江の島ラブロマンス<前編>
男同士の意思確認。
その重要性について、今更語るべくもない。古今東西、どんな物語の裏舞台でも必ずあるのが世の常であり、もはや一般常識と言っても差支えないであろう。その重要性をことさらに理解している僕ら四人の男メンツは意中の彼女たちが談笑するのをつぶさに見つつ、ただひたすら時を待っていた。
「ちょっとゴミ捨ててくるね」
沙良さんがそう言い、女子大生グループ四人が飲み終わったプラスチックカップを持って席を外す。その隙を見計らって男たちはそれぞれ目配せをし合った。無論、これからの意中の相手との行動スケジュールを決めるためである。
「で、これからどうする?」
四人組が後方5メートルほど離れたところにあるゴミ捨て場に向かったのを確認した中谷がこそこそと僕らに話かけてきた。
「…二人一組で分かれるのはどうっすか?」
長代の少し思案した後の提案に僕ら三人は思わず顔を合わせて頷いた。
「そうしよう。そうしよう」
「その案が一番良さそうだ」
「グッジョブ長代」
そして、短澤が後方の四人の想い人を横目で見ながら、「集合時間決めておこうぜ」と小声で言って嵌めている腕時計を確認し出した。
「午後五時、十七時で片瀬東浜に集合しよう」
僕はそう言ってスマホを確認した。今から数えて約五時間後。僕らはそれぞれその時間までに意中の相手をものにして帰って来るのだ。全員がものに出来たら見事HAPPYEND。今年のアバンチュールな夏の恋は晴れて成就することになり、残りの高校生活は華やかに彩られること間違いなしであろう。僕は僕で将来の夢への道をひた走るだけでいいのである。
「だがしかし、誰かひとりでも失敗したら…?」
物騒なこと言うなよ。と言いたげに僕らの瞳が一斉に曇る。言った本人の中谷は心なしか楽しそうに見えた。
「抜け駆けは許さないっすよ」
長代がそう言って丸眼鏡をクイっとかけ直した。それはこっちの台詞だと言わんばかりに短澤が両腕を組む。
「みんな、待った~?」
後方から花音さんの声がして男メンツ四人は咳払いをして座席位置を元に戻した。女子大生グループ四人がそれぞれテーブルの席に着く。僕はこれから口に出すことを脳内で反芻しながら意を決して言葉を発した。
「…ちょうど食事も終わったことだし、これからのスケジュールなんだけど男女二人一組でペア行動するのはどうだろうか?」
僕の突然の提案に女の子四人が目を丸くする。四人は突然の提案に驚いているように見える。彼女たちは女子同士互いに目を合わせつつ、一斉に「賛成~!」と言った。
「では長代は彩花さんと、中谷は花音さんと、短澤は沙良さんとペアってことで」
僕は三人の女子大生それぞれに視線を送った。そして、目線の先を一人に絞った後、一呼吸を置いて決意を露わにした。
「…僕はカリンさんとペアでいこうと思う」
祈るような気持ちで僕はカリンさんを見続けた。目線の先のカリンさんは僕の瞳を見た後、ゆっくりと頷いてくれた。
「んじゃ、彩花さん。近くに水族館があるから行こうよ」
その反応の後、僕の隣の席に座っていた長代は彩花さんを向いて立ち上がり、おもむろに手を差し出した。
「それじゃあ花音さん、浜辺の向こう側に洒落た喫茶店があるから案内するよ」
スマホで即興で場所を調べた中谷はそう言ってその場で立ち上がり、花音さんにスマホ画面の公式サイトを提示した。
「沙良さん、見に行きたいところがあるから海でも見ながらツーリングでもどう?バイク、借りれる場所があるからさ」
短澤がそう言って片瀬江ノ島駅で手に入れたパンフレットをテーブルに広げた。
各々目の前の意中の相手にしか眼中になかったため、それぞれの女子たちの反応まではわからない。わからないが僕ら四人は湘南を舞台に如何に彼女をものにするかに全神経を集中させていたのだ。
夏の日差しがじりじりと照りつく午後。カモメたちは湘南の海を旋回するように空を飛ぶ。浜辺に観光客が集まり、海の家は繁盛し出した。これから男と女のラブロマンスが繰り広げられるのだろうな、などと日差しが照りつく海岸線を見ながら僕はひとりそう思いにふける。
