼休み、上野君が今日来てるって話が耳に入った。
インフルで休んでたらしい。そういうことにしたんだろう。体調不良は表向きの理由として一番角が立たない。
教室は相変わらず、内容のない会話で埋まってる。
学園のお芝居で、事件以外の休憩時間を流さないのは無駄だと改めて思った。
放課後、帰宅のために荷物をまとめていると、廊下側が少しざわついた。
顔を上げた瞬間、上野君が教室の出入り口で止まった。
上野君はそのまま綾さんを呼び出して、どこかへ行くつもりみたいだった。
綾さんが教室を出ていく。
私は少し遅れて、廊下に出た。追いかけてるって分からない距離を保って、足音を消すみたいに歩く。
昔、お芝居で叩き込まれた歩き方が、こんなところで役に立つなんて思わなかった。
女盗賊の役をやったとき、演技の人とアクションの人に、体重の乗せ方と、音を立てない足の運びを何度も直されたんだっけ。
行き先は……たしか、あの方向は部室だ。
思った通り、二人はサッカー部の部室に入っていった。
扉の向こうから、上野君の謝罪が途切れ途切れに聞こえてくる。
それに返った綾さんの声は、相変わらず平坦だった。
「気にしていない」
ほんとに気にしてない人なら、「うん、わかった」とか、「謝ってくれたからいいよ」って言うんじゃないの。
気にしてないって言う人ほど、気にしてる。そういうの、何度も見てきた。
でも、綾さんだし。本心なのかもしれない。
それでも、あの感情のない言い方を聞くたびに、胸が痛む。
私が部室の扉の横で立っていたら綾さんがそのまま出てきた。
「綾さん」
声が小さくなった。呼ぶだけで、覚悟がいるみたいな声になって、自分でも嫌になった。
綾さんは少し驚いた顔をした。ほんの少しだけ。
「盗み聞きはよくないと思うよ。何か用?」
この間と同じだ。さっき扉の向こうで聞いた声と、今、目の前で聞いた声が同じだった。
それが、じわっと悲しくなる。
「上野君と、何を話してたの?」
綾さんは短く言った。
「謝罪」
それだけだった。
綾さんの顔は、のっぺりした仮面みたいで、感情が抜け落ちたみたいに見えた。
たぶん、私の顔のこともばれてる。
メイクで隠したつもりでも、見る人が見れば意外と分かる。目の下の重さは消えないし、腫れもまだ残ってる。
この間、メイクさんにも迷惑かけたなって思った。
涙袋を作ってごまかしてくれたんだっけ。あの手が、妙に優しかった。
そう考えた瞬間だった。
綾さんが、私の名前を呼んだ。
「栞」
「なんで、毎日そんなに心配するの?」
真正面から聞かれた。いつか言われるかもって思ってたのに、こんなに真っすぐ来るとは思わなくて、言葉が止まった。
私は唇を噛んだ。噛んで、離して、また噛む。
言葉が喉で引っかかって、出てこない。普段はこんなことないのに、綾さんとこういう空気になると、黙ってしまうことが増える。
何を言うのが正解なんだろう。
壊れるのが怖いって言ったら、「関係ない」で切られる気がした。
違う言い方を探しても、軽く流されるのが怖い。
そうなったら、綾さんはもっと遠くへ行く。
でも、答えないのも違う。
だから、一つだけ。
「綾さんが、ひとりでいるのが、嫌だから」
言った瞬間、喉が震えた。
目の奥が熱くなって、泣くなって、自分に言い聞かせた。
綾さんの顔が変わった。変わったのに、よく分からなかった。痛そうで、怖そうで、でも、何も起きてない顔だった。
「そう、でも私にはどうでもいいから」
やっぱり、来た。そう言うと思った。
綾さんの中では、何をしても変わらないって、もう決めてるみたいだった。
胸の奥が冷たくなった。
声が無機質なのも分かった。普段の声じゃない。わざと冷たくしてる声だ。
その事実が、逆に苦しい。
冷たくしないと守れない場所が、綾さんの中にある。
大変な時は相談して、って言っても。
たぶん、「ありがとう、でも必要ない」って返ってくる。
それでも、そこで一回「ありがとう」って言えるのが、綾さんが優しい人だってことも分かってしまう。
