第二十章 身を知る雨(3)
「……黒田殿、ですね。大谷殿とのお約束通り、瑠璃を連れ戻しました。瑠璃をお頼みします」
銃太郎は言って一礼すると、こちらには目もくれずに踵を返した。
「は?! 銃太郎殿、まだ話は終わって──」
あれだけしっかりと捕まえていた手は、とうに放されていた。
いや、正確には瑠璃自ら振り払ったのだが。
声は届いているはずだが、銃太郎は足早に門を出て行ってしまった。
咄嗟に追いかけようと一歩踏み出し、同時に瑠璃の喉元がぐっと絞まった。
「ぐえッ」
「はいはい駄目ですよ。また脱走されたら鳴海様死んじゃうので」
傳太が瑠璃の襟刳りを襦袢ごとむんずと捕まえ、割と力任せに引き摺る。
喉が絞まったのはそのせいで、袵が引き上げられたためだった。
「で、傅太……どの、ぐるじいのじゃが」
「はいはい、気のせい気のせい」
気のせいなわけがあるか。
主家の姫君を淡々と雑に扱うこの男、なかなかの大物である。
手加減なしに引き摺る傳太に抵抗したその時、瑠璃の鼻先にぽつりと雨粒が弾いた。
間もなく空は細かな霧雨を齎し、辺りを白く霞ませていく。
「はー、この上雨ですか。めんどくさい……」
「傳太殿、雨じゃ。大変じゃ。あのままでは銃太郎殿が濡れてしまう!」
「はいはい、我々も濡れてます」
「かっ傘を届けてやらねば──!」
「はーい大丈夫大丈夫。その辺の蕗でも差して帰るでしょ」
しっとりと、きめ細かい絹糸のような雨の中、瑠璃は抵抗虚しく城内へと連れ戻されたのであった。
***
「ないないないない!! そなたはアホなのか!?」
大目付・黒田傳太に引き摺られていった先は、城屋敷の番頭詰所であった。
取次役の姿もなく、或いは鳴海が人払いしたらしい。
そこでこってりお小言を食らったあとに、とんでもない話を鳴海の口から聞かされたのである。
「五郎殿に射撃をさせようなんぞ、よう思いついたものじゃ。逆に感心なアホじゃな」
一人試合に捩じ込むつもりだと、そこまでは良かった。
が、言うに事欠いて、この城の若君、即ち五郎を出そうというのである。
「アホとはあまりな仰り様ではございませんか!?」
「いや、そなたは元々五郎殿に添えと申しておったが、よもやそんな手口で来ようとは……」
「若君がお出になれば、他の者は遠慮を示すはず! さすがの丹波もまさか若君がお出になるとは思うまい!! そうなれば瑠璃様もご降嫁なさることなく、すべては丸く収まるという筋書きですぞ!」
「いやいやいやいや、五郎殿も良い迷惑じゃろ……」
のう、と傍らに控える傳太へ同意を求めると、傳太は表情を変えぬまま、すっと目を逸らしてしまう。
話に混ざりたくないらしい。
実際、家中の多くにとっては割とどうでも良いことなのかもしれない。
家中の殆どにとっては、結果誰が勝ち抜こうと然程変わらない。
それよりも、調練のほうが余程大事なのである。
「……私もちょうど、一人捩じ込んでくれと談判しようと考えていた」
「なんと、瑠璃様直々の御推薦か!? それは、どこの何某で──」
「栄治じゃ」
言葉短に返すと、鳴海は腑に落ちないような顔で瑠璃を凝視した。
ついでに傳太の反応も、ほぼ右に同じである。
「は? え? お、御気は確かか、瑠璃様」
「え、なんで? 山岡家に嫁ぐんですか、あんた」
入室以来やっと口を開いたかと思えば、傳太はさらりとあんた呼ばわりで突っ込む。
無礼千番だが、首根っこを引き摺られてきたのを思えば、この男ならまあ仕方ないかとも思う。
「嫁ぎはせぬ。栄治も私を貰うのは嫌じゃと言っていた」
「ハァン!? 瑠璃様を貰いたくない!? よもやそんな男が家中にいるなど、けしからん……!!」
「鳴海はそなた、だいぶめんどくさい奴じゃな……」
栄治が当主となっているものの、山岡家は今も恤救身分を解かれていない。
二人もそれを承知だからこそ、この反応なのだろう。
「それと、銃太郎殿も出る気があるような口振りだったけど、それは断──」
「銃太郎!? そんなもん、もっとけしかりませんぞ!!!」
「そなたはなんでそんなに銃太郎殿に手厳しいのじゃ……」
そんなもん、というのもなかなかにひどい。
「どうあれ、五郎殿は却下じゃ。銃の心得もないのに、急に試合なんぞに出せるわけがなかろ」
それに、と言いかけて、瑠璃は口を噤んだ。
声を掛けたら、五郎もその気になって承諾するのではないかと、何となく嫌な予感がした。




