ダークブルーの瞳の娘(改)
エウゲンは恋をしました。
ダークブルーの瞳をもつ、美しい娘に。
国一番の大きな街で、その娘は多くの男を虜にしていました。娘の父は国の兵士であり、娘の家は中流階級でした。
エウゲンは16歳でした。彼の全ては、ダークブルーの瞳にばかり向かいました。
初めての熱烈な恋に、毎日毎日、胸が張り裂けそうでした。彼の家は靴屋でしたが、革を縫うのも靴底を修理するのも、ほとんど手につかなくなってしまいました。
ついにエウゲンは耐え切れなくなり、恋しい娘に会いに行きました。
「どうか僕の願いを叶えてください。あなたが愛しい。あなたなしでは生きていけない」
このような台詞ならば、娘はうんざりするほど男たちから聞かされていました。
「ごめんなさい。私はあなたなしでも生きていけます」
エウゲンは絶望しました。
自分で発した愛の言葉の通り、もう生きていけないと思いました。
その夜、エウゲンは家族へ置手紙をすると、自室で一人、ナイフを使って自害しました。
彼の両親は悲しみ、街の若者達はひそかに冷笑したものでした。
エウゲンの物語は、これでおしまいです。
キリルもまた、ダークブルーの瞳の娘に恋焦がれる若者の一人でした。
彼は何度か、手紙をつけて娘へ贈り物をしていました。それだけで、ひとまず心が満たされるのでした。
キリルは富豪の家の使用人で、主にその家の荷運びの仕事をしていました。街を離れることも多かった彼は、旅先で珍しいものや美しいものを見つけては、ダークブルーの瞳を想い、土産にしたのでした。つらい旅の中、その至福の時だけが、彼の救いでした。
キリルが長期の仕事から街へ戻ってきた、ある日のことでした。
ダークブルーの瞳の娘が、貴族の嫡男と婚約したという噂で、街は騒がしかったのでした。
キリルは絶望しました。
届かなかった想いと、自分の身分の卑しさに。
彼は今回の旅の土産を、手紙をつけずに運び屋へ託しました。そして、主人の屋敷の裏手で首を吊りました。
後に届けられた、キリルの最後の贈り物は、娘に受け取ってもらえませんでした。贈り主がわからなかったからです。このような贈り物は、うんざりするほど娘のもとへ届けられていたのでした。
キリルの物語は、これでおしまいです。
サンドロスもまた、ダークブルーの瞳の娘に恋焦がれる若者の一人でした。
彼は名門貴族の嫡男でした。金も権力も、思いのままでした。
両親に働きかけ、サンドロスはダークブルーの瞳の娘との婚約を取りつけました。彼女を幸せにしたいという想いで、彼の胸ははちきれそうなほど、いっぱいでした。
数日後の婚礼の時、ダークブルーの瞳の娘は、輝くばかりに美しい装いでした。
サンドロスは大勢の親族や友人の前で、誇らしく誓いの言葉を口にしました。
「彼女を生涯愛し、守り抜くことを誓います」
しかし、ダークブルーの瞳の娘は、誓いの言葉を言いませんでした。
「神の前で嘘はつけません。私はあなたと結婚できても、愛することはできません」
婚礼の場は、水を打ったように静まりました。
サンドロスは絶望しました。
羞恥も手伝って、とてもその場に居られませんでした。サンドロスはそばにいた騎士の剣を奪い、その場で自害しました。
祝福の場は惨劇へと変わり、大混乱となりましたが、その日の夜にはすっかり片付けられました。サンドロスの家は彼の弟が継ぐことになり、ダークブルーの瞳の娘はうんざりしながら家に帰りました。
サンドロスの物語は、これでおしまいです。
レアンダーもまた、ダークブルーの瞳の娘に恋焦がれる若者の一人でした。
彼は奴隷の身でしたので、恋に落ちた瞬間、彼の考えたことはひとつでした。
レアンダーは、ダークブルーの瞳の娘の周囲を、時間をかけて調べました。そしてある夜、彼女の部屋へ忍び込むと、娘の手足を縛り上げ、布で口をふさぎました。
「あなたをどんなに想っても、どうせ叶わない」
レアンダーはナイフを持って、そう言いました。
「だったら、あなたが誰かのものになる前に、あなたを殺して僕も死ぬ」
娘はダークブルーの瞳で、悲しそうにレアンダーを見ただけでした。
しかし、そのときでした。異変に気づいた娘の父が部屋に駆けつけ、持っていた剣でレアンダーを斬りつけました。そして、娘の縛めをすべてほどきました。
