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とうきょう127ど  作者: 始まりチーム
借りてきた猫
6/10

6話 東京の大阪

 うなだれている暇はない。突然人手が足りなくなったという店長からの連絡で、十一時過ぎに急遽出勤することになった。

あの時の言葉は回りくどい解雇予告ではなかったようだ。


 深夜のファミリーレストランは結構賑わっている。

安価にお酒が飲めて、朝まで営業している店は多くないため、この時間になると酒の臭いを漂わせる酔っ払いや、徹夜して始発を待つ若者たちで人だかりができていた。

そのせいか、この時間帯は攻撃的だったり、無理な要求をする客も多く、常に緊張して接客しなければならなかった。


「ご注文承ります。」


「何歳?学生?」


「二十六です。」


 客の話し方には関西弁が濃く染み出ていた。関西の人々は話すのが早く、性格が急な場合が多いので注意する必要があった。

さらに関西の人々は店員であろうと世間話しをする傾向がある。

自然と身体に力が入った。これまでの経験が蓄積されて体得したものだった。


「なんや。韓国人か?」


「あ、はい。韓国から来ました。」


「大変やなぁ~。」


 客がメニューを眺めながら軽く返した。なぜか厳しい客ではないという確信が不思議なほど強く感じられた。そのおかげかすっと肩の荷が降りる気がした。

客が指し示す通りに注文をざっと書き取ると、再び質問が飛んできた。


「東京はどう?住みやすい?」


「うーん......。」


「なんや、嫌いか?韓国に帰りたいんか?ほんならなんで来たんや?」


 冗談めかしてツッコミを入れた客が声を上げて大笑いした。典型的な関西式の冗談なのに、緊張していた最中に聞くと、つられて大きく笑ってしまった。

ここでは外国人の僕にこんな冗談を投げかけてくれる人はそう多くなかった。

僕も上手く笑えるのに、上手く受け答えもできるのに。

でもそれも関係が適度に気楽な時だからできることだということもよく知っていた。


「東京嫌いやったら大阪来いや~大阪ええで。」


「はは......」


「その笑い方なんや?もしかして大阪も嫌いなんか?」


「いえいえ。大阪好きです!」


「あれ、じゃあ東京は嫌いってことやな!」


「そうじゃなくて......!」


 客は言葉を発するたびにいたずらっぽい表情を見せた。しかし悪意がないことは一目で分かった。

言葉を交わすたびにあたふたとしてしまったが、心は今までで一番軽かった。誰かとこんなに気楽に会話したのはいつぶりだろうかと振り返ってみる。

日本に初めて来たあの日まで遡っても、よく思い出せなかった。

もしかしたら来てからのことに埋もれて忘れられてしまったのかもしれない。


「学生、ええねん。俺も仕事で来たけど、東京あんまり好きちゃうし」


「あ、本当に違うんです!嫌いじゃないです!」


「あんた今お客さんに口答えしてんの?これはあかんわ。」


 接客がめっちゃ悪いわ。客は首を横に振りながら大げさに舌打ちし、笑みを浮かべた。

気づいたら知らず知らずのうちに足までもじもじさせながら弁解していた。

そのせいか、僕の顔も自然と緩んでいた。

楽しかった。本当に久しぶりに。


 そこでようやく、その客の前で少しもどもることなく話せていたことに気づいた。

それはその客に限った話だったが。その後いくつかの注文を受けたが、そのうち二、三個は相変わらず一度で聞き取れずにどもってしまった。

わざわざ振り返らなくても店長が気に入らない顔で見ているのが目に浮かんだ。

それでも淡々と目の前のテーブルを片付けた。

店長の期待に添うことはできないとわかっていても、少なくとも精一杯努力している姿は見せたかった。


 どれくらい経っただろうか。あるテーブルからすっと手が上がる。

冗談を交わしていた関西の客のテーブルだった。雑巾を置いてすぐさまその前まで駆け寄った。


「はい、何かご用でしょうか?」


「これ作った人呼んで。」


「え?」


 全身の産毛が逆立つ感覚、これは何度繰り返しても慣れない。

後ろでは店長がこちらの状況を注視しているのが感じられた。先程まで大きなミスをしたわけでもなく、雰囲気も悪くなかった。

さっきの接客が気に入らず、個人的に揚げ足を取ろうとしたのか、僕には見当が付かなかったが、とにかく表面的な状況だけを見るとあまり良くない予感がした。


「料理になにかありましたか?」


「パフェがなんでこれだけなん。」


 客のスプーンがパフェをつついている。スプーンがアイスクリームに埋もれるたびにパフェグラスの底に当たって音が聞こえた。

すでにグラスは半分ほど空になっていた。

パフェはシーズンに合わせて違う材料を使うこともあるので、のせる材料や量は刻々と変わる。

とはいえ、キッチンが間違って作るはずもなく、おそらくこれが定量のはずだった。

 

