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ふたりぼっちは何も見えない  作者: 怠惰なペンギン
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運命.3

四ヶ月ほどブランクがありまして、やっと頑張ってみようと思いました。

 私の一番最初の記憶は、5歳くらいの時です。恐らく私がもう少し幼い頃はもっと他にも覚えていたと思いますが、この記憶が一番強いのでしょうか、この記憶だけが、写真に写したようにくっきりと残っているのです。


 それは父と母が私に話しかけている様子でした。二人が何を言っていたのかあまり覚えていませんが、私は二人の言葉をじっと聞いているだけでした。


 父は私の肩をしっかり持って必死に何かを言っていました。そのあとは優しく抱きしめられました。

 母は涙目になりながら私を抱きしめて何かを囁いていました。私は意味もわからずに唯泣いてしまいました。


 でも二人は最後にこう言って居なくなったのです。これだけは覚えています。これしか、と言うべきかもしれませんが、この言葉だけが今も私の一番深いところに刺さっています。

   


 ”愛してる”



 親と過ごした記憶はあまりないですが、"愛"と言うものはこの記憶のお陰で知ることができました。

 


 私は、父の遠い親戚の夫婦の家に育てられました。

 遠い親戚の夫婦(私はおじさん、おばさんと彼らを呼んでいますが)は父と面識はあるものの殆ど顔合わせ程度でした。施設に預けようという話になったらしいのですが、施設出身のおじさんがそれを猛反対して私を受け入れてくれたようです。


 二人には私と同年代の5歳の息子と一つ上の兄がいました。同じくらいの歳ということで私も安心しました。ですが、その安心は一瞬で砕け散りました。


 

 この家族は私が来るまでは、極々平凡で幸せな家族でした。私が来たことで幸せの均衡が崩れてしまったのです。

 私と同年代の息子、名前はあつしと言いますが、敦はいつも「あっくん」という愛称で家族の中で一番愛されていました。


 あっくんは、初めての家に慣れない私を世話をしてくれていたおじさん方を見て、自分の親の愛情が出会ったばかりの私へ流れて行ったと思ったのでしょう。それから私はあっくんからよくイタズラをされるようになりました。

 二つ上の兄、名前はあゆむと言いますが、これもまた勘違いで、可愛い弟が新参者の私に取られたと思ったのでしょう。歩兄さんはあっくんに入れ知恵をして、私へのイタズラを弱いものいじめへと変化させていきました。二人きりの時は、私の容姿のことや親のことを小学校で知ったばかりの言葉を使って侮辱してきました。


 私も最初は抵抗をしました。ですが、喧嘩になるといつも負けますし、唯一優しくしてくれていたおじさん達に負担をかけて失望させれば、捨てられてしまうと思ったのでしょう。私は黙って我慢していました。


 親が死んだのは何となく予想がついていました。親族もいない私は遠い親戚達に囲まれて、口々に同情の念を浴びせられ、私はいつも部屋にある両親の写真を見て泣いていました。

 私の最後の希望はこの家族だったのでしょう。仕方なく受け入れられようとも、この家族から"愛"を貰うしかないと思ったんです。


 私は頑張りました。おじさんにも、おばさんにも、歩兄さんにも、あっくんにも、みんなに愛されるように頑張りました。おじさんおばさんのために毎日お風呂掃除に食器洗い、言われたことは何でもやって、ゴミ出しだってしました。毎週家の廊下の掃除もしました。歩兄さんとあっくんにも愛されるように頑張りました。小学生になったらあっくんの宿題を代わりにやってあげたり、もらったお小遣いをあっくんに譲ってあげたり、嫌いな食べ物を食べてあげたり、ランドセル持ってあげたり、何でもしました。歩兄さんの宿題は難しくて漢字ドリルしか出来なかったけど、歩兄さんは私にあれこれ指示を出してはこき使うことが多かったので、私は唯々歩兄さんの言いなりになってました。


 私はこれで、みんなに愛されると思っていました。ですが、現実はそう甘くありませんでした。私がおじさん達の手伝いをして褒められることが癪に触ったのでしょう。あっくんの弱いものいじめが更に激しくなってしまったのです。おじさん達も気づいていて、あっくんをよく宥めてくれていたのですが、それでもあっくんは私への嫌がらせをやめませんでした。

 とうとうおじさん達も困りました。そこで歩兄さんが「私をあっくんより甘やかしているからだ」と言いました。おじさん達も納得したみたいで、今度は私に構わず、あっくんに沢山構ってあげることにしました。私はおじさん達には褒められなくなりましたが、あっくんの嫌がらせが止んだのでホッとしました。

 ですが、歩兄さんがあっくんにまた入れ知恵したのです。私の全体的に白い容姿を病気だ呪いだなどと言って、あっくんに私に近づくなと警告しました。小学生男子がこの手の話に乗らないはずがありません。あっくんはあっという間にそれを友達に言いふらしました。あっくんは人気者でしたし、私は変わっていたので、彼らは私との接し方も掴めず、あっくんのことを信じて疑いませんでした。