レアンダーは息も絶え絶えに、ダークブルーの瞳を見つめて言いました。
「一緒に、死んでほしい。そして、来世で結ばれよう」
娘は父の腕の中で、うんざりして言いました。
「私は、死にたくありません」
レアンダーは絶望しました。
もうとっくに全てに絶望していると思い込んでいましたが、もっと絶望しました。
レアンダーは持っていたナイフを使い、その場で自害しました。
ダークブルーの瞳の娘は、より治安の良い地区に引越しをしました。部屋は二階にして、戸口に見張りを立たせました。
レアンダーの物語は、これでおしまいです。
ソティリオもまた、ダークブルーの瞳の娘に恋焦がれる若者の一人でした。
鍛冶屋の息子であったソティリオは、屈強で自信に溢れた青年でした。
特注の槍を、兵士である娘の父へ届けに行った時に、ダークブルーの瞳に魅入られたのでした。それ以後、彼は街一番の鍛冶屋になって娘を妻に迎えようと、必死で働いていました。
ある日、ダークブルーの瞳の娘が不治の病にかかったという噂を、ソティリオは耳にしました。
一目だけでも見舞いたいと、多くの若者達が彼女の家へ押し寄せました。整理券が配られるほどの混雑ぶりでした。
ソティリオは整理券を握り締めて、数日後、ようやくダークブルーの瞳と向き合えました。
「ユニコーンの角を削り煎じて飲めば、どんな病でも治す薬になるという伝説がある」
ソティリオは娘に約束しました。
「必ず手に入れて戻ってくる。そうして病を癒したら、結婚してほしい」
ダークブルーの瞳の娘は、寝台に横たわったまま、うんざりしました。そして、悲しそうに言いました。
「病は治りません。同じ病で亡くなった友人がいます。彼女が助からずに私が助かるなど、道理にかなっていません」
「そんなことはない。俺があなたを助けてみせる」
ソティリオはすぐに、ユニコーンが住むという森へ旅立ちました。森での潜伏は過酷でしたし、ユニコーンは一蹴りで岩をも砕く恐るべき生き物でした。しかし、彼は屈強な若者でしたから、一ヶ月後に見事、角を手に入れて街へ戻ったのでした。
ソティリオは疲労でボロボロの体に鞭打って、娘の家へ直行しました。
ところが、待っていたのは、二度と開かれることのないダークブルーの瞳でした。
ソティリオは絶望しました。
彼は食事をとらず、過労も手伝ったのか、数日後、眠るように息絶えました。
持ち帰られたユニコーンの角は、病に苦しんでいた5名の子どもの命を救いました。そして、その成分が研究され、多くの薬を生み出す助けとなりました。一方で、多くの若者が、ダークブルーの瞳の娘の後を追って、自害しました。
ソティリオの物語は、これでおしまいです。
ヴァシリもまた、ダークブルーの瞳の娘に恋焦がれる若者の一人でした。
毎晩毎晩、ダークブルーの瞳を夢に見ました。幸せな気持ちで目覚め、まだ暗い早朝のうちからパン生地をこねました。ヴァシリはパン屋の息子でした。
そうして美味しく焼きあがったパンを、週に一度、ヴァシリは手紙と共に、ダークブルーの瞳の娘に送り届けていました。
ある日、ヴァシリは娘の余命が一ヶ月もないことを知りました。
いてもたってもいられず、一目会いたくて家まで行きました。すると若者達が長蛇の列をつくっており、整理券が配られていました。
ヴァシリはそれを見て、唖然としました。
彼は整理券を受け取りませんでした。代わりに、心を込めた手紙を書いて、次の日に家の者に託しました。
『愛しい君へ
毎週パンを届けていたヴァシリです。
まさかこんなに早く僕の恋がこの世を去る運命だったなんて。今はただただ、驚いています。
病に倒れている君は、人と会うだけでも気力や体力を使うのではないかと思い、涙をのんでこうして手紙を書くことにしました。読んでもらえなかったとしても、仕方がないと諦めます。今は自分の体を一番に考える時です。
君を失った世界を、まだ僕は想像できません。きっと、耐え難く空虚で絶望的な世界でしょう。
でもそれ以上に、この恋を僕にくれた君に、伝え切れないくらいに感謝することでしょう。
君に恋したこの二年間、毎日が夢のように華やかでした。
君にも、そんな想い人がいたのでしょうか。こんなことになってしまった今、君が素敵な人生を歩んだことを祈るばかりです。