そして、時を同じくして男女カップル三人組がテーブルから離れていった。残った僕は席に座ったままのカリンさんの瞳を見た。何も言わずに座って待っている彼女の透き通るようなその瞳を見つつ、僕はゆっくりと、それでいて快活に言葉を紡いだ。
「カリンさん、江の島案内するよ!」
隣に想い人を連れて浜辺から伸びる桟橋に立った。桟橋の先には大海原が広がり、その遥か先の水平線に孤島が浮かんでいた。絶海の孤島:通称江の島である。江の島までは通年巡回船が回っており、島へ上陸するには桟橋から船に乗って海を渡るのがこの湘南での習わしであった。島には鎌倉時代からの神社があり、海龍を祀った江の島弁財天の宮がある。そして島の頂上には展望灯台があり、数々の舞台の聖地になっているのだ。
ちょうど巡回する船が桟橋近くに停留するようで、僕たちは木目上の桟橋の上を歩きながら島の歴史を紐解いた。
「それで、海龍はどういうふうに祀られていたの?」
カリンさんが興味津々に身を乗り出してきた。僕は初めての想い人とのデートに浮かれてしまっていたのか、島に伝わる昔話を紐解いてみせた。
「それじゃあ話すね」
僕はそう言って伝承を語り出した。
「むかしむかし、江の島の岩屋には一匹の海龍が住んでいたんだ。その海龍は青い鱗を持っていて声をあげれば海が逆巻く姿に人々は畏れを抱き、「潮の守り神」として祀られていたんだ。そこで年に一度の江島神社例祭では湘南の海の無病息災を祈願して祭りを開催していたんだよ。そして、その祭りのクライマックスで宮の巫女さんが祈りを捧げる舞をすることで海龍が眠りにつき、海に平和が訪れるっていう寸法なわけなんだ」
僕の説明を聞いてうんうん頷くカリンさんは、「それで眠りにつくなら安心だね」と言って視線を江の島に向けた。
遠くからでも見える。江の島には真っ赤なのぼり旗が神社に向かう参道に掲げてあり、潮風になびいていた。青の海と空、緑の島に赤のコントラストが印象的であった。もうすぐ祭りの季節なのだろう。江島神社例祭をこの目で一緒に見れることが嬉しくなり、僕はカリンさんの横顔を見た。カリンさんは海風で飛んでいかないように帽子を片手で抑えつつ、水平線の先を見ていた。そしてその彼女の横顔の後方、片瀬西浜に二人の少年と少女が砂浜でじゃれ合っているのが見て取れた。西浜の少女は手に持った何かを少年に差し出す。僕はその光景を見た時、不意に昔同じように少女にひとつの貝を渡された記憶が呼び起こされてしまった。
僕は急いでスマホを取り出し、調べたページの画像をカリンさんに見せた。
「……カリンさん、ここに映っている貝が見える?」
僕の質問に彼女は小首をかしげながら画面を覗き込み、「見えてるよ」と言った。
「この貝が海龍の青い鱗の証なんだ。この貝を身に付けることで海龍の雄叫びから身を守れるっていう伝承が伝わっているんだ」
海龍の青い鱗の証の話をしつつ、僕は想像を巡らし、生唾を飲む。
「…じゃあ、この貝、集めないとね」
カリンさんはそう言ってはにかんだ顔をしつつ両手を後ろに回した。
「うん、そうだね」
僕の返事が桟橋に着いた船舶からの汽笛に掻き消えた。出発の合図である。
「早く早く! 船出航しちゃうよ!」
カリンさんはそう言って巡回船に向かって駆けていく。僕はその後ろ姿を追いながら、もしかしてあの時、鈴音が僕に渡してくれた貝は青い鱗の証そのものであり、県外に行く僕を海龍の雄叫びから守ろうとしてくれていたのではないかと思いをはせた。
長い汽笛を2回鳴らす。巡回船が桟橋を離れて江の島に向かって出航した。船のデッキにて彼女が海を見渡す。沖合ではゆっくりとしたうねりが発生し、上空のカモメたちは江の島に向かって滑空をし始めていた。僕はその隣に立ちながら、幼い頃に同じ構図で同じ行動をしていたことを思い返していた。