だから余計に、苦しい。
私は笑った。笑うしかなかった。
自分でも分かった。歪んだ笑顔。演技でも出したことのない、一番不細工な笑顔になったと思う。
「うん……わかってる」
わかる。頭では、ちゃんとわかる。
でも、わかりたくはなかった。
綾さんはきっと、今までずっとこうやって切ってきた。
近づくものを切って、自分のほうも少しずつ削って、それでも生きるために。
それが綾さんの、生き残るためのやり方なんだと思う。
でも、それって。
他人を全部遠ざけて、綾さん自身も血を流していくみたいな生き方だ。
つらいよ、って言いたかった。
今ここで言っても、きっと届かないのも分かってる。
「関係ない」って、静かに返されるだけだ。
綾さんが私の横を通り過ぎた。
すれ違う瞬間、体が勝手に小さく震えた。止められなかった。
触れたくて、触れられなくて、息だけが残った。
綾さんの背中が遠ざかっていく。
呼び止めなかった。呼び止めたら、もっと遠くへ行く気がした。
私は部室の壁にもたれかかって、しばらく動けなかった。
そのときだった。
「ちくしょ~~~~~~う」
扉の向こうから、床を叩く音と一緒に、上野君の声が響いた。
あんな声、初めて聞いた。子どもみたいで、痛々しくて、耳に残った。
気づいたら、手が動いていた。
私はそのまま扉を開けて、サッカー部の部室に足を踏み入れた。
上野君が、目を大きくして固まる。
まるで、見られたくないところを見られたみたいな顔だった。
「……霧生 栞? なんでこんな場所に」
私は、その顔をじっと見てやった。
「皮肉くらい言ってもいいだろ?」
「そう。じゃあ負け犬の遠吠えを聞きに来ただけ」
ご注文どおり、嫌味たっぷりに言ってあげた。上野君は、視線を落として頭をかいた。
「あの時、声上げてくれてありがとう。感謝してる」
「野次馬根性が混ざっただけ。お芝居のために、普通の学校の空気を知りたかったのもあるし。噂の二人が部室に入って、何してるのか気になって見に行ったら、ああいう場面だった」
誰がこんな言い訳を聞いて、うなずくんだろう。自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた。台本を書く人って、改めてすごい。
上野君が、苦笑いした。
「皮肉はよしてくれ。反省はしているし、どういう顔で学校に着ていいかわからなかったから学校を休んでたわけだしな。」
「そう?」
「芸歴が長い霧生が気にしてるってことは、綿津見は相当すごいってことだろ。違うか?」
「褒められたって受け取っておく。過剰評価だと思うけど」
上野君は、急に真面目な目になった。
「最初はさ。スタイルもいいし、付き合いたいって下心もあった。でも、数日話して分かった。あいつ、たまにすげー可愛い顔で笑うんだ。普段は氷みたいなのに、ふっとゆるむ。春が来たみたいな笑顔でさ。惚れて当然だろ」
その気持ちは、分かる。綾さんはギャップが強い。何気ない一瞬が、刺さる。
だから今の、氷みたいな距離も、逆に存在感が強すぎて。周りが触れられなくなってるんだと思う。
「それで諦めるつもりなんだ……」
「俺は失敗したんだ。普通ならリカバリィはできるが、綿津見はもう俺にはあんな顔で微笑み返さない。きっと好きなサッカーの話をしてもな」
私はそれを聞いて頭に来た。あなたは私が越えられない壁を越えれるのに、そんなことぐらいで……そんなことぐらいで……諦めるの
「あんたは、異性じゃん。それだけで私には乗り越えられないものを持っているのに」
バン
言い捨てるみたいに吐いて、私は力いっぱい部室の扉を閉めた。
乾いた音が廊下に響いて、そのまま帰った。
私の気持ちを本当の気持ちをはっきり自覚をした。
私はたぶん初恋をした。
綿津見 綾という氷の城壁に守られた本当はか弱い少女を。
そしてそれを第三者に伝えてしまった。
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