男女8人夏物語<後編>
「徹くん、どうしたの? そんな顔して」
片瀬江ノ島駅から歩いて数分の距離にある桟橋に佇む僕は空を飛ぶカモメたちを見ていた。
快晴の青空の下、空を飛び交う数羽のカモメたちは沖へ沖へと上空を滑空していく。そのカモメたちを見ていると自身のこれから起こることに対する漠然とした不安が頭をよぎるのだ。
「なんでもないよ、鈴音ちゃん」
僕はそう言って淡い青のワンピース姿の少女を見た。鈴音と呼ばれた少女は僕と同い年で同じ小学校に通う女の子だ。くりくりとした瞳をしていて、鈴の音が鳴るような透き通った笑い声を出す少女である。僕の記憶が正しければ家が近所でよく遊んでいた友達ということになる。そう、俗に言う幼馴染と言うやつだ。その幼馴染に悲しそうな顔をするのを気取られないようにしていたのだ。
「…でも、いつもより暗いよ? こんなに天気良いのに」
僕の顔を覗き込むように前かがみになる鈴音。僕は鈴音の顔をよく見ようともせずに少女の手を引いて桟橋の向こう側、片瀬西浜の方に向かって歩みを進めた。
「…ほら、海水浴場行こうよ。早く早く」
僕はそう言って鈴音を呼び掛けた。鈴音は何か言いかけていたのだと思う。ただ、僕は幼心に別れの時くらいしっかりしていたかった気持ちが強かった。その時の表情を見せるのが怖かったのだ。
なぜならもうすぐ引っ越しの時期が迫ってきているのだから。
「どうしたの? そんな顔して」
桟橋を渡っていた僕は突然現実に引き戻され、面食らった。
上空を見上げていた僕は真っ白なワンピース姿のカリンさんに視線を移す。カリンさんは不思議そうな顔をしながら顔を覗き込んできた。
「なんでもないよ、カリンさん」
多分、今が幸せすぎて夢現状態になっていたんだと思う。ということを伝えると彼女は「なにそれー」という声を出してけらけらと笑っていた。
「それはそうと、僕ら四人の行先がよく分かったね?」
後を付けてきたのはそうだろうが、どうしてこの目的地までバレたのかが謎であった僕はカリンさんに率直に疑問をぶつけてみたのだ。彼女の回答がどうなるのかはさして問題ではない。ただ、会話の糸口が欲しかったのである。そのきっかけ作りが大事であり、ほとんど無理やりにでも言葉を発したに近い。我ながらまるで後先考えていない発言である。
カリンさんは人差し指を唇に近づけた後、少し考えるそぶりをした。
「うーんと、果物四天王を甘く見ちゃだめだよ。日取りから目的地までバレバレなんだからね!」
カリンさんが自信たっぷりに腕組みをしている。
ふんすふんす。
まるで鼻息が聞こえてきそうである。一言で言うならば、なんちゅう学園だ。そしてなんちゅう家柄だ。もしかして果物四天王家は財界から経済界、学術界に至るまで幅を利かせているのではないだろうか。
僕の独り言のような思案を余所に、カリンさんはまたけらけらと笑う。そしてそこを横切るように一羽のカモメが空を滑空して翼を広げていった。
男女8人組の夏物語、その先頭を歩く僕とカリンさんはカモメに釣られるようにして桟橋を渡り切った先にある景色を見た。青空にはカモメたちが数多く飛び交い、空を舞っている。そして浜辺にはちらほらと人影が見え、潮の匂いと波の音が耳元まで届いてきた。まだ季節は夏真っ盛りとは程遠い。いくら休日に江の島に来たからと言って連休の頭の午前中である。人がまばらなのもさもありなんと思えてしまった。
「それで俺らはどこに行くんだ?」
中谷がニヤニヤしながら僕とカリンさんの間に入ろうとする。何とも言えない居心地の悪さを感じつつ、僕はとりあえず片瀬東浜にある海の家にでも行こうということを提案した。間に入るのは僕の務めだろうとでも言わんばかりの表情をした僕を見て、中谷は半歩下がった。
後ろを振り返ると長代は彩花さんに聖地巡礼トークを繰り広げており、肝心の彩花さんの表情はまるで読めない。そして、その隣の沙良さんはすました顔をしていて短澤は想い人の気を引こうと躍起である。中谷の隣にいたであろう花音さんはカリンさんの隣に移動して二人で話し込んでおり、これからの展開がどうなることやら僕には想像もできない。どうやらまずは男メンツのそれぞれの意思確認から始めた方がよさそうでもあり、先行き不透明である。空は済んだ青空になっているのに対して、僕の胸中には早くも暗雲がかかりそうで、ある意味で現実そんなもんであるのかもしれない…と薄々感じていたことが如実になってしまっていて身悶えしそうである。
僕の曇り切った眼を見た中谷は肩をすくめつつ、腕を肩に回してきてこしょこしょ話をしてきた。
「…気持ちはわかるぜ。…わかんないけど」
どっちだよ、と思わずツッコむ僕らはなんだかんだでただの男子高校二年生であり、相手は難攻不落の華の女子大生グループである。この「砦」を攻略する術ははてさてあるのだろうか? それとも僕が意識しすぎだろうか。
自問自答しながらも言葉を紡ぐようにして歩みを進めた夏の浜辺に佇む海の家では威勢の良い声がしていた。店員たちによる観光客への声掛けである。
「行こうぜ」
短澤はそう言って僕らを海の家に誘導した。彼の真意はわからない。わからないが僕らと同じく砦の攻略を一旦諦めたのだろう。
「足元、気を付けてね」
意中の相手に向けて出す言葉も心なしか覇気がないような気がしてならなかった。女子大生グループは和気あいあいとしながら段差を降りて海の家に入っていく。背後に気配を感じて振り返ると、無表情の長代がそこに立っていた。これ以上何も言うな。僕は彼にそう目配せをしつつ、男四人は互いに無言のまま頷き合い、段差を降りて行った。
海の家でひとしきり飲み物を頼んで湘南バーガーを食べたことはここでは割愛させてほしい。なぜならいわゆるリアルデートの経験が薄い僕には周りのメンバーからのオーダーまとめのまごつき具合が脳内で描いていた最強の彼氏像と余りにもかけ離れていたからだ。
ひとしきり飲み食べ終え、しゅん、となった僕ら四人を余所に女子大生グループは口々に各々の近況話に花を咲かせている。僕ら四人は女の子たちの話に耳を傾けながら時折相槌を打ち、時折男メンツ同士で不安そうに目配せを送りつつその場をやり過ごしていた。
本当に彼女たちは僕ら四人に付いてきて良かったのだろうか…。そりゃあ付いてきたこと自体は嬉しいのだけれど…。
頭の中をまるで螺旋階段か何かのように苦悩がぐるぐると回っている。
だがしかし、その苦悩とは裏腹に海の家から見える景色は格別であった。大海原に浮かぶ江の島の景色は最高であったし、晴れた天候も相まって海の家の店員たちの威勢の良い掛け声がその情景に拍車をかけている。
――チロリン。チロリン。
天井に掛けてある無数の風鈴の鳴る音が無償に心をかき乱してならなかった。