もしもこの手紙が君の美しい瞳に触れて、そしてまだパンを食べられる体力があるならば、ぜひまた僕のパンを食べてください。焼きたてを届けると約束します。
パン屋のヴァシリ』
数日後の夜、ダークブルーの瞳の娘の母が、閉店時間のヴァシリの店にやってきました。
ヴァシリは乞われるままについて行きました。数刻後、ヴァシリは娘の部屋に通されて、ダークブルーの瞳と向き合っていました。
整理券をもった若者達は去った後で、屋敷はとても静かでした。
「こんばんは。パンを持ってきたよ」
ヴァシリは微笑んで、寝台の脇の椅子に掛けました。すると、ダークブルーの瞳が、弱々しく彼を見つめました。
「焼きたてですか?」
ヴァシリは明るく笑いました。
「君はなんにも知らないんだね。こんな時間にパンを焼くパン屋なんて、いないよ」
ダークブルーの瞳が、不思議そうにヴァシリを見つめます。
「あなたの手紙を、読みました」
「ありがとう」
「まるで私が死ぬと決めつけているかのような、内容でした」
「余命一ヶ月って聞いたから」
「あなたは私に恋をしていると、書いてありました」
「恋しているよ」
「おかしいと思います。私に恋をしている男性は皆、私を助けたがりました。私に会いたがりました。短い期間でいいから結婚してほしいと言いました」
「みんな、ずいぶん勇気があるね」
「あなたは」
ダークブルーの瞳が、苛立ったように光りました。
「あなたは、私に恋していない。うそつきね」
ヴァシリはまた、明るく笑いました。
「僕は君に恋しているよ。だって、君に恋している僕は、こんなに幸せだ」
「手紙は」
ダークブルーの瞳に、怒りが灯りました。
「正直、不愉快だったわ。私のことを、全然気遣ってくれていない」
「気遣ったつもりだよ。その結果、僕は恋しい君に会えないままサヨナラになるところだった」
「私はこのまま、恋も知らないまま死んでいくのに。まるで、あなただけが幸せになるかのような、内容だったわ」
「僕が幸せになるかどうかなんて、わからないよ。でも」
ヴァシリはいったん息をついて、悲しそうに微笑みました。
「君のあとを追って自分も死のうとは、考えていない。君を失った後、誰かまた別の人に恋したとしても、ずっと君のことを覚えているよ」
「あなたはやっぱり、私に恋していないわ」
「どうして?」
「本気で恋していれば、別の人をいつか好きになるだなんて発想、しないものよ。一緒に死ぬ、来世でまた会おうって、普通言うわよ」
「そうか。君はそういう恋が好きなんだね」
ダークブルーの瞳が、大きく見開かれました。
「いいえ」
答えた声は、悲しみに深く沈みました。
「いいえ……。そういう恋は、もう、うんざり」
ヴァシリが優しく微笑むと、ダークブルーの瞳の娘は、泣きそうな顔で言いました。
「本当は、残りの時間を静かにゆっくり過ごしたいの。でも、みんな会いたいって言うし、断るのもひどいと思って」
「君は優しいね」
「いいえ。私はひどい女よ。恋していると言われても、全然嬉しくないの。たくさんの男性が私のせいで死んでしまったわ。私が彼らを、好きになってあげられなかったばかりに」
「君は悪くないよ」
「ねぇ」
ダークブルーの瞳の娘は、ちょっと黙ってから、おそるおそる尋ねました。
「……明日も、パンを持ってきてくれる?」
「うーん。この時間だと焼きたてじゃないけど、いいかな?」
ダークブルーの瞳の娘は、はにかむように微笑みました。
ダークブルーの瞳の娘は、それから一ヶ月もたたないうちに、息をひきとりました。
ヴァシリは悲しみに暮れましたが、絶望はしませんでした。
彼の胸には、愛しい娘が残してくれた、恋する乙女の微笑みがあるからです。
ヴァシリの物語は、このあとも続いていきます。
新たな恋をし、子をもうけ、おじいさんになって、目を閉じるまで。
彼の物語と、娘の記憶は、続いていくのです。
〈ダークブルーの瞳の娘〉・終
こんばんは、12月の風です。
皆様からいただいた評価・感想をもとにちょっとだけ改稿をしたのが本作です。
プロには許されない所業ですが、アマなのでやってしまいます(笑
これはこれで、ご感想いただけると嬉しいです。あまり変わってませんけどね。
お読みいただき、ありがとうございました!