王子の秘密を知った平民の私、そういえばどうして王子のことを好きになったんだっけ?
平民のあたし、マリーシアはある日、ひょんなことから第一王子のセラール様の秘密を知ってしまい、口止めのために婚約、結婚した。
数年が経ち、秘密が秘密じゃなくなって、王子だったセラール様は国王に、あたしは身の程知らずにも王妃になった。不釣り合いだと周りに言われるし、自分でもそう思う。秘密はとっくに秘密じゃなくなっていて、口止めももう意味がない。
だからこんな不釣り合いな結婚はもうやめにしなきゃとセラール様に切り出した。
その時に、実は両思いだったことがわかり、結婚を続けることになったのだけれど、話はそこで、めでたしめでたしと終わらなかった。
「納得できません」
そう言って仁王立ちしているのは、筆頭侍女のメイベルだ。今はちょうど、今夜のパーティーのために準備をしてもらっているところだった。
「納得、できないの?」
「ええ!」
メイベルは強くうなずいた。
「だって何回聞いたって、マリーシア様はなぜセラール様のことが好きなのか、全然わからないです。考えてたら作業に集中できません」
そりゃセラール様は国王でいらっしゃるし? と続けるメイベルは不満が隠せない顔をしている。
「顔はよろしいですよ。でも権力のために身内を追い落としたりしたじゃないですか」
セラール様は自分が王位につくにあたって、セラール様よりも有力だった腹違いの第二王子、そしてその生母である正妃様の派閥を丸ごと排斥した。ただ位を下げるのではなく、主だった人たちを海外へ追放、もしくは位を平民まで落としている。
「優しいばかりの方ではないので、マリーシア様は陛下のどこが魅力的に感じられるのか、私には納得がいかないのです。セラール様が素直でかわいらしくて気遣いもできる完璧なマリーシア様を気に入るのは当然ですけれど」
メイベルは思ったことをそのまま口に出す。そして、あたしのうぬぼれかもしれないが、メイベルはあたしのことが大好きだ。気持ちがそのまま口に出ていた。
さっきの内容は、不敬罪一歩手前の発言だけれど、聞きとがめる人はここにはいない。賢い彼女は言う場所、相手をきちんと見極めていた。そういうかしこいところがあたしは好きで、侍女の中では一番仲がいい。正直なのもいいことだと思う。
「優しいばかりじゃないって、そこがいいのに」
いいながら、あたしはちゃんと改めて考えて、説明しないといけないなと思った。メイベルはあたし贔屓ではあるけれど、メイベル以外にも、そういう風に思う人はいると思う。
これからあたしはそういう人たちに質問された時、今までみたいにうそをつくんじゃなくて、正直に説明しないといけないんだから。
あたしは思い出していた。結婚する前、平民だったころのこと。
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平民だったころのあたしは、結婚について、異性について、あまり興味がなかった。というか、そういう余裕が持てなかったというほうが正しいかもしれない。
弟と妹がいて、母は病弱だった。父は小さいころに死んでしまった。
家のことは、弟と妹でできることを分担するように、あたしが指示していた。母は体が弱く、家でできる縫物の仕事をして、貧しくいつもおなかを減らしながら、なんとか生活していた。
まだ弟も妹も、小さいからあまり食べないけれど、これから大きくなるのに、栄養のあるものをたくさん食べさせてやりたい。あたしは昼は外で、夜は内職で家計の足しにしながら、いつも実入りのいい仕事を探していた。
そんななか、たまに恋愛や結婚の話を職場のお姉さんから聞くことがあった。
「とにかく相手選びが大事」
「でも相手だけじゃなく、家族もきちんと見なきゃ。私それで痛い目にあったのよ」
「へえ、それってどんな?」
あたしと同じくらいの歳の子どもたちは、大人のそんな話に入っていけなかったから、一生懸命聞き耳を立てていた。話を聞きながら、あたしも年頃になったら、きっと結婚するんだろうなと漠然と思ったり、結婚するならどんな人がいいかなって想像したりしていた。
現実問題として、結婚しないと、弟と妹と病弱な母とでは、今はギリギリでも少しでも何かが違えば、立ち行かなくなってしまう。あたしはたくさん働いていたけれど、稼ぎは力仕事のできる男の人には及ばない。結婚して、夫婦2人で働けば、今よりいい暮らしができるとおもう。
最低限、健康でうちの家族を支援できる程度の余裕があるひと。
