第5話「報連相を忘れずに」
大変遅くなってしまい申し訳ありません。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
2025年6月2日
書き直しました。よろしくお願いします。
『蓬初慕についたら連絡をください。それから何かあれば私や焔第一神官、颪第一神官、誰にでも良いので報告・連絡・相談、ですからね? 忘れないでください。約束ですよ。もしも忘れたら、分かっていますね?』
そう言われたのが、任務に行く直前だった。
それを思い出したのがつい先程。何かはあったがそれを誰にも報連相していない現実。
無慚と篝の身体を大量の冷や汗が流れていく。
「これは、マズいね」
「ああ、とてもマズいぞ」
((怒られる!))
冷や汗を流す彼らの脳内には、美しい笑顔で周りを威圧する識がいた。
無慚も篝も識に怒られたことはない。しかし、生物としての本能が識を怒らせてはいけない人と枠付けている。怒らせれば何をされるか篝は見ていたこともありよく知っているため、殊更怒られるのが恐ろしかった。篝は天狗時代などなかったが、それでも恐ろしいものは恐ろしいのである。
ふと無慚が閃いた。それは誰もが思い浮かぶものではあるが、無慚にとって青天の霹靂だった。それは、
「り、理由を話せば分かってくれるかも……?」
言い訳である。言い訳は、文字面はあまり良い印象を受けないが連絡の際は大事な要素の一つである。経緯を話すというのは、なぜその情報を得るに至ったか、またはなぜそういった出来事となったかを相手に深く理解してもらうためには必要なことだ。しかしこの方法はあまりにも脆い作戦だ。
「何があっても冷静に物事を判断しなくてはいけませんよとも俺たちは言われたぞ」
「あ゙っ」
先手を打たれていれば何の意味もないからである。
「あの時の俺達は果たして冷静だったか?」
「あ゙あ゙あ゙あ゙」
「走って蓬初慕まで行こうとしている時点で冷静じゃないよな」
「ア゙ーーーーーーーーーーー!!!!!」
詰みである。
「じゃ、じゃあ僕達はお叱りを受けるしかないの?!」
「その通りだ」
「そんなー!」
先程までの雰囲気は一転、重く苦しい空気が部屋に充満した。
「僕らは明日の朝日を拝めるのかな……」
「さあな、ただ確実なのは今俺達の命を握っているのは識様だってことだ……」
「この世で一番握らせちゃいけない人に生殺与奪の権握られてんだね僕らは」
「その通りだ」
「…………正直に話そうか。そしてちゃんとお叱りを受けよう」
「それが一番軽症だな」
大きなため息を吐いた無慚と篝は、重い腰を上げ部屋を出て行った。向かう先は連絡室。連絡室には天界の神殿と通信ができる黒電話が置いてあり、それで連絡を取り合うことができる。
連絡室は1階にあるためもと来た道を戻りながら、徐々に近づいてくる連絡室に無慚と篝は顔を顰め歩みを遅くする。
「はい、ついちゃったね」
「ああ、ついちゃったよ」
「「俺達/僕達の死場所に!」」
そうして着いた連絡室。黒電話が並ぶその部屋は、普段であれば気軽に訪れることができる場所だ。しかし無慚と篝にとってそこは死地と同義だ。
連絡室が近くなるにつれ険しくなる顔、縦に揺れる身体。連絡室に着いた時には険しい顔をした神2柱が、フロアが湧いたような揺れ方で連絡室前にいるという誰がどう見ても違和感しかない、何なら近づきたくない景色が出来上がっていた。
「無慚!」
「はい!」
「今ここで誓ってくれ!」
「何を!」
「散る時は一緒だと!」
「勿論だよ親友!」
「逝くぞ!」
「おー!」
連絡一つ入れるだけに命を掛ける馬鹿共に、通信所の職員が声をかけた。
「識様からお電話が入りました。右端の列、後ろから3番目の黒電話です」
ぬるりと連絡室から現れた職員に無慚と篝は叫んだ勢いのまま驚いた。
「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああありがとうございまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!」」