 こんなクレームは経験したことがない。実際自分の理解が合っているのかも確信が持てなかった。

だからまた馬鹿みたいに店長や他の従業員に助けを求めて逃げ出したくなった。

そうすれば当面の状況は回避できるだろうが、そうなるとまた僕への叱責まで避けることはできないはずだった。

背筋を伝って汗が垂れ落ちるのが感じられた。

何と答えることもできずにしばらく固まって立っていると、客が再び口を開いた。


「パフェ間違って出てきたんとちゃう?少なすぎるやん。」


「えっと......キッチンに聞いてみましょうか?」


「えー、店員がそれも分からへんの?」


 ちゃんと出てきたかどうかは分かってないと。気が抜けたように客は鋭く首を傾げた。

実は定量だと言えばいいのに、これが客を気まずくさせる答えなのかよく分からない。

こんな風に指摘されたのは初めてではないため、慣れた仕草でそっと顔を上げて客の表情を窺う。

僕の過ちを非難しているというには優しい表情なのが気になった。


 いま、叱られているのか?

さっきの愉快な様子を考えると冗談を言っているようにも思えた。


 後ろから素早い足音が聞こえる。大変だ。店長の目にも普通ではないと映ったようだった。

自分で解決できないだろうと思ったのだろう。いくらなんでも少しも待ってくれないなんて、信頼は底をついているようだ。

店長に肩を掴まれ、体が後ろにずるずると押しやられる。


「申し訳ございません。この子が外国人なもので、まだ言葉をよく理解できなくて。はははは」


 結局またこの流れだ。クレームが入って皆の前で指摘されたのが昨日のことなのに。


 不快な表情の客の前で店長は自然に腰を何度も下げた。僕の代わりに謝罪するのを目の前で見ながら、うつむいて立っているしかない状況は何度経験しても辛かった。店長からは謝罪の言葉が滔々と流れ出ていた。


「ジヌ君、何してるの?早く謝りなさい。」


 どうしてこうなったのか分からない、確かに精一杯頑張ったと思ったのに。

今回は感じが良かったのに、横から突き刺さる店長の視線が痛かった。視線の触れる部分の肌が赤く剥けるまで掻き出したかった。

心臓の鼓動が激しさを増した。


「今お客様が不快に思っておられるでしょう」


「......申し訳ありません。」


 90度に体を曲げる。目地が少し汚れた床に視界が埋め尽くされた。

客の表情が見えなかった。顔を上げたくなかった。どれほど冷たい目で僕を見ているだろうか。


「何とぞ私どもでしっかり教育いたします。」


「そっち、パワハラ店長か?」


「え?」


 低姿勢で様子を窺っていた店長が面食らったように聞き返した。

パワハラだなんて、店長によく叱られはしたが店長が僕にパワハラをしているとは一度も思ったことがなかった。当事者の僕までもが目を大きく見開いて客を見つめると、客はわざと怒ったふりをして指差しながら付け加えた。


「まあ、学生やからそういうこともあるやろ。なんでこんなに叱るん?」


「あ......。」


「大したことないねん、パフェがおいしくて呼んだだけや。」


 パフェめっちゃ美味いわ。そう言いながら客は人の良い笑みを浮かべた。

店長は何と反論することもできず、照れくさそうに笑うだけだ。

その間、僕は目をかろうじて瞬かせるだけだった。

不器用な従業員を露骨にかばってくれた客に会ったことはなかった。


「そっちが店長やろ?この従業員、めっちゃ親切やで。話もよう聞いてくれるし......頑張ってるのになんでそないに。」


 店長を前に立たせたまま、客が僕の方に向かって親指を立ててくれる。

こんな状況は初めてで、ありがとうございますという言葉と共に少し気まずそうに口角を上げた。従業員にとってクレームが致命的な分、客の褒め言葉も無視できない影響力がある。

これは僕が客から受けた初めての褒め言葉だった。


「あのさ、終電乗らなあかんから早よ会計頼むわ。」


「あ、はい。会計承ります。」


 やっとテーブルを見ると、グラスはすっかり空になっていた。

店長が早く会計してあげなさいと言いながら引き下がった。頭がくらくらするのを感じながら素早くカウンターへ向かった。

冷たくなった手でレジをぽちぽちと押していると、客がカードを渡しながら愉快そうに言う。


「学生さん。韓国ではどうか知らへんけど、そんなに小心者やとこれできへんで~。」


 そう言いながら客は目の前に小指を突き出して振ってみせた。約束?この流れで何の約束をしろと言うのか、さっぱり分からなかった。それでも素直に客の小指に僕の小指を引っ掛けた。


「何でやねん!」


 客はわざと大げさな仕草で手を振り払った。大阪情緒たっぷりに染み出る口調と共に。

手が宙に払われても、恥ずかしさより戸惑いが勝る。


 あ、他の意味があったのか、そこでようやく後になって気づく。

手を引っ込めながら客に質問を投げかけた。


「あ、これじゃないんですか?」


「彼女の話やねん。こんなんも分からへん?」


「あ......すみません。」


「えー、分からへんのかい。勉強せなあかんで」


 冗談めいた言葉が優しく届いてくる。

さっきまでの冗談とは違って、叱責の余地は全くなかった。

明確で確実な好意だった。言葉の代わりに優しさが届く。


「学生さん。」


「はい。」


「先に動かな変われへんで!」

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