あとは高望みかもしれないけれど、できるだけお金持ちがいい。お金持ちの家にお嫁に行って、私の家族も一緒に住まわせてもらって、弟、妹が自立できるまで、おなかいっぱいご飯をたべさせてやりたい。
お金持ちじゃなくっても、健康でよく働いて、私の家族を大事にしてくれる人がいいなと思っていた。
それで、あとはこれは本当にわがままだけど、かっこよくて自慢のできるような人だといいなと。まあ、これは自分でも望みすぎと思っていたけど。
病弱な母がいつまで仕事を続けられるかもわからないなか、あたしはとても不安だった。せめてこの不安を一緒に分け合ってくれないかな。
そう思っていたら、まさか王子様と婚約することになるなんて、びっくりよね。
たしかにセラール様は健康で、うちの家族を支援できる程度の余裕はあるお金持ち、しかも素敵なお顔立ちまでついてきたけれど、私はこんな高貴な人のお嫁になるなんて、あの日まで想像したこともなかったのに。
「君、結婚しろ」
そう言ったのは立場が上も上の王子様、言われたのは平民のあたし。
断れるはずもなくって、いわれるがままにうなずくしかなかった。
最初は怖かった。
セラール様は外で会う時はいつもへらへらと無気力に笑っていた(そういう演技をしていた)けど、部屋に帰った途端に厳しい顔つきになる。最初は怒られるのかとびくびくしていたけれど、それが素だと気づいてからは、前より緊張しなくなっていた。
王族の婚約者になると、専用の部屋が与えられた。貴族だと実家暮らしで問題ないけど、王族の婚約者が貧民街や使用人の部屋にいるのはよくないからだと言われ、ありがたく住まわせてもらった。でも普段は客室に使われるような部屋なので、とにかく広い。
あたしはそんな広い部屋に住むのは初めてだった。使用人部屋はぎゅうぎゅうに詰まった二段ベットが狭い部屋に二台。4人で一部屋だし、実家もそれより少しは広いくらいであまり変わらない。
新しい部屋は豪華なしつらえで、なんと侍女もついた。
「こんな部屋、住めないです。せめてなにか、掃除とか、なんでもいいので働かせてください」
申し訳なさ過ぎてうまく眠れなくて、翌日すぐセラール様に訴えた。それを聞いたセラール様は、理解できないとあきれた顔であたしにさとした。
「だめに決まってるだろう。立場を自覚してもらわなければ困る」
ことわられてしまった。
しょんぼりしながら、その日気持ち良すぎてよく眠れないベッドの中で考えた。
結婚はやめにできない。何日か一緒に過ごすことで、セラール様の人となりもわかってきた。今となっては結婚の話をお断りしてもセラール様がそんなにひどいことをするようにも思えないけれど、もういろいろ公式に動き出してしまっているので、引き返すこともできない。
だって王様にもご挨拶してしまってるのだ。
この部屋も変えてもらえない。となれば、何をすればいいだろうか。
考えて考えて、翌日、あたしは朝からセラール様の部屋を訪ねた。
「どうした。朝早くに珍しい」
セラール様は起きていて、侍従に洋服を変えられているところだった。侍女だったころから高貴な人の着替えには慣れているはずだが、なんだか気恥ずかしくて目をそらしてしまう。
「ええと、お伝えしたい、というか決めたことがあってきました」
「どうしたの」
「あの、ええとですね、あたしごときが、こんなこと、わざわざいうことじゃないのかもなのですが」
「いってみて」
セラール様の声は優しかった。後押しされて、あたしは勇気を出して言う。
「セラール様との結婚、全然できる気はしないですが、せっかくいただいたお仕事なので、あたしなりにしっかりやりたいと思います!」
その時、あたしは自分でいうことに精いっぱいで、いうだけ言って、部屋から出て行った。
言葉通りあたしは頑張った。
人生でこんなに勉強したのははじめてだった。
たくさんの教師が毎日変わるがわるいろいろなことを教えてくれる。学校もろくに行っていないあたしは自分の名前くらいしか書けなかった。
根気よく付き合ってくれる先生たちのおかげで、外交に最低限必要な外国語3か国分、礼儀作法、貴族名簿の暗記などなど、貴族なら当たり前の教養があたしにはまったくなかった。
そうやって、お仕事を一生懸命に頑張る中、セラール様をあたしの実家に連れて行った。
セラール様たっての希望だった。
あたしの実家は平民の中でも貧しい人が住むエリアにあるぼろぼろの集合住宅だ。
王子様が来るような家ではない。
セラール様はそんな家に来た。
途中の道でも1人でキラキラしていて場違いだった。
「ただいま」
「おかえり」
家に入ると母がベッドに寝ていた。調子が悪いようで、セラール様を見て、驚いた様子であわてて立ち上がった。
