風鳴りし龍鎮の舞
街頭の明かりが照らす海岸沿いを原付でひた走る。耳元では風鈴の音が鳴り止まず、身体全体がぬるい風を切っているようだった。
龍と彼女にせき立てられるようにしてハンドルを握る僕の額には汗が滲んでいた。海の方を見ると、遠くに明かりが灯っている。江の島の灯台だ。その灯台を中心として雲が逆立つように渦を巻いている。まるで台風の目のようであった。その目の中に僕らは向かおうとしている。
「あそこ、巡回船の発着場までもうすぐ」
後方でカリンさんからのよく通る声がする。腰の辺りをグッと掴まれて、運転する僕は前のめりになる。
暗闇の中、汽笛が鳴った。
僕は桟橋に向かってハンドルを右に大きく曲げる。原付に乗ったまま巡回船近くにまで向かうためだ。車体が唸るようにして桟橋の上を通過する。木々でできた桟橋の独特のリズムが運転する僕らを揺らした。
「まだ、間に合いますか」
巡回船の前で原付を止めた僕は咳き込むようにして船員にそう尋ねた。
「最後の便です。…本当に島に行ってもいいんですね?」
彼はそう念を押すようにして質問してきた。
「お願いします! 待っている人がいるんです!」
バイクを横倒しにしたまま、僕とカリンさん二人は急いで船に乗り込んだ。
汽笛が二度鳴る。巡回船が大きく軋むようにして江の島に向かって進み始めた。
「海龍が江の島に向かって空を飛んでいったよ」
左腕に付けた貝のブレスレットを握るようにして上空を見る彼女の表情は、何かこう神々しいものを見るような目つきだった。その横顔を見ながら、僕も視線を船の行き先、江の島に向ける。ブレスレットを付けていない僕には逆巻くようにして胴体を揺らす海龍の姿は見えなかったが、上空から島に向けて雷が地響きを立てて落ちているのを目撃した。
「いよいよなんだな…」
僕はこれから島で彼女が何を行うのかの詳細は聞いていない。ただ、古の伝承によると「龍鎮の舞」を執り行うことで海龍の怒りを鎮めるのだそうだ。その舞を取り仕切っているのがおそらく鈴音なのだろう。そう想像すると僕は生唾を飲んだ。カリンさんは確かに舞の経験はある。だがそれは高校の学園祭で行うようなものである。彼女の通っていた高校、南部中央学園では県内の伝統文化行事として「白鳥の舞」を学園祭の時期に公演している。確かに彼女はその白鳥の舞を踊ることができる。だがしかし、それが神祇を鎮めるための舞にそのまま通用するのかどうかは未知数ではないだろうか。
もし、鎮められなかったら海龍はどうなるのだろう。そう考えると背筋に汗が流れるような気がした。
僕は出航する船の手すりに掴まるカリンさんを見た。彼女は僕の視線に気付いたのか、僕の方を見て微笑んだ。
「大丈夫、なんとかするよ!」
地鳴りのような雷鳴のする江の島の方角を見た。波は逆立ち、海は荒れ狂い、空は漆黒の雲で覆われている。僕は先ほど言った彼女の台詞を反芻し、自身を勇気付けた。大丈夫、なんとかなるはずだ。旅に出かけた時はまさかこんなことになるなんて思いもしなかったが、今は不安がっていても仕方がない。
「カリンならなんとかすると思ってるよ」
僕らの乗った巡回船は暗闇に浮かぶ江の島に向かって突き進んで行った。
江の島に到着した時、参道の石畳を駆け下りてきたのは鈴音だった。
「―よかった、間に合って。さあさあ、早く上へ」
息を切らした鈴音の首元に、貝のネックレスがキラリと光ったように映った。
「行こう」
鈴音に急かされるようにして登る石畳。先に道を行くカリンさんと鈴音の白と青のワンピースが視界に踊る。そして、その両脇に吊るしてある無数の風鈴の音色が雨風の中揺らめいて聞こえていた。
参道の両脇にある出店の数々を背にして、僕ら三人は頂上の江島神社を目指していく。最初に参拝した時は数多くいた観光客も出店の店員もひとっ子ひとりおらず、ライトアップされた参道は閑散としていた。
「持っている風鈴は肌身離さないようにね!」
