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第12章:文化祭前夜のモノローグ

 秋が深まり、校舎の窓から見える木々が赤や黄色に色づき始めていた。学校全体が、間近に迫った文化祭に向けて、どこか浮き足立った熱気に包まれている。教室や廊下には装飾が施され、放課後は各クラスや部活動の準備で賑わっていた。


 しかし、六人が集う「開かずの間」だけは、その喧騒から切り離されたように、静かな空気が流れていた。しいなとことはの関係は依然として修復されず、その影響は微妙に他のメンバーにも及んでいた。文化祭の準備という共通の目標があるにも関わらず、以前のような一体感は失われている。


 文化祭前夜。準備も大詰めを迎え、校内は遅くまで残る生徒たちでごった返していた。六人は、それぞれの理由で、再び「開かずの間」に引き寄せられていた。最後の仕上げから逃れてきた者、人混みに疲れた者、ただ静かな場所を求めた者……。


**白鳥 しいな:**

 窓の外を見つめる。空には、インクを滲ませたような、深い藍色の夜空が広がっていた。文化祭で、クラスでは小さな朗読劇をやることになった。しいなも、裏方として脚本の手伝いを少しだけした。本当は、演じてみたかった。自分の言葉で、自分の声で、何かを表現してみたかった。けれど、体調への不安と、人前に立つことへの躊躇いが、その一歩を踏み出させなかった。ことはとの間に壁ができてから、言葉を発すること自体が、以前よりもずっと重く感じられる。伝えたい思いはあるのに、それを紡ぐ言葉が見つからない。あの壊れた押し花のように、自分の心も、どこか欠けてしまったような気がする。表現への渇望と、それを阻む内なる壁。その間で、しいなの心は揺れていた。


**一ノ瀬 ことは:**

 膝の上で、読みかけの本を開いている。けれど、文字は全く頭に入ってこない。文化祭のクラス展示で、ことはは古今東西の「境界」にまつわる文学作品を紹介するコーナーを担当した。資料を集め、解説文を書く作業は、ある意味で現実逃避にもなった。けれど、調べれば調べるほど、「境界」という言葉が、しいなとの間に横たわる見えない壁と重なって、苦しくなる。澪に言われた言葉が、頭の中で反響する。「断絶していることが、解決に繋がるとは思えない」。分かっている。でも、どうすればいいのか分からない。傷ついた心は、まだ彼女を許すことを拒んでいる。現実と向き合うことの難しさ。言葉が持つ力と、同時に存在する無力さ。ことはは、物語の世界と現実の境界線上で、立ち往生していた。


**橘 玲:**

 床に座り込み、スケッチブックに何かを描いている。文化祭で、玲たちのクラスは模擬店を出すことになった。玲は、持ち前の運動神経とリーダーシップで、準備の中心メンバーとして活躍していた。けれど、夜、一人になると、無性に絵が描きたくなる。最近、玲はみのりだけでなく、しいなやことはにも、少しずつ自分の絵を見せるようになっていた。しいなは「色がきれい」と静かに言い、ことはは(例の一件の前だが)「構図に工夫の余地がある」と的確な指摘をくれた。それは、玲にとって新しい喜びだった。でも、まだ、クラスの皆の前で、堂々と自分の「好き」を表現する勇気はない。文化祭の看板作りで、「可愛いイラストとか描ける?」と聞かれた時も、「いや、俺そういうの苦手だから」と、つい嘘をついてしまった。いつまで、この仮面を被り続けるのだろう。自己表現への欲求と、周囲の目を気にする臆病さ。そのギャップに、玲は一人、ため息をついた。


**氷川 澪:**

 壁に寄りかかり、目を閉じている。文化祭では、科学部として研究発表を行うことになっていた。準備は順調に進んでいる。論理的な思考、緻密な計画。それは澪の得意とするところだ。しかし、最近、澪の心の中には、論理だけでは処理できないノイズが増えていた。ことはとの対話、しいなの苦悩、そして自分自身の内なる「乱れ」。感情という、非合理で予測不能な要素。それを無視することは、もうできないのかもしれない。文化祭という、多くの感情が交錯する場で、自分はどう振る舞うのだろうか。冷静な観察者でいられるのか、それとも、予期せぬ感情に揺さぶられるのか。万華鏡の迷宮の出口は、まだ見えない。論理と感情の狭間で、澪は静かに思考を巡らせていた。


**星野 アカリ:**

 部屋の隅で、ノートパソコンを開いている。文化祭で、アカリは所属する美術部(という名の、ほぼ幽霊部員が集まる同好会)で、自作の短いアニメーションを上映することになった。澪に背中を押され、半ば強制的に決まってしまったことだが、一度やると決めたからには、中途半端なものは作れない。締め切りが迫る中、アカリは不眠不休で作業に没頭していた。自分の内なる世界を、他者の目に晒すことへの恐怖は、まだ消えていない。けれど、それ以上に、自分の創り出したものが、誰かの心に少しでも響いたら、という微かな期待も生まれていた。澪が時々くれる的確なアドバイスや、祭りの夜の玲とみのりの優しさ。それらが、アカリの背中を少しだけ押してくれている。他者に自分の作品を開示することへの挑戦。それは、アカリにとって、大きな一歩となるはずだった。


**陽向 みのり:**

 窓枠に腰掛け、ぼんやりと外の夜景を眺めている。文化祭のクラス準備では、いつものように調整役として動き回り、笑顔を絶やさなかった。けれど、心の中は、鉛のように重かった。しいなとことはの断絶。グループ全体のぎこちない空気。自分がうまく機能していないことへの焦り。そして、玲との間に生まれた特別な繋がりが、逆に他のメンバーとの距離を感じさせてしまうことへの罪悪感。祭りの夜、少しだけ勇気を出そうと思ったけれど、結局、文化祭の準備期間中も、「良い子」の仮面を外すことはできなかった。本当の気持ちを、誰にも打ち明けられない。このまま、文化祭当日を迎えていいのだろうか。本音を隠し続けることの限界。みのりは、誰にも見られないように、そっと涙を拭った。


 文化祭前夜。「開かずの間」に集まった六人は、それぞれのモノローグを胸に秘め、静かな時間を過ごしていた。言葉は交わされなくても、互いが抱える葛藤や期待、不安が、空気を通じて伝わってくるかのようだ。

 明日、文化祭という非日常の舞台で、彼女たちの内なるドラマは、どんな展開を迎えるのだろうか。それぞれの課題が交錯し、ぶつかり合い、そして、新たな変化を生み出すのかもしれない。

 静寂の中に、確かな予感が満ちている。それは、嵐の前の静けさのようでもあり、夜明け前の期待のようでもあった。

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