第十章 心恋(3)
瑠璃は銃太郎の正面に立ち止まると、にこりと笑った。
「今日はよう来てくれたのー! 銃太郎殿のために茶を点てたぞ!」
「わ、私の、ために……?」
「若先生にはいつも迷惑を掛けておるからの。お詫びと、それから感謝の心を込めて点てた」
どうぞと傍らに茶碗を置き、瑠璃自身も銃太郎のすぐ隣に掛ける。
「大谷殿ではなく、私のために……」
誰より優先して振舞ってくれたことが嬉しく、それだけで胸中に春の陽のような温もりが広がる。
直人と瑠璃に挟まれる格好となり、何となく頬が熱くなるのを感じつつ、傍らの茶碗を手に取る。点てたばかりの沫が立つ抹茶の深い色をじっと見詰め、目を細めた。
逆隣から刺さる、冷やかすような直人の視線は気にならなかった。
「? どうした、茶は好まなかったかの?」
「……いえ、ただ嬉しくて」
「それなら良いが、もし苦手なら無理はしなくてよいぞ?」
飲み干してしまうのが勿体無いような気がしたが、碗に口を付けて傾ける。
微かな苦味と微睡むような舌触りを残して、するりと喉へ滑り込んでいく。
それは、突然現れていつの間にか心の内に入り込んでいた瑠璃本人にとても良く似ていた。
「どうじゃどうじゃ? うまいか?? あっ、いや、お服加減は如何かの??」
茶を飲むところを間近からじっと見ていた瑠璃は、途端にそわそわと感想をねだり始める。
普段の物言いで尋ねたものの、後から作法を思い出したのだろう。慌てて尋ね直すあたりは、いつもの瑠璃だ。
それが微笑ましくて、銃太郎も思わず含み笑ってしまう。
「大変結構でございましたよ、姫君」
「そうか! 良かった!」
にんまり歯を見せて笑う顔があまりに無邪気で、銃太郎はつい他の門弟たちと同様にその頭をぽんと撫でた。
瞬間、内心でしまったと慌てたが、当の瑠璃は嬉しそうににまにま微笑むばかりである。
焦ったり、戸惑ったりする様子はなく、これはこれで複雑な心境だった。
師として信頼されている証左であり、他意が挟まる余地もなく完全に師としてしか見られていないことが伺い知れる。
「──瑠璃」
気付けば、その名を呼んでいた。
「その、……瑠璃、と呼んで良いだろうか」
不思議なほど、するりと声に乗っていた。
「うん? 良いも何も、最初からそうせよと申し置いたはずだけど?」
「指南中に限らず、普段からそう呼んでも──」
「勿論そうしてくれ。寧ろ普段から呼び捨てて貰わねば、そなたの場合は指南中にも支障が出そうじゃ」
分かりやすく呆れ顔をされたが、瑠璃はすぐに笑顔に戻り、銃太郎もほっと安堵の笑みが溢れた。
「あのぅ、そろそろ割り込んでもいい? ねえ?」
「あ、直人殿すまん! 次は直人殿にも茶を点てて──」
「いやそうじゃなくて! 二人とも気付いてないのが解せないくらい鳴海様の視線が怖いの!! その春めいた雰囲気醸し出すのやめて!? 特に銃太郎……!」
「は、春だなんてそんなことは……!」
「ああ、鳴海はいつものことじゃ、気にせずともじきに慣れるぞ?」
直人の訴えに導かれるまま鳴海のほうを見遣ると、今にも食い殺しそうな形相でこちらへ身を乗り出そうとしていた。
傳太と澪に必死に抑え込まれているが、既に傳太は諦めかけている様子である。
「瑠璃様ァァァア!! 一刻もお早く!! そやつから離れてぇぇえ!! 危のうござるからぁぁあ!!」
あろうことか差料に手を掛けての、耳を劈く大音声。
「姫様はお茶を振る舞ってるだけです、すぐにこちらへお戻りになりますよ」
「はーい、どうどう──。もうおかわりしませんから落ち着いて下さいねー」
一人で五人分くらいの騒々しさを提供する鳴海と遠目に視線が絡み、銃太郎は背筋にぞわりと寒気が走る。
と同時に、抑え役を振り切って鳴海は桜を背に肩を怒らせながらこちらへ歩み出した。
錯覚だとは思うが、怒気で景色が揺らいで見える。
「銃太郎、貴様……うちの瑠璃様を誑かそうとは良い度胸だ!!」
「たっ誑かしてなどおりません!! 言い掛かりはおやめ下さい!」
「ハァン!? 瑠璃様の頭ぽんぽんしただろうが貴様ァ!? そこへ直れぃっ! この私自ら成敗してくれるわ!」
興奮冷めやらず怒号を飛ばす鳴海に、遊び回っていた門弟たちもしんと静まり返って成り行きを見守っている。
が、篤次郎がつかつかと前に進み出るのが見えた。
「若先生! 俺、若先生に加勢します! 殺りますか!?」
「!? 駄目だ駄目だ! やめろ、なんだお前!? いつからそんな物騒な子になった!?」
ぎょっとして制すると、次いで瑠璃が銃太郎を庇うように前に立ちはだかる──と言っても身丈は全く足らず、相対する二人の目線には頭の先すら掠りもしない。
「鳴海はちと過保護が過ぎるぞ。そなたに次いで、銃太郎殿もまた我が師である。相応の敬意を払ってもらわねば困るぞ」
瑠璃が腰に手を当て仁王立ちで申し渡すと、鳴海はその場に留まり、ぐっと呻く。
身丈は足りぬが、威力は充分のようだ。




