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古井戸

作者: あい太郎

ドイツ西部、ラインラント=プファルツ州。森に囲まれた小村ヘルシュバッハでは、50年以上前に起きた「井戸の事故」が未だ語り継がれていた。


老朽化した井戸に落ちた少女が、数日後、白髪になって発見されたというのだ。


その少女は一言も話さず、やがて失踪し、井戸も封印された。


今ではその井戸は、教会の裏庭に苔むして残っているが、誰も近づかない。地元の人はただ「ブリュンネン(井戸)」と呼ぶだけで、詳しく話したがらなかった。


 


そんな村に、若い女性建築士レナ・シュミットがやってきた。


修復対象は村の旧教会。かつて修道院だった石造りの建物で、長く使われていなかったが、村の観光資源として復元が決まったのだった。


彼女は都市での騒がしい生活に疲れ、静かなこの村を心から気に入った。

だが、修復にあたって不可解な現象が続いた。



図面にない通路が突然現れ、夜ごと何かが這うような音が天井裏から響く。

作業員は皆次々と辞めていき、レナは一人、古い記録を調べるようになった。


ある日、教会の奥にある物置を整理していたとき、封印された木箱を発見する。


中にあったのは、びっしょりと湿った日記帳だった。気密性が悪かったのだろう。インクが湿り、文字はかすれていたが、数ページだけ読めた。


「……井戸は知っている。私たちの罪も、名前も、声も……」

「……水の中であの子が歌っている。あれは嘘じゃない。耳をふさいでも聞こえてくる……」


他にも不気味なことが記されており、慌てて、日記を放り込み逃げ出した。

が、その夜から、レナは井戸の夢を見るようになった。

深い深い闇の中、少女がこちらを見上げている。

顔は見えない。だが、耳元で囁かれる。


「おぼえてる……あなたの声……」


目覚めた彼女の髪は濡れていた。

翌日、レナは教会裏の井戸に向かった。


封印された石蓋の隙間から、かすかに水音が聞こえる。

心臓が嫌なリズムで鼓動する。だが、目が離せなった。

井戸に手をかけた瞬間、蓋が内側から動いた。

開いてはならない、開くはずのない石蓋が、音もなくずれていく。


中から水がこぼれ、足元に広がった。


だが、それは水ではなかった。


——髪の毛だった。


黒く長い髪が水のように流れ出し、レナの足首に絡みつく。


「おかえりなさい」


井戸の底から、女の声がした。レナとそっくりの声だった。


その日、村ではまた一つ噂が増えた。


修復を依頼された女性が、突如失踪したという。

教会の裏にあった井戸は、なぜか再び完全に封じられていた。


石蓋の表面には、苔の間から、読めない文字が刻まれていた。


夜になると、教会の鐘が勝手に鳴る。


誰も登っていないはずの塔から響く鐘の音は、どこか濡れていて、深く重い。


村人たちは、ただ静かに遠くから祈る。

じき、その教会は取り壊されるだろう。

そう、願って。

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