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8 好き嫌い

 星志は相当な読書家だけれど、音楽に関しては信じられないほど無知だった。

 流行の曲もアーティストもろくに知らない。

「テレビもラジオも壊れたままだから。……僕の家はあまり裕福じゃないんだ」

 星志は恥ずかしそうに俯いた。

 私には母子家庭の経済状態は分からないけれど、確実に私の家よりは困窮しているだろうくらいは想像できた。

 私がスマホに入れている今時の人気の歌を何曲か聞かせてみると、辛辣な感想が返って来た。

「何か、小学生の作文みたいな歌詞ばっかりだね。寂しいって気持ちを何の捻りも情緒もなく単純に『寂しい』って言うから、分かり易くて共感し易いって人気なのかな。僕は味の抜けたガムを噛んでる気分になるけど」

 つまらない歌詞で歌われるくらいなら歌詞のない曲の方がいいと言う星志の一番のお気に入りは、ショパンの『別れの曲』だった。

 いつスマホに取り込んだのか覚えていないけれど、多分スマホを買ってもらってすぐに音楽アプリをインストールして好きな曲をどんどん入れていった時期があったから、その時に入れたのかも知れない。

 星志が何度も聞きたがるので、図書館でショパンのCDを借り、母が仕事で以前使っていたが今はもう使わない小型のカセットレコーダーに録音して彼に貸した。

「奈緒、すっごくいい。ショパンはものすごくいいよ」

 夢見るような瞳で、星志はショパンに酔いしれていた。

「曲が体にしみ込んでくる感じがする。しみ込んで、溢れて、その中で漂っている気がしてくるんだ」

 奈緒といる時みたいだ、と星志は目を閉じて笑った。

 幼いような大人びたような、曖昧さの中に彼はいた。



 何が気に入ったのか、杉野さんは頻繁に私に話しかけてくるようになった。

 彼女ははっきりした性格で、好きなものはベタ誉めする代わり、嫌いなものはとことん嫌って欠点をあげつらった。

「……ってとこがさ、嫌なんだよね。あたし、ああいうの絶対許せない」

 口癖と言っていいその言葉を聞くたび、私はため息をつきそうになる。

 ──みんな、自分の思考こそ世の中の基準って思ってるから

 星志の言う通りだ。

 でも、私には分からない。物や出来事や他人の性格の一部を切り取って嫌だと否定し、許せないと裁く彼女の、他人を糾弾できる自信の根拠が。

 他人を批判している時、みんな例外なく得意そうだ。相手より、自分は遥かにましな人間だとでも言うように。でも本当は誰もそれほどの優劣はなくて、差がないからこそ言葉によってでも優越感に浸りたいだけなんじゃないだろうか。

「もー、ホントに大嫌い。ね、久保田さんもそう思わない?」

 こんな時、私には便利な逃げ道がある。笑顔、と、

「そうね。よく分からないけど、私も苦手かも」

 同意でない同意。人を傷つけないためじゃない。自分が傷つかないために。

 何にも興味がない私を知られないように。

「まーた、久保田さんにお前の趣味を押しつけてる。そろそろ自分の悪趣味を自覚して、他人を汚染するのはやめろって」

 柚木君が笑って杉野さんをからかう。

「悪趣味って何よ。失礼な奴ね」

「いやー、他人の趣味なんて大抵が悪趣味だよ」

 柚木君の前の席の高瀬君が話に乗ってきた。彼も柚木君と同じサッカー部で、杉野さんとも席替え以前から仲がいい。

「だって、ほら、小林さんのあのペンケースのウサギだか犬だか分からないキャラクターだって、どこがいいんだか」

 私の後ろの席の小林さんが、それを聞いて憤慨した。

「えー、どうしてこのかわいさが分からないのよ」

 実は私も理解できない。この、目つきの悪い紫のウサギのどこがかわいいんだろうか。

 将来イラストレーターになりたいという小林さんの趣味は独特で、アクが強い。他人の共感は得られにくいだろう。

「私の好みって、そんなに変かなあ?」

 高瀬君たちにからかわれた小林さんは少し不安げに、私に問いかけてきた。

「小林さんは感性が芸術家的だから、ありきたりなデザインじゃ満足できないのよ」

 私は摩擦のなさそうな言葉を選ぶ。理解不能の趣味も個性だと言えば角が立たない。他人の趣味なんて興味もないから、無難に褒めて論争から逃げるのが一番だ。

「で、久保田さんはシンプル傾向?」

 高瀬君が私の無地の下敷きを指さした。

「にしては、ペンケースはキャラクター物でシャーペンはチェック柄って……なんかバラバラだね」

「これ全部、友達がくれた物だから」

 おとなしくて言動が年齢より年上っぽい――他人から見て、私はそんな感じらしい。だからなのか、誕生日とかに友人がプレゼントしてくれるものの殆どが、落ち着いた色彩の大人っぽいものだったけれど、たまに自分自身の好みの物をくれる子もいた。

 私だって、全く好き嫌いがない訳じゃない。ただ、強い感情がないのだ。これでなければならない、これ以外はいらない、というほどの。だから、好き、というより、嫌いではない、というのが正しいのだろう。こだわりがないから、もらったものを感謝している証しのふりをして使っている。ただそれだけの話だった。

「……久保田さんって、自分の好き嫌いの話ってしないよな」

 ぽつりと柚木君が呟く。彼は一瞬続けて何か言いたそうな表情を見せて──顔を背けた。

 何だろう。彼は時々そんな顔をして私を見る。

 私を不愉快に思っている感じではないけれど、困ったような、見様によっては心細げな寂しいような複雑な顔だ。

 普段の彼は気さくで明るいだけに、時折私に見せるその表情が心に引っかかった。

 杉野さんたちの話題は最近のドラマの主題歌を歌うアーティストに移っていて、柚木君も話に加わり盛り上がっていた。言葉を振られる度に、私も当たり障りのない言葉を返す。孤立しないための技術として。

 思えば私はいつもそうだ。近くで話しかけてくれる人間と話すだけ。だから、新学期当初仲が良かった子たちとは、今はもうあまり話さなくなっていた。彼女たちも私よりも気の合う子と仲良くなっているから、わざわざ私と話をする必要もないのだろう。

 たかだか席の場所によって変わる脆い友人関係を、私は嘆かない。

 不変なものを私は知らないから。

 あると信じていないから。

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