江の島ラブロマンス<後編>
船の汽笛が2回鳴る。江の島に着いた僕らを乗せていた巡回船が元の桟橋に向かって出航していく。僕ら二人は絶海の孤島に降り立ったのだ。
「すごーい。お祭り騒ぎみたい!」
カリンさんが隣ではしゃぐ。島の港町には赤いのぼり旗が数多く掲げてあり、そのどれもに「江島神社例祭」の文字が躍っていた。そして島の入り口から神社の境内までの参道に幾本数も掲げてある。
「ほら、見て。参道に風鈴が吊るされているよ」
僕はそう言って参道を指さした。参道までの道すがら、のぼり旗と旗の間にそれぞれ糸が繋がっており、風鈴が数多く吊るされていた。
――チロリン。チロリン。
海から吹く潮風にたなびくようにして風鈴が連鎖的に鳴る。その音は重層的であり、島ならではの神秘的な空間を醸し出しているようであった。
そしてこの瞬間、僕はカリンさんの手を繋ぎたい衝動に駆られた。これから始まる例祭を彼女と一緒に迎えられるのである。繋ぎたいと思わないはずがない。
「早く行こ!」
僕の胸中など知らずにカリンさんは港町にある屋台に駆け出していく。僕はひとり「もう…」と独り言をして彼女を追いかけた。今くらいは祭りの雰囲気を楽しもうじゃないか。そう足腰を動かしながら想い人を追いかける僕は観光客でいっぱいの港町で彼女を見失わないようにするので精一杯であった。
――白いワンピース姿の彼女が視界から消える。
僕は慌てふためいた。まさかいきなり見失うなんて! ぐるりと周りを見渡すが視界には威勢の良い屋台からの掛け声と店主、それらに並ぶ観光客しか見えない。焦りからか、額に汗が滲む感覚を覚えた。
「はい、これ」
隣を見るとカリンさんがリンゴ飴を持って立っていた。
「いつの間に買ってきたの?!」
僕がそう言うとカリンさんは二本あるリンゴ飴の片方を僕に差し出した。
「連れてきてくれたお礼だよ!」
彼女はそう言ってはにかんで見せた。僕はほっと胸を撫でおろしながらリンゴ飴を受け取った。
「いなくなったのかと思って心配したよ…」
僕の心の呟きを聞いたカリンさんは目を丸くしてにひひと笑って見せた。
「江の島、案内してくれるんでしょう?」
心の中で彼女はもしかしてなかなかに小悪魔ちゃんなんじゃないかと勘繰り出すが、そもそもの話、高校二年生と女子大学生カップルである。どう考えても手のひらの上で転がされている感が否めないのは事実であった。
「……もちろん、案内しますよ!!」
悲鳴にも決意にも似た声がこだまする港町の屋台並び。僕はそこでさっと彼女の手を握った。
「見失ってもらっては困る!」
カリンさんは再度目を丸くしながら何も言わずに頷いてくれた。
弁財天が祀られる坂道の参道の道すがら、僕らは並び立つ屋台を見つつ、両脇に立つ出店に目を向けていた。
「あ、見て。しらす丼だって。こっちはしらすバーガー」
彼女の手を握りながらゆっくりとした足取りで坂道を登る僕は隣から聞こえるカリンさんの声に耳を傾けつつ、満面の笑みで頷いていた。そう、これよこれ。傍から見れは完全なカップルである。誰が何と言おうとこの瞬間だけは大切に記憶しておこう。そう思いながら握る彼女の手は想像以上に柔らかく、それでいて儚く感じた。
「ここ、もしかしたら売ってるかも……」
彼女の声に導かれるまま、一件の出店に立ち寄る。その店には装飾品が多く展示されており、店の入り口にも風鈴が吊るされていた。
「お邪魔します」
店の扉を開くと風鈴が鳴った。店内には宝石類からパワーストーン、シルバーアクセに至るまで様々な装飾品に溢れていた。僕は店の中をざっと見つつ、目当ての青い鱗の証を探していた。その店内の角にある一つの装飾品を見た時、思わず心を奪われてしまったのだ。
