序章
高校二年の夏の思い出作りに集まったイツメンの長代、中谷、短澤、そしてプラスアルファの僕の四人が大型連休に向かった先は、一通の手紙が導く約束の地にして湘南海岸に浮かぶ絶海の孤島、通称:江の島であった!
その孤島を舞台に繰り広げられるひと夏の恋の物語である。
家族の都合で都会から地方都市に引っ越しをした無口な少年と、よく一緒に遊んでいたとある少女。その少女との約束は十六歳の夏の日に再び相まみえることであった。
――などと脚本を書いていた僕は行きつけ喫茶店で一口のアイスコーヒーを嗜む。喫茶店の名前は「羽休め喫茶」という。童話に出てくるような赤い屋根と古びたレンガ製の煙突が目印の喫茶店である。その喫茶店でノートパソコンにカタカタ脚本を打ち込んでいた僕は高校二年に進級した。名前は逢間徹という。
もちろん嘘だ。これは脚本の中の主人公の名前であって僕自身の名前ではない。僕自身の名前は世間的に言えばもっと平凡でどこにでもいるような名前であることは間違いない。言うなれば石を投げれば当たる苗字である。過去に名前を教えたところあまりにも平凡すぎて爆笑された思い出があるくらいだ。だから僕の名前は教えない。それは一言で言うならばコンプレックスであろう。小説で登場する主人公たちの名前を読むと自身の名前との落差に打ちのめされてしまうような、あの感覚である。その落差を感じたくないからこそ、僕は極力名を名乗らない。しかし名前がないというのもあまりにも不憫である。故に僕の名前は脚本と同じ逢間徹ということで手を打っておこうと思う。
僕はこの脚本に出てくる逢間徹という男について考察を巡らす。逢間は現在高校生であり、今年で十六歳であり、関西のとある地方都市に住んでいる。中学に入る頃に両親の転勤によって関東から引っ越しをした彼には当時、友人と呼べる存在はほとんどいなかった。ただひとり、同学年の女の子とは引っ越し前の近場の浜辺でよく遊んでいたようだった。世間的かつアニメやドラマでよく出てくるような記号的立ち位置として言うのならば、いわゆる幼馴染というやつだったのだろう。
そこまで考察を巡らした僕は鞄からおもむろに一通の手紙を取り出した。手紙には丸みを帯びた女の子の字で短くメッセージが書かれており、差出人の最後には淡い色をした風鈴のシールが貼り付けられていた。
「お久しぶりです。元気にしていますか。
今年の夏、地元に帰って来てほしいです。いつもの場所で待っています。
鈴音」
僕はもう一度グラスに口を移した後、喫茶店の頭上を見上げた。窓枠には淡い赤と青の風鈴が並んでいて、鈴の音を風になびかせていた。風になびいたその音色を聞きながら、僕は再度ノートパソコンに文字を打つ。
逢間徹にとって地元は二つある。ひとつは現在住んでいるこの地方都市であり、もう一つは小学校時代を過ごした海の見える住宅地である。神奈川県横浜市。そこが逢間のもう一つの地元だ。
手紙に書いてある差出人をもう一度読む。彼女は今何をしているのだろうか。僕と同じく高校二年のはずの幼馴染はどこの高校に進学したのだろうか。それとも相も変わらずひとり浜辺で遊んでいるのだろうか。過去を振り返りながら心の中に懐かしさがじんわりと広がっていくのを感じる。
確かに約束は約束である。引っ越す直前の別れ際に少女と指切りげんまんをしたのが走馬燈のように僕の脳内を駆け巡った。彼女は確かに十六の歳になったら再会したいと言っていた。
風鈴の鳴る店内には僕しかいない。僕は視線を窓の外に移した。丘の上に立つこの羽休め喫茶からは大海原が見える。この大海原も、僕の故郷と繋がっているのだろう。彼女も同じように海を見るのが好きだった。
机に広げた手紙が窓の外から漏れ出た風によって少し揺れたように思えた。