「私の母も体が弱くて、よく寝込んでいました」
セラール様は身分の低いあたしの母に、当然のように敬語を使った。
あたしの家は、小さいぼろぼろの家で、床も掃除は行き届いていない。王宮みたいに磨かれてなんかいない。その汚い床に、膝をついて、セラール様は私の母の荒れた手を握った。
「セラール様、汚れます。こんなところに膝をついたりしちゃだめです」
「いいんだ」
あたしの母はセラール様のお母さまみたいに貴族でもなんでもない平民なのに、まったく同じ人間のようにセラール様は接していた。
母は手を握ってひざまずいているセラール様の手を両手で握り返してから離し、立つようにうながした。母は普段の生活では見せない、ぎこちない所作でおじぎをした。
「高貴な方に十分なおもてなしもできず申し訳ございません。この度は娘が身に余るお話をいただいたと伺っています、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
「とんでもない。結婚しようというのですから、当然です。ごあいさつもなくではご家族も不安だったでしょう」
セラール様はそう言って、母の後ろに隠れている、弟と妹に微笑みかけた。
キラキラしたその笑顔を見て、妹の目がハートマークになっている。弟は逆に不審そうな目でセラール様を見ていた。
帰り道、あたしは王宮へ向かう馬車の中で、セラール様に聞いた。
「セラール様のお母さまって、どんな方だったんですか?」
思い返せば、あたしの家族の話はよくしていたけれど、セラール様の家族について、あまり聞いたことがなかった。
知っているのはご挨拶した国王と王妃、そして第二王子とその姉妹たちだったが、セラール様にはあまり近寄らないほうがいいと言われて、ほとんど話したこともない。
あたしが知っているのは、セラール様だけが兄弟の中でお母さまが違うことだけだった。
「さっき少しお話されてましたけど、体の弱い方だったんですか」
「…ああ」
それきり黙ってしまったセラール様の横顔を見て、あたしは、まだ教えてもらえない関係なのかなと思って、それ以上は聞けなかった。
いつか教えてもらえるといいな、そんな関係になれるのかな。
あたしとセラール様は契約だけの関係で、本当に好き合っているわけじゃないけど、いつか本当に好き合っている夫婦みたいになれたらいいなと思った。
多分あたしはこの日から、セラール様のことが好きだったんだと思う。
その後、母と弟妹はその家を引き払い、あたしが王子様の住む離宮に部屋をもらった。
「警備上の理由だ。家族を人質に取られることもあるから」
セラール様はそう言っていた。あたしはうれしくて、理由はなんでもよかったから、お礼を言った。
「ありがとうございます! 気がかりだったんです、ずっと。あたしだけこんないい暮らしさせてもらってて、家族はあのままだって思うと気が気じゃなくて、やっと安心できました」
「そうか、それならよかった」
セラール様はそれだけ言って、仕事に戻っていった。忙しい人だから、あたしにかかりきりになる時間はない。あたしはそれを理解していたから、離れていくセラール様の背中に、深々とお辞儀した。
その時、あたしは周りの人に言われてセラール様がそういうことをしてくれたんだと思っていた。
けれどそれからしばらく経ってから、違っていたと知ることになる。
「いくら平民でも、2、3人護衛をつけておけば大丈夫でしょう。離宮に呼び寄せるなんて前代未聞ですよ」
そう愚痴っていたセラール王子の乳兄弟兼側近のジャンの話を聞いて、普通はそこまでしないことを知った。
つまり、特別にはからってくれたってこと。
セラール様は自分の敵に厳しい。それは否定できないけれど、人の気持ちがわからない人じゃないと思う。
あたしの一番大事な家族を、同じように大切にしてくれる人。
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「ふふっ」
「なんですか、さっきから黙ったと思ったら、意味深に笑ったりして。教えてくださいよ、どこがよかったんです?」
メイベルに「なぜセラール様を好きになったんですか?」と聞かれてそのあと、どこがかな? と自分で思い出に浸っていた。
そんなあたしが突然声を出して笑ったので、メイベルは支度をしながら、眉を寄せた。
メイベルにちゃんと答えてあげなきゃな、と思うのだけれど。
「やっぱり、ううん、まだ言えない」
なんだか口にしてしまうのはもったいないような気がして、あたしはいうのをやめたのだった。