階段を駆け上がり息を切らしている時に前を行く鈴音が後ろを振り返り、そう言った。鈴音に聞かされた通り、魔除けとして機能してくれるのなら、手放す理由はない。
「合点承知」
手に持つ一つの風鈴と鈴音の貝のネックレス、カリンさんのブレスレット、島中に吊るされている風鈴たち。それらひとつひとつが効果を発し、僕らの身を守ってくれることを祈るばかりだった。
「着いた!」
境内まで駆け上がってきた僕ら三人は息も絶え絶えで膝が笑いそうになる。その神社には社を背景にして赤絨毯の舞台が横たわっていた。周囲にはのぼり旗とそれらに吊るされた無数の風鈴が設置されていて、宵闇の中、大きな篝火が周囲を照らしている。
「カリンさん、さあ、踊ろう!」
鈴音はそう言ってカリンさんの手を取り、二人で篝火前の舞台に向かって進んでいく。
「何踊ったらいいのかわからないよ」
戸惑いとも取れる声を出すカリン。
「踊りたいように踊ればいいんだよ!」
そんな彼女を惹きつけて止まない鈴音。白と青のワンピース姿の巫女たちが、篝火の前で舞を行った。
一瞬、島を覆う海龍の台風が鎮まり、境内の風鈴が鳴り止んだように思えた。
次の瞬間、地響きのような声が劈き、何かがパリンと割れる音が響いた。
「風鈴が割れてる!」
境内を包むようにして吊るされてる無数の風鈴が割れ、粉々になったのだ。おそらく今のが海龍の咆哮なのだろう。手元を見ると手に持っている風鈴はまだ無事だった。
「徹は火を焚べて! 私たちは舞うのよ!」
舞台上の鈴音の掛け声に驚きつつ、僕は境内にある薪を篝火に焚べる。篝火の炎はゴオッと大きくなり、より一層周囲を照らし出す。薪を焚べながら舞台を見ると、二人の巫女が懸命に舞を捧げていた。
また次の瞬間、地鳴りのような声が上空から劈き、周囲の風鈴がパリンパリンと割れる音が響く。粉々になったガラスの破片が宙を舞う。
「全ての風鈴が割れ切るまで私たちは舞い続け、篝火の炎を大きくする。そして最後に私たちの持っている貝を炎に焚べて、天に鱗の証を返すのよ。これが江の島に伝わる祭り、江島神社例大祭よ!」
舞う鈴音の声が周囲に轟いた。男たちは火を大きくするために薪を運んで焚べ続ける。女たちは一斉に舞台で舞い続ける。そう、これそが例大祭なのである。夜通し続くと言われる祭りが今、始まったのであった。
何度龍の咆哮を聞いたことだろう。
何度その咆哮によって風鈴がただのガラスの破片になったことだろう。
僕たち三人は神社で薪を焚べつつ踊り明かしたのだ。
――そして、朝になった。
朝靄の中、残った風鈴は僕の手元にある一つだけ。目の前の篝火は見たこともないくらい盛大に燃え上がり、その炎は天にまで届かんばかりだった。
白と青のワンピース姿の二人の巫女が、貝をそれぞれ手に取り、炎の中に焚べる。水平線から陽が登り始め、江の島を照らし出した。そこには空を劈く海龍はおらず、逆巻く台風のような暗雲もなく、透き通った青空が広がっていた。
「無事、終わったね」
「ああ」
舞台から駆け降りて寄ってくる彼女が、そっと風鈴を揺らした。
帰りの新幹線の車内、僕ら8人は座席を向かい合わせにして座っていた。そこには想い人に振られて鬱々とした気分の男たちの姿はなく、それぞれが大切な人との団欒を楽しんでいた。
「それで、脚本の方はどうなったの?」
隣で笑う彼女を他所に、僕はパソコンの電源を落とし、パタンと閉じた。
「これまでの旅の出来事を文章に認めたよ」
僕はそう言って新幹線の窓際に吊るしてある残り一つの風鈴を見た。風鈴は揺れておらず、音色も奏でない。
「逢間徹の物語がこれで終わったというわけね」
彼女がそう言って寄りかかってくる。僕は満足げに頷いて、彼女の頭を撫でた。
最後まで読んでくださった読者の皆さま、ありがとうございました。
シリーズものも一旦ひと区切りを終え、次回作は全く毛色の違う小説を書こうと思っています。
また読んでいただけると幸いです。




