#30 自分のことは案外見えていなかったりする
「だはぁ、もう無理!」
広げたテキストに身を投げ出し、最初に音を上げたのは蓮だった。
色気のない呻きだと突っ込みたいところではあるが、俺自身相当疲弊していた。
「仕方ない。一旦休憩にしようか」
翔太の指示で、小休憩が設けられる。
正直、蓮がダウンしてくれて助かった。このままだったら俺は、明日を迎えられたか分からない。
「間宮君、どうしたの?」
左から声をかけてきたのは、不思議そうに首を傾ける小野寺。
小野寺は、下を向く時邪魔にならないよう耳に髪をかけているのだが、これが曲者だった。俺の答案を覗き込もうとすると、それなりの確率で髪が教科書に垂れてくる。はらりと音を立てるそれに、俺の心臓は跳ねていた。
そして、右利きの俺の左側に座っているということは……
「いきなり詰め込みすぎちゃったかな」
ち、近い……!
ペンを持っていない左手はほとんど動かさない為、俺と小野寺の距離はかつてないほどに密着していた。もちろん、この状況に下心を持っているわけではない。これはあくまで、必死に教えようとしてくれた結果。とはいえ、意中の相手がこんなにも近くにいて、動揺しない男はいないはずだ。
それに加えて――
「けどさ、この短時間で結構成長したんじゃない? 渚ちゃん、もしかして私達教えるの上手いかもよ!」
俺の右側を陣取る矢野の存在も、俺の心臓には堪えた。
――ここで一度、紳士諸君に尋ねたい。たとえ意中の相手でなくても、距離感の近いギャルが隣にいたら誰だって緊張するよな? ……頼むからすると言ってくれ。じゃないと、俺が好色な男みたいになってしまう。
「休憩だし、少し外歩いてくる……」
俺はそそくさとその場を離れ、外の空気を吸いに庭へ出る。
鹿威しの目が覚めるような音が響く池――そこには先客がいた。
「やぁ光、勉強の調子はどうだい?」
「ぼちぼちってところだな。正直勉強っていうよりも――」
「小野寺さんが近くて、集中できないかい?」
翔太の指摘に、俺は閉口する。
しかし、それこそが答えを表しているようなものだった。
「そんなことだろうと思ったよ。……でも嬉しいな、また光がこうして誰かを好きになる日が来るなんて」
「……どういうことだ?」
「中学で溝口さんにフラれて以来、結構塞ぎ込んでただろ? 僕達以外と積極的に交流をしようともしないし。だから嬉しかったんだよ、夏休み明け光に友達が出来たって聞いて」
相手が小野寺さんってことには驚いたけどね、と言って翔太は口の端を持ち上げる。
「それから小野寺さんと話している時の光を見てたら、昔の光が戻ってきたなって思ったんだ」
「昔の俺?」
「最初から期待していない、みたいな顔をしなくなったってことさ。僕はてっきり、新しく人と関わることを諦めたのかと思ってたからね」
「それは……」
正直、否定はできなかった。勝手に期待すること、相手に入れ込むことは愚かな行いだと考えていた。それで痛い目を見るのは自分だし、一定の距離を保っていれば過ちを犯すことはないと安心することができる。気付けば、俺にお節介を焼くような人たちもいなくなっていた。
「小野寺さんには感謝しないとだね。こんなに光に関わろうとしてくれたのなんて、小野寺さんが初めてじゃないか?」
「あぁ、そうだな」
だからこそ、俺は惹かれているのだろう。自分をもう一度奮い立たせてくれた、小野寺渚という人物に。
「これは、僕からのささやかな情報なんだけど――」
そう前置きをして、翔太は口を開いた。
「小野寺さんがよく笑うようになったのは、光のおかげだと思うよ」
「……本当か?」
翔太の目を信用していないわけじゃないが、さすがに鵜呑みにはできなかった。
「蓮が学年主任の真似した時とか、小野寺笑ってたぞ?」
「小野寺さんのツボは分からないけど、そもそも笑顔を見せること自体が珍しかったんだよ。少なくとも僕は、光と一緒にいる時以外には見たことない」
出会った当初、翔太と蓮が小野寺の笑う姿を珍しそうに見ていたことを思い出す。
「俺からすると、無表情の小野寺の方が馴染みがないな」
「だろ? 打てば響くみたいに笑う子だったら、高嶺の花だって一線を引かれたりしないはずなんだ」
翔太に乗せられているような気がしないでもない。
だが、もし――俺が小野寺の心を溶かすことができていたのなら。貰ってばかりじゃないというだけで、俺は自信がついたような気がした。
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