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「風鈴彼女」  作者: でふ
第二羽
3/10

風鈴の駅、鈴の音、夏の熱

 新幹線のドアが開く。その途端、むわっとした熱気が頬を撫でた。

 ここは新横浜駅。新幹線「のぞみ」の停車駅にして、新神戸から数えて四駅目である。そのホームに降り立った僕たち四人の男子高校生はついに関東の夏へと足を踏み入れた。

「…うわっ、熱気すごくない?」

 うんざりした顔の中谷が団扇をリュックから取り出しパタパタと仰ぐ。普段は明るいのに暑さには弱いらしい。

「こっちの夏、噂には聞いていたけどなかなかだな。関西の方がまだマシだわ」

 短澤はポケットから扇子を取り出して仰いだ。

「長代、だいじょうぶか?」

 僕――逢間が声をかけると、長代は丸眼鏡を拭いながら頷いた。

「ああ。でも、…ちょっと、息が詰まりそう」

 その言葉に誰も返事をしなかった。暑さだけじゃない。今までいた空間とは違う、どこか落ち着かない空気を全員が薄っすらと感じていたのではないかと思う。中学・高校から関西に来た僕が出戻りで少しは感じるほどである。ずっと関西に住んでいた彼ら三人が初めて感じる関東の空気に気圧されるのは想像に難くなかった。


 その空気を破ったのは風だった。

 ホームからエスカレータで降り、駅構内に向かう。その構内に向かう通路でどこかひんやりとした風が吹き抜けた。

 ――チロリン。

 耳元でかすかに鳴った。気づけば天井には無数の風鈴が吊るされていた。淡い色をした風鈴の中で透明なガラス玉が風に揺れて違う高さ、違う速さで鳴っている。ばらばらに鳴っているのにも関わらず、なぜか不思議と調和しているように感じた。

「……いい音色だな」

 長代がぽつりと呟いた。

「風鈴、駅で飾るんだな」

 中谷が見上げながらスマホを取り出す。僕はてっきり写真を撮るのかと思ったが、しばらくじっと見ていただけであった。

「なんだろ、ちょっとだけ…涼しくなった気がする」

 短澤がふっと笑う。僕らの視線が風鈴から彼に移る。

「…関東も悪くないな」

 ガラスが奏でる風の音が旅の始まりを静かに告げていた。


 旅行客でごった返す駅構内を僕ら四人は縫うようにして改札口へと向かっていく。人混みのざわめきの中で風鈴の音だけがやけに透明に響いていた。その音色にどこか懐かしさを感じ、まだ始まったばかりの旅行なのに、少しだけ胸が締め付けられた。僕は立ち止まり、その音にしばらく耳を傾けた。


 あの音は――

 ――浜辺で、鈴音と遊んだあの夏のことを思い出す。

 僕がまだ小学三年だった頃。近所に住んでいた女の子、鈴音。名前の通り、風鈴のような透き通った声で笑う子だった。浜辺で一緒に貝殻を拾ったり、波打ち際でサンダルを濡らして走り回ったりしたっけ。そのとき彼女の髪が風に揺れて、笑い声が風の中に溶けていったのをなぜか今でも忘れられない。


「逢間? どうしたんだ、急に立ち止まって」

 短澤が声をかけてきた。

「あ、いや……風鈴が、懐かしいなって思って」

 そう言って、僕はひとつ深く息を吸った。そして風鈴の音を聞きながら思った。


 ――江の島って、どんな音がするんだろう。

 波の音、潮の匂い、蝉の声。

 この風鈴の余韻ごと、海へと連れていってくれそうな気がした。


「次、横浜駅だろ? 乗り換えどこだっけ?」

「横浜市営地下鉄ブルーラインだよ。こっちこっち」

 僕はそう言いながら、誰よりも先に歩き出した。地下に潜るようにエスカレータ―を降りる。数年前までよく通っていた駅だ。横浜駅までの向かい方くらい、造作もなく脳内に描ける。


「――やっと会えるね」

その後方で風鈴の音が背中を押すように静かに響いていた。




 地下鉄の扉が開くと、ひんやりした空気が頬を撫でた。

 ここは横浜駅。神奈川県の玄関口にして都市迷路型ダンジョン駅の代表格として名高い。初見ではどこからどこまでが駅なのかもわからない。ファッションビル、家電量販店、百貨店、飲食店が複合し、路線はJR、東急、京急、相鉄、横浜市営地下鉄、みなとみらい線、湘南新宿ラインなどとにかくカオス。正式に「日本で最も改装工事が続いている駅」として知られているだけあって、1915年の開業以来、一度も「完成したことがない」駅である。つまるところ永遠の思春期なのである。

 その駅にて通勤客と観光客が入り混じる雑踏の中、僕たち四人の男子高校生は、汗のにじんだ首元をぬぐいながらホームに降り立った。

「うわー……やっと地上出られると思ったのに、ここも地下なんか」

 短澤がぼやく。けれどその声も、すぐに人混みに飲まれていった。

「横浜駅は別名「日本のサクラダ・ファミリア」だからね。いつまで経っても工事が終わらない。終わろうとしているのかどうかすら定かではない。だから地下街もそれだけ複雑怪奇なんだよ。東口に行きたいのに気づいたら西口にいる「横浜ループ」は有名だし、地下を歩いているのにいつの間にか地上5階のルミネにいることもざらだよ」

「……まあまあ、次は江の島やろ? 大混雑の地下鉄よりはマシだわ」

 中谷はスマホを見ながら言う。乗り換え案内を確認しているらしい。この程度の混雑で大混雑言ってたら朝の通学・通勤ラッシュ耐えられないぞ? と僕は思った。

「湘南って、電車でどれぐらいっすかね?」

 長代が小さく尋ねる。彼は荷物を右手でしっかりと握りしめ、駅の床に視線を落としたままだ。長代は存外、人混みが苦手なタチなのかもしれないなと思う。

「40分くらいかな。横須賀線か東海道本線で藤沢駅まで行って、そこから江ノ電――って、あれ」

 ふと、僕――逢間は足を止めた。

 改札へ向かう途中、ふわりと風が抜けた。その風に混じって、かすかな音が耳に届く。

 ――チロリン。チロリン。

 見上げると、天井から無数の風鈴が吊るされていた。ガラス、陶器、金属。色とりどりの小さな風鈴が風に揺れてばらばらに、けれどどこか調和しながら鳴っている。

「……きれいっすね」

 長代がぽつりと呟いた。

 長代、どうした? それさっきも聞いたぞ? とツッコミたくなる。夏の暑さと人混みの雑踏で頭やられたのか?

「こういうの、関西の駅では見なかったな」

 中谷も立ち止まり、風鈴を見上げる。

「風鈴って、音が涼しげだけど、なんかこう……胸に沁みる感じあるよな」

 短澤がぼんやりと呟いた。明るいはずの声色なのに、なぜか少しだけ寂しく聞こえる。

 お前らまじで神妙な顔つきするのやめろよ。いくらここが関西と違うからと言って現実逃避しすぎてないか。確かに現実逃避するための体のいい旅行と言えばそうだけど。


「……とりあえず、行こか。江の島」

 心ここにあらずと言う感じの三人を連れるガイド役の僕は、この夏の暑さのせいで知能指数ごと蒸発させているんとちゃうか、とひとりごちた。




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