#58 愚かな返事と重なる気持ち
「ごめん、もう大丈夫だよ!」
ようやくまともに喋れるようになり、矢野はこちらに笑顔を向けた。
「……本当に大丈夫か?」
「うん!」
その最終確認にも、矢野は親指を立てて返事をする。
「じゃあ、その……本題なんだが……」
口ごもりながら話を進めようとすると、サムズアップは待ったをかける平手に変化する。
「ちょっと待って、タイムタイム!」
そう言って、胸に手を当て大きく深呼吸をする矢野。
「――すぅ……はぁー…………よし! どんとこい!」
真っ直ぐ俺を見据え、光の灯った瞳から矢野の覚悟を受け取る。
……ここで俺が立ち止まるわけにはいかないよな。
矢野の姿に、俺は改めて心に活を入れる。
「まずはその……なんて言うか……ありがとう。これまで、人から好意を告げられることなんてなかったから……嬉しくは、あった……」
「うん。そっか……」
矢野は手を前で組み、少し照れ気味な仕草を取る。
矢野から返ってくる言葉は、俺の次の発言を待つように静かで、そして暖かかった。
俺と矢野の緊張は、おそらく似通ったものだ。それにも関わらず、矢野は俺が自分のペースで話ができるように気を使ってくれている。
その優しさがチクリと胸を刺し、痛みが口早に二言目を紡がさせる。
「でも、ごめん……。あの日から考えてたけど、まだ答えが出そうにないんだ。……いや、もしかしたら答えはもう決まってて、俺が見ないふりしてるだけかもしれない。それでも、軽はずみに結論を出すべきじゃないと思ってる。――だから、時間がほしい」
「時間…………。それって、どれくらい……?」
「生徒会選挙が終わるまでだ。選挙が終わったら、俺は必ず答えを出す」
「……どうして?」
「え……?」
矢野の、その小さな問いかけの意図を、俺は拾うことができなかった。
俺の疑問符を見て、矢野はもう一度――今度ははっきりと届く形で疑問を口にする。
「どうして、選挙が終わるまでなの?」
「それは矢野を当選させる為で――」
「私が生徒会に入りたいって言ったから?」
先んじた矢野の推測に、俺は軽く頷く。
「それも……ある。これは俺の為というか……俺は俺の為に矢野を当選させたいんだ」
「どういうこと……?」
「……俺は最初、矢野が当選しなくてもいいと思ってた。矢野がこの学校になくてはならない存在だってことは、もう分かりきってることだったから。矢野麗奈という人間を、周囲がどれだけ必要としてるかは、外から見てる俺でも分かる。だから俺は、矢野の母親が連れ戻しに来たらそう言ってやるつもりでいたんだ。バシッと決めて追い出してやろうってな。……文化祭の時のナンパみたいにさ」
「じゃ、じゃあ……光君はなんで私を当選させたいの?」
「俺が答えを出したいから、かな……」
本当、情けない話だ。矢野の力になりたいからって選挙に協力してたのに、結局俺は自分の為にこの選挙を利用しようとしている。
「……詳しくは言えないんだが、矢野が当選しないと俺は矢野と話せなくなるかもしれないんだ。……負けたら、俺は答えを伝えられなくなる」
石橋の要求は一方的だったし、それに従う理由はどこにもない。でも、負けたくなかった。その闘志の源が、勘違いを正したいからなのかは分からない。だが、これだけは確実に言える。俺も矢野を必要とするこの学校の一員だ。離れろなんて、受け入れたくはない。
「今の気まずい空気のままじゃ、石橋に負けてもおかしくない。……俺は勝ちたいんだ。『当選しなくてもいい』なんて言ったけど、手伝うって決めた以上勝つつもりでいたんだ。今さら勝ち星を譲りたくはない」
「あはっ。今の光君、すごい自分勝手なこと言ってるよ?」
「……もちろん分かってる。――それでも頼む! 俺に、答えを出す時間をくれないか……?」
頭が勝手に下がったのは、矢野の目を見られなかったからだろうか。それとも、誠意を見せようと体が動いたのだろうか。……あるいは、その両方かもしれない。
「……いいよ」
頭に振ってきたのは、矢野からの了承。その声音は、どこか固い響きを伴っていた。
違和感に顔を上げると、矢野の視線と交錯する。揺れる瞳が語るのは、彼女が胸に不安を抱えているということ。しかし陰りは、瞬きのうちに姿を消してしまった。
「やっと目が合った」
「……そうだな」
「今回のことは、私が自分勝手に思いを伝えたのが始まり。だから、光君の自分勝手も許す。……それでお相子でしょ?」
「いいのか……?」
「いいって言ったじゃん。――私も負けたくないの」
たった一言。それでいながら明確な意思のこもった宣言は、俺の心を強く震わせた。
お読みいただき、ありがとうがとうございます。
面白い、続きを読みたいと思ったら、☆評価や感想などを頂けると励みになります。




