1話
「……で、副司令。なぜ我々は“世界征服”を目指しているのに、アメリカでも中国でもなく、目黒区八雲にいるんですか?」
その問いは、朝の定例会議の冒頭で、戦闘員No.37が手を挙げて放ったものだった。
会議室の空気が一瞬で凍りつく。
副司令・鷲尾慎一郎(52)は、胃のあたりを押さえながら、ゆっくりと眼鏡を外した。
「……それは、上層部の戦略的判断によるものだ」
「でも、“世界征服”って言ってるのに、八雲って……住宅街ですよ? 駅からも遠いし、坂も多いし、そもそも人通りが少ないし……」
「静かで、左右対称な街並みが多い。だからだ」
「でも、世界征服って、もっとこう……ニューヨークとか、北京とか、そういう……」
「八雲から始めるのが“シンメトリー式”なんだよ」
鷲尾は、そう言いながら、机の下で胃薬をそっと取り出した。
このやりとりは、今月に入ってもう4回目だ。
上からは「一刻も早く世界を征服せよ」と命じられ、
下からは「なぜ八雲なのか」「なぜ左右対称なのか」「なぜ制服が左右で色違いなのか」と詰められる。
中間管理職とは、常に“なぜ”の矢面に立たされる存在なのだ。
鷲尾は、会議室の壁に貼られたスローガンを見上げた。
「左右対称こそ、世界秩序の礎」
この言葉を最初に掲げたのは、総帥・左右大帝だった。
彼は世界の混沌を“非対称性”のせいだと断じ、すべてを左右対称に整えることで秩序を取り戻すと宣言した。
その理念に共鳴し、鷲尾は20年前、正義の組織を辞めてシンメトリーに転職した。
だが――
(本当に、これでよかったのか……?)
そのとき、通信端末が鳴った。画面に映ったのは、左右大帝の顔だった。
「鷲尾。進捗はどうだ。世界征服は完了したか?」
「いえ、まだ……八雲の区画整理が難航しておりまして……」
「言い訳は聞かん! 来週までに“左右対称な小学校”を一校、完成させろ!」
通信が切れる。
鷲尾は、胃薬をもう一錠飲み込んだ。
「……小学校を左右対称にって、校舎の構造からして無理だろ……」
そのとき、警報が鳴った。
「副司令! “アニマル戦隊わんだにゃー”が、また八雲中央公園で“非対称フェス”を開催しています!」
「またか……あいつら、左右非対称を正義だと勘違いしてる……!」
鷲尾は立ち上がった。
背広の襟を正し、部下たちに言い放つ。
「出動だ。我々は、左右対称の美しさを世界に示す。まずは、八雲からだ!」
現場に到着すると、わんだにゃーのメンバーがカラフルなテントを張り、左右非対称な帽子を配っていた。
司令官の“キャプテンわん”がマイクを握り、叫ぶ。
「非対称こそ個性! 左右が違うからこそ、世界は面白い!」
鷲尾は、そっと戦闘員に耳打ちした。
「……帽子、左右の耳の高さが違うぞ。あれは完全に挑発だ」
戦闘員たちは、静かに“対称化スプレー”を取り出し、テントの配置を左右均等に整え始めた。
だが、わんだにゃーの“ミスにゃー”が叫ぶ。
「やめて! このテントは、あえてズラしてるの! それが“猫の自由”なの!」
鷲尾は、マイクを握った。
「猫の自由も結構だが、公共空間においては秩序が必要だ。左右対称は、心を安定させる」
「それって、ただの押しつけじゃないですか?」
観客の子どもがそう言った。
鷲尾は、一瞬言葉に詰まった。
「……押しつけではない。“整える”ことは、誰かの不安を減らすことでもある」
その言葉に、わんだにゃーのメンバーが少しだけ黙った。
そして、キャプテンわんが言った。
「じゃあ、半分だけ対称にしてみる? それなら、両方の気持ちに寄り添えるかも」
鷲尾は、驚いた顔で彼を見た。
そして、静かに頷いた。
「……それが、妥協という名の秩序かもしれんな」
その日、八雲中央公園では“左右対称と非対称の共存ゾーン”が設けられた。
鷲尾は、ベンチに座りながら、戦闘員たちの活動を見守っていた。
「副司令、今日はちょっと楽しかったです」
「……そうか。なら、世界征服は少し延期してもいいかもしれんな」
空は、左右対称ではなかった。
だが、鷲尾の心は、少しだけ整っていた。