 私はまだ諦めませんでした。私が耐えれば、耐えさえすればみんな心を開いてくれるだろうって、信じて、信じて、信じて、信じて。信じました。

 そこからが地獄の始まりだなんて、思いもしませんでした。まず始まったのはバイ菌のなすり付け合いです。それくらいは序章の序章、皆んなが私のことをバイ菌扱いしてそれを他の人へ擦り付けるだけの行為ですから、直接的な害はありませんでした。私はあっくんや歩兄さんの命令を聞いているとき意外は大抵本を読んでいましたから。


 それから汚い私を排除しようと思ったのでしょう。思い立ったが吉日、皆んなは私の私物を捨てたり、池に投げたりしました。おじさん達は黙っていませんでした。すぐに問題になったのですが、先生方は誰も対処しませんでした。同級生で私の味方が一人も居なかったのが原因でしょう。それに向こう側からのクレームを恐れたようです。


 いじめに加担していた。というより、いじめの主犯であったあっくんと歩兄さんが、今度はおじさん達にバレないように私をいじめてくるようになりました。私の私物を壊したり、目立つような傷をつけたりしないように細心の注意をしながら。


 私へのいじめは数えきれないほどありましたが、よくあったのがトイレに閉じ込められて水や尿をかけられたり、給食のご飯が米粒一個だったり、目立つ場所以外なら色々なところを殴られたりしました。いくら痛いと言っても聞いてくれず、泣いても誰も助けにきてくれませんでした。


 皆んな私がいるのがとても疎ましかったのでしょう。人気者のあっくんと同じ家に住んでいるだけで、他の女の子には嫌われました。いつもあっくんに付き纏っていた私は男子から見たらさぞ邪魔だったでしょう。恐らく学校全員が私に消えてほしいと願ったに違いありません。


 それでも信じました。信じて信じて信じて信じて信じました。

 トイレに閉じ込められて泣きそうになった時は水をかけてもられえるのを待ってました。あっくんに涙を見られると心配させてしまうからです。

 ご飯がもらえなくてお腹が空いても、プールの授業に服がなくなっていても、自分の机がなかった時も、暑い日に水筒のお茶を飲ませてもらえなくても、トイレに行かせてもらえなくても、泣くのを我慢して、泣いていたのは殴られていた時だけでした。

 髪を引っ張られてお腹や背中を殴られたり、蹴られたり、叩かれたりして、本当に痛くて、痛くて、我慢の限界になった時だけです。泣いたのは。

 何十分もくすぐられたときは本当に死ぬかと思いました。それでも、息切れしながら、歩兄さんが通ったら何事もなかったかのように笑って、そしてもちろん、おじさん達には決して悟られないように取り繕っていました。

 耐えて耐えて耐えて耐えた後に、"愛"があると思っていたんです。

 私が小学生5年生の時にその盲信は消えてなくなりました。いつまで経っても"愛"を享受できなかったのに、よく見たら私以外の全員が"愛"を当然の如く享受していたからです。

 

 5年も気がつかなかった私は本当に愚かでした。私は彼らとは違うのだと、本当の意味で理解しました。

 それからあっくんや歩兄さんに媚び諂うのも言いなりになるのもやめました。二人にはおじさん達にバラすと言い上半身裸になって打撲跡や内出血の痕を見せました。今まで私のお陰で成り立っていた私へのいじめはそれ以降終わりました。


 5年も痛めつけられて、苦しめられて、それでも生きていられたのは皮肉にも二人の兄弟の存在があったからだと思い、二人の親には伝えないでおくことにしました。代わりに、一切の私への干渉はしないという約束をしました。二人はそれを今も守ってくれてます。

 


 それから私は一人でした。あっくんとも歩兄さんともそれにおじさんともおばさんとも、私は関わらないようにしました。彼らには何もないって思ったからです。

 中学生になっても私の環境が変わることはありませんでした。小学校からの繰り上がりでしたから。


 ずっと本を読んでいました。本を読んでいたら周りの目なんかどこかへ消え去って、あるのは理想を型どった夢だけだったんです。私はずっと夢を見ながら生きてきたんです。


 でも、私は、お父さんとお母さんの、あの、"愛"を知ってしまっていて、独りで生きるなんてとても辛くて、寂しくて、また人に笑いかけたら今度は愛してもらえると思ってしまって、ですが、あんな苦しくて痛い思いなんてしたくないと思ったんです。そんな気持ちが、ぐるぐるぐるぐる回って、八方塞がりで、袋小路で、私は、もう、このぐるぐるする悩みも苦しくなって、生きることが苦しくなって、死ぬとどれほど楽なんだろうって考えるようになって、それで、私は――。

 


 



 

 

読んでいただきありがとうございました。

今回とっても長いですねー。熱が入りすぎちゃいました。

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