#96 寝る前の合言葉
今日は記念すべき(?)100話目です。
俺に迷っている時間は残されていなかった。俺(飛鳥)の誘いからすぐに、小野寺からの返信がくる。
『電話? 今空いてるから大丈夫だよ』
……これは、俺が気にしすぎなだけなのか? 文面だけでは分からないが、小野寺に変わった様子は見られない。
ほっと一息をつく俺を覗き込んで、飛鳥は笑う。
「だから言ったじゃないですか。自意識過剰ですよって」
「……そうかもしれないな」
俺は構えすぎていたようだ。考えてみれば、他の人にどう見られているかなんて、俺には知る由のないことだ。振り返ってみると、我ながら不毛な足踏みだったと思う。
「それじゃあ私は部屋に戻りますから。兄さんはここでも部屋でも、好きなところで電話を楽しんでくださいね」
「べ、別に楽しむつもりなんて……!」
俺の抗議には耳を持たず、飛鳥はひらひらと手を振ってリビングを後にした。
飛鳥はああ言っていたが、さすがにここで電話をするほど気は抜けていない。万一誰かがやってきて、話の内容を聞かれたら一大事だ。さっきの例もある、さっさと部屋に行こう。
『じゃあ、かけてもいいか?』
部屋に到着した俺は、しっかりと扉を閉めたことを確認し、小野寺にメッセージを送った。
この間も思ったが、電話が始まる前のムズムズした感じは慣れそうにない。返信を待ちながら、いつかけていいものかと思案するこの時間、どうしても浮き足立ってしまうのだ。(前は小野寺からかかってきたとはいえ、探り合っているみたいな空気は変わらずだ)
『うん、いつでもどうぞ』
……いいってことだよな。
ごくりと、固唾を飲む音が耳に届く。
返事から間を置かず、俺は意を決して通話ボタンに指を伸ばした。
「…………」
俺の胸中に反して、耳元から鳴るメロディは軽快な音色を響かせている。試験開始のチャイム待つみたいな、独特の緊張感が全身を支配していた。
やがてその旋律が鳴り止むと、仄かにノイズの混じった声が鼓膜を震わせた。
「もしもし……」
肉声とは違う、機械的な味つけのされた音質。それにも関わらず、普段聞くことのない距離感で声を聞いているからか、小野寺の存在をより近くで感じられた。
「その、悪いな……いきなり連絡して」
「う、ううん……! ちょっとびっくりしちゃったけど……」
「急に電話だなんて驚いたよな……」
「それもそうなんだけど……声、聞きたいって言うから……」
あれについての言及は避けられないと分かっていた。……でも、どうする? 実は飛鳥が送ったメッセージでなんて弁明した日には、俺の不甲斐なさが限界突破してしまう。遊びの誘いを妹にしてもらう兄が、この世界のどこにいるっていうんだ。(ここにいるというツッコミはしないでくれ)
「まぁ、ちょっとな……話したいこともあったし」
こうして話始めて、声を聞きたいというのも少し……というか結構あると気付いた。
だから否定もせず、言外に肯定させてもらうことにした。
「そうなんだ……私の声、聞きたかったんだ……」
……ちょっと小野寺さん? 気が緩みすぎじゃないですか? いくら目の前に相手がいないからって、そんな嬉しそうな声出しちゃダメでしょ! っていうか、通話中は耳とスピーカーが近い分、声が聞こえやすいから、なおさら気をつけないといけないのに……。
俺が言えた話ではないが、小野寺は電話の経験が浅いのだろう。ここは一つ、聞こえなかったフリをするとしよう。
「えへへ……」
止まれ! 止まるんだ小野寺! そうじゃないと後々恥ずかしさで大変なことに……! それどころか、俺も小野寺の可愛さで胸が張り裂けてしまう……。
――ここは心を鬼にして、小野寺に真実を伝えるしかないようだ。
「な、なんか可愛い笑い声が聞こえるな……」
「へ? ……――あ、ぁ……そ、それで! 話したいことって、な、何?」
話逸らすの下手くそすぎないか? ……まぁいい、これで最小限の被害で抑えられた。あとは俺が何食わぬ顔で話を続ければいいだけだ。
「今度二人で出かけようって話しただろ? その誘いをしたかったといいますか……」
「そ、そうなんだ! 私、楽しみ……!」
音声の加工も相まって、小野寺の片言がロボットっぽさを増す。
「……ははっ」
「な、なんで笑うの……!」
「悪い。今の小野寺、ロボットみたいだったから……」
「ロボットってどういう――あ……。ふふっ、そうかも。電話してる時の声っていつもと違うから……」
「喋り方もロボットそっくりだったぞ」
「もう、あんまりからかわないで!」
始まる前の緊張はどこかへ飛んでいき、いつもの調子で、肩の力を抜いて話せていた。
これでようやく、本題に入ることができる。
「それで行き先なんだが、水族館とかどうだ?」
今日の為に、事前に誘う場所は考えていた。最終的に動物園と水族館の二択になり、冬間近の外を歩かせるわけにはいかないという判断の結果、水族館が選ばれた。
高校生らしからぬ背伸びした場所も候補には挙がっていたが、身の丈に合わないことをして失敗したくはなかった。
「わ……楽しそう……」
こうして喜んでいるのを感じて、頭を悩ませた時間は無駄じゃなかったと満たされる。
「今週だとちょっと急だから……来週の土曜とか空いてるか?」
「私は大丈夫だよ」
「じゃあ来週の土曜、水族館に行こう」
「うん、楽しみにしてるね」
話がまとまり、この通話も終わりに差しかかっていた。
「今日はありがとな……電話出てくれて嬉しかった」
「ありがとうなんて……私も楽しかったから」
「また明日……」
「うん、また明日……おやすみ」
そして、通話が切れる。
最初は緊張だらけだった電話も、終わってみると名残り惜しさが押し寄せてきていた。
「おやすみ、か……」
小野寺が最後に口にしたその言葉を、自分も告げれば良かったと後悔する。
これまで『またね』と別れたことはあったが、『おやすみ』というのは一線を画す高揚感があった。これから寝るというのに、こんな胸を昂らせていても仕方ないと分かっている。それでも、今夜は中々寝つけないだろうと頭で理解してしまった。
お読みいただき、ありがとうがとうございます。
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