「これ、貝殻の…」
そう指差した先には貝のネックレスとブレスレットが並んでいた。
「お二方、そこに目を付けるとはお目が高い」
奥から出てきた店主であろうお婆さんは僕ら二人をしげしげと見つめてネックレスとブレスレットを箱から取り出した。
「この地には昔から海龍の伝承があってな、この貝が海龍の鱗のモチーフになっているんじゃ。この貝があればおのずと君らの身を守ってくれるであろうて」
僕は思わずカリンさんと目を合わせてしまう。
「…この夏の思い出にと思って探していたんです」
「おお、そうかそうか。女性ならネックレス。男性ならブレスレットがおすすめじゃよ」
「でもネックレスは…ちょっと…」
彼女をちらっと見ると少し恥ずかしそうであった。
「それなら二人でブレスレットにしようよ」
僕はそう言って彼女の瞳を覗いた。
「それならひとつ1500円じゃぞ」
財布から手早く千円札を三枚取り出し、店主のお婆さんに渡した。
「このブレスレット、腕に付けて行こうよ」
頷くカリンさんを連れて僕ら二人は参道に出て、坂道を登り出した。
参道の頂上にたどり着いた僕らは神社の境内にある手水舎でひと息を入れた。普段山の峰にある高校に通っている身としてはこのくらいの坂道は屁でもなかったが、カリンさんはなかなかお疲れのようで、近くのベンチに腰を落ち着かせていたのだ。
「見て、江の島から見える湘南海岸だよ」
僕はそう言って江の島の境内から見える景色を見渡した。空は曇天模様で、海岸沿いには暗い影が落ちていた。
「天候、変わっちゃったね」
僕らはそう言いつつ、江の島神社を参拝することになる。神社の拝殿までの両脇には狛犬が並んでおり、それぞれの首には青い鱗のネックレスが石で彫られていた。神社には参拝客であふれている。その参拝客の後方の列に並びながら境内に吊るされた風鈴の音に耳を傾けていた。
――チロリン。チロリン。
並び掲げられたのぼり旗が海風によって一斉にたなびく。本殿を見ると、その空には暗い雲がひしめいて見えた。
「急いでお参りしよう」
僕の提案にカリンさんは頷く。拝殿まで列が進み、僕らは賽銭箱の前に立った。賽銭を奉納し、お辞儀をしながら僕は隣に立つ彼女が気になって仕方がなかった。彼女は何を考えているのだろう。そして、何を祈っているのだろう。二礼二拍手をする右腕に嵌めている貝のブレスレットがキラリと光ったように思えた。
「…何を祈ったの?」
列から抜け出た僕は唐突に彼女にそう言った。カリンさんは「それはね、秘密」と言って指を唇に当てている。教えてくれてもいいじゃん、と言いそうになる僕は視界にある厠を見つけて指を差した。
「あそこにお手洗いあるけど、大丈夫?」
その一言で「行ってくる!」と言って駆けていく彼女を見送りながら、僕は境内から少し離れた場所にある展望台に身を移した。展望台から見える太平洋の空は晴れ渡っているが、江の島周辺のみが曇り空になっているようだった。空に飛び交うカモメたちの鳴き声が次第に大きくなる。周辺の海は逆巻き、嵐の予感がしてならなかった。
――チロリン。チロリン。チロリン。チロリン。
島中に吹き荒れる風によって周囲に吊るされた風鈴が鳴り響く。鳴り続ける風鈴の音色はもはや癒しの対象ではなかった。何かの前触れそのものにしか思えなくなっていた。
「――やっと会えたね」
後ろから声がかかった。振り返るとそこには青いワンピースを着た少女がひとり立っていた。