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 夜の電車は、朝の電車とはまた一味違う。

 朝の彼らは大人しい。何もしなければ何もしない。ただそこに立っているだけ。


 でも、夜の彼らは違う。目が完全に獲物を狙う目になる。獲物っていうのは──僕。


 本当に疲れる。あいつら、爪が鋭いからマジで怖い。服なんて簡単に破かれるし、肉までえぐられる。勘弁してくれ、ジョージ。


 さっきも1.5キロ泳いだばかりで、呼吸はぜいぜい言っている。しかも時間通りにいかないから、この世界お得意の「シャトルラン帳尻合わせ」にも付き合わされて、もう汗だくだ。汗拭きシートを使っても匂いはごまかせない。服に染み付いてる、あの汗。


 ……そう、またこの奇妙な世界の電車に揺られながら、帰宅中だ。僕が雨じゃない日も傘を持ち歩いているのは、あいつらから身を守るため。最初に襲われたときは驚いた。いや、正直言うとかなり痛かった。


 幸い、彼らの動きはそれほど俊敏じゃない。だから走れば僕のほうが速い。ただ、相手は爪が大きく鋭い。近寄られると一瞬で肉を持っていかれる。


 だから最近は工夫している。乗ったらすぐ先頭車両に移動して、運転席に入る。ドアを閉めて鍵をかければ、奴らは入ってこられない。鍵越しに睨んでくるが、入れないとわかれば大人しくしている。


 問題は、降りるときだ。必ず扉の前に奴らが陣取っている。目も口もついていて、人の形をしているくせに──とにかく爪が、鋭くて、でかい。あれはビビる。


 だから出るときは思い切りが肝心だ。まず扉を思い切り蹴り上げて開け、一体をひるませる。その隙にもう一体を傘で牽制して、突破する。……だいたい、そんな感じだ。


 駅を出ると、僕を待っているものがいる。

 あいつらは何なんだろうね。真っ赤な目をしていて、充血したように血走っている。顔に口はなく、その代わりに胴体の中央に大きな口がついている。手は片方しかないのに、両足で器用にバランスを取り、重心を崩さずに走ってくる。意外と足も速い。


 とにかく捕まらないように、僕はダッシュで駅前の駐輪所へ急いだ。自転車にさえ乗れば、余裕で帰れる。


 四体の奴らを躱しながら、駅前に並んだ店を横目に駆け抜ける。信号が赤に変わった。でも、もう後ろには奴らが迫っている。とりあえず鞄を一つ後ろに放り投げて足止めする。奴らがそれに気を取られている間に、信号は青に変わった。僕は加速する。至近距離まで迫ってきた奴らの息づかいを振り切り、駐輪所に飛び込んだ。


 ──着いた。


 そこで思い出す。あぁあ。そういえば今日は徒歩だったね。


 駐輪場の唯一の入り口には、すでに奴らが続々と集まってきている。出口を塞がれた。どうしようか……いや、大丈夫だ。僕はトライアスロン部で、走るのも得意だ。1キロ4分ペースなら余裕で走れる。


 見たところ、あいつらはだいたい1キロ5分ペース。なら、4分40秒ペースで走れば逃げ切れる。僕の場合、20キロくらいはそのペースで走れる。家までは2キロもない。つまり、余裕だ。


 問題は──どうやってこの包囲から抜けるか、だね。


 さて、鬼ごっこの始まりだ。


 この駐輪場は四方を金網で囲まれている。しかもリュックも回収しなければならない。まあ、最悪置いていってもいい。なぜなら、親切なこの奇妙な世界は、落とし物を必ず交番に届けてくれるからだ。


 さて、と。


 僕は設置されている雨除けの屋根に両手をかけ、筋肉をさらに酷使した。下では奴らがうじゃうじゃと蠢き、胴体に付いた人を丸吞みできそうな口を大きく開けている。僕に近づいたからだろう。


 出口が開けた。奴らはすべて、今や僕の真下にいる。

 助走距離をできる限り確保し、ぴくぴくと痙攣する足でトタン屋根をドタドタと踏みしめ──飛んだ。


 ごろごろと転がりながら着地し、その勢いで信号を無視して渡る。放り投げたリュックを回収し、橋を駆け抜ける。


 リュックが上下に揺れる。うざい。無駄に体力を消耗させられる。それでも拾ったものを、もう一度捨てる気にはならなかった。取るために費やしたエネルギーが無駄になっちゃうからだ。


 ここからが正念場だ。橋を渡り切れば、次は斜度二十度ほどの上り坂。インカレ予選の坂に比べれば大したことはない。だが、今の僕の体力は限界に近い。


 坂の途中で足が止まった。両足が攣ったのだ。つま先をそらすと、その動きに連動して今度は背中が攣る。立っていられなくなり、ガードレールにすがりつく。歯を食いしばった。呼吸が荒くなる。


 ……そのとき。


 足音が近づいてくる。ぺた、ぺた、と裸足の音。奴らが追いついてきたのだ。

 僕は痙攣する体を、奴らが迫ってくる方へ向けた。

 いつもは存在すら曖昧な、首にかかる鎌の気配を探すように手を伸ばす。

 指先が空を切り──次の瞬間、確かに刃に触れた。冷たく、鋭利な縁が手のひらに食い込む。


 その冷たさと鋭さを確かめるように、手をゆっくりと滑らせた。皮膚が裂け、血がじわりとにじむ。それでも止まらない。赤い線を残しながら刃を伝い、やがて柄に届く。


 そして──握った。

 振りかぶる余裕なんてない。ただ遠心力に任せて、左右に振り抜く。


 ずしゃ、と肉を断つ感触。

 奴らは赤い液体をまき散らしながら、地面にひれ伏した。


 ……くせえ。鉄と腐臭の混じった匂いが鼻にまとわりつく。服にも飛び散り、熱い液体が貼りついた。

 ああ、いててて……。手のひらの傷、そして全身を支配する筋肉の攣り。痛みが波のように襲ってくる。


 リュックから水筒を取り出し、ごくごくと飲む。喉が潤い、頭の中に静けさが戻る。筋肉の弛緩が緩む。


 ガードレールをつたいながら、ふらふらと家を目指す。

 玄関の扉を開けた瞬間──虚無の疲労と、大量の汗と、全身を這う痛みが一度に押し寄せ、僕はそのまま床に崩れ落ちた。

明日は、自転車で行こう。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

拙い部分も多いかと思いますが、少しでも楽しんでいただけたのなら嬉しいです。

思いつくままに書き進めた作品ですが、これから磨きをかけていきたいと思っています。

次のシーンも既に頭に浮かんでいるので、もし書き上げることができたら、読んでいただきたいです。

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