その声はあまりにも大きかった。無慚も篝もよく通る声をしている。そのため大声を出すと普通の人が叫ぶよりも倍の声が響く。
目の前で叫ばれた職員はとても正直な神物なため、正直に言った。
「なにコイツらうるさ」
「思っていたとしてもそういうの言わない方がいいと思います!」
文句を言われた無慚は、少し傷つきながら言い返した。すると、職員はわかりやすく舌打ちをして話し始めた。
「いやうるさい奴にうるさいって言って何が悪いんだよ。そもそも邪害神のお前がいるだけで何か悪いことが起きるかもってこちとら不安で今日寝れるかもわかんねーんだぞ。八つ当たりくらいさせろや当事者がよぉ」
「ゔっ」
「さっさと消えろや。それか最近噂の羅刹にでも殺されちまえ。お前なんか生まれてこなきゃよかったんだ」
「ゔっ」
言いたいことが言い終わったのか、吐き捨てるように告げた職員はさっさと帰っていった。
職員の言葉は、正論はたった一言で終わりそのあとは怒涛の無慚に対する文句であった。はっきりと悪口を言われた無慚は、あまりの酷い悪口に呆然としている篝に泣きながらしがみついた。
「かがりぃ」
「あの職員、俺の方見ずに無慚だけ責めやがった。なんて奴だ。責めるなら俺もやれよ」
しがみつく無慚の頭を撫でながら、青筋を浮かべる篝。その姿は完全に、弟がいじめられているのを見て怒る兄だった。
「アイツちょっと絞めてくる」
そう言って職員が向かった方へ歩き出そうとする篝を無慚が引き止めた。
「しなくていいよ。そんなことより、識様からの電話に応えないと」
「俺にとってはそんなことじゃないんだが、まあそっちも大事だしな」
悪口を言われたことをそんなことで片付けてしまう無慚に少し思うところはあるものの、識からの電話も大事なことであるため篝はひとまずそちらに意識を向けることにした。
職員の言っていた黒電話まで行くと、受話器が外されたままの状態にされていた。
ジャンケンでどちらが受話器を取るかを決め、負けた無慚が恐る恐る受話器をとった。そして、
「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!(小声)」
小声で謝った。無慚は注意されたことはしっかり受け止める良い子だった。
「おやおや、元気そうでよかったです」
電話先の識の声は、存外恐ろしいものではなかった。
◇◇◇
無慚と篝が蓬初慕に着いた日の昼。
焔はひとり、炎神殿の自身の仕事部屋にいた。
『行って参ります』
『お見送りありがとう! 行ってきまーす!』
そう言って任務に行った無慚と篝と連絡が取れなくなってひと月が経った。
昨日受け取った書類を見つめる。次の炎神殿神官会議で使う資料だが、いくら読んでも一向に情報が頭に入ってこない。
「はぁ」
何度目かのため息が出た。机の上には積み重なった書類がある。期限はまだまだ先だが、早めに提出してしまいたい物であり、3日前に着手したのだがまだ一つも終わっていない。
ここひと月はずっとそうだ。いつもなら早く終わらせられる仕事が、2日3日経てど終わらない。早く終わらせられても不備ばかり。上司や同僚にも心配された。眠りも浅くなっており、識ほどではないが隈もできている。
「はぁ」
また、ため息が出た。
「2人とも、どこへ行ったんだい……」
徐に目を閉じれば、元気に手を振って大広場へと向かった2柱の姿が瞼の裏に浮かび上がった。
所変わって風神殿・颪の仕事部屋。現在その部屋には、部屋の主人である颪の他にもう1柱いた。
首に薄緑のチョーカーをつけているその男神は、颪直属の配下の凪だ。凪は颪より一回りどころか四回りほど小さな体を震わせ、深緑がかった長い黒髪を揺らし、翡翠の瞳に水を張りながら心配そうに颪へ向けている。颪を桜のような美しさを持つ顔立ちと称すなら、凪は女子と見紛う梅のように愛らしい顔だと言えるだろう。しかしその顔は不安気で、今にも泣き出しそうだ。
「………………」
「お、おろしさまぁ、やすんでくださいぃ」
顔色が悪いまま書類を睨む颪に凪が震えた声で言った。耐えていた涙が流れ出し、真珠となって床に落ちた。
凪が泣いていることに気づいた颪は、眉間に寄せていた眉をすっかり元の位置になおして凪の方へ駆け寄った。
「すまない、凪。心配かけさせたな。休む、休むからもう泣かないでくれ」
「ゔあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
「すまない、本当にすまない」
どれだけ心配をかけさせたのだろうか。凪の止まることのない涙を拭うことも出来ず、颪はただ謝り続けた。
颪はこのひと月の間、仕事と日々の生活に支障をきたしている。眠りは浅く、仕事も上手くいっていない。
無慚と篝と連絡が取れなくなってひと月が経った今日。便りがないのは良い便りとはよく言うが、任務地に着いたかどうかも知らせてもらえないのは精神的にくるものがある。
識さえも何も聞いていないと言う。無慚のことを考えると万が一の可能性もあるわけで、識の神器で探ろうにも先日の軍を恐喝したことで、天主から識はふた月の神器使用禁止が言い渡されている。そのため文神殿が全力で捜査中のようだが、未だに見つかったと言う話は聞いていない。
それだけでも心配が募ると言うのに、通信所以外で唯一の連絡を取れる手段である八咫烏が、任務について行っていない、もしくは道中で逸れた可能性があるという話も出てきた。心配で仕事に支障が出るのも、眠りが浅くなるのも仕方のないことだ。
しかしそれは凪も同じだ。凪は篝と友人で、歳は大きく離れているものの、歳の差など感じないほどに仲がいい。凪は人見知りなところがある。凪が天界に来てから100年経ったが、未だ篝以外の友人はおらず、同じ風神殿で働く配下達の輪には入っていけてない。
唯一の友がひと月も音信不通なのは心配だろう。
そうであるにも関わらず、上司の体調も心配してくれる優しい部下を持てたことを颪は喜んだ。
泣き続ける凪に目線を合わせ、颪は優しく話しかけた。
「凪、すまない。お前も篝が心配だろうに、気にかけてやれなかった」
凪は首を横に振った。涙の真珠が床に落ちる。
「そ、そんなこと気にする必要ありません。それに心配なのは颪様も一緒です。500年ぶりに再会できた無慚様が、音信不通となって、心配されるのは、あ、当たり前です! でも、僕は颪様も心配で! 顔色が悪くなっていく颪様を充分に支えることも出来なくて、ごめんなさいぃ」
泣いて謝る凪の頭を撫でながら、颪は微笑んだ。
「お前が謝ることなんて一つもない。俺のために頑張ってくれていたことを知っている。泣く必要なんてないんだ。ありがとう凪、俺は優しい部下を持てて幸せ者だな」
そう言って笑う颪に、凪は母親のような暖かさを感じた。現実の親は颪のような良い人間ではなかったが、もしあの人達がまともな親であれば自分は颪に出会うことはなかったのだと、場違いながら思っていた。
「凪、焔のところに行こう」
唐突に颪が提案してきた。
「焔様のとこですか……?」
「ああ、あいつもきっと2人と連絡が取れなくて心配しているだろう。体調を崩しているかもしれないし、見にいってやろう。倒れていたら看病すれば良いし、平気そうだったらお茶会でも開くか」
「わ、わかりました! すぐに準備します! あ、その前に掃除しないと、真珠がこんなに……」
泣き止んだ凪はセカセカと掃除をし始めた。
「焦って転ぶなよ」
「はい!」
掃除をし終わると、颪と凪は炎神殿へと向かった。道中で菓子を買い、お茶会の準備はバッチリだ。
炎神殿に着けば顔見知りの神官達に会った。神官達は、焔が日に日に憔悴していっていることを颪と凪に伝えた。颪の歩みは速くなり、焔の仕事部屋に着く頃にはほぼ走っているようなものだった。
「焔!」
音が鳴るほどに勢いをつけて扉を開くと、机に顔をうつ伏せたまま動かない焔の姿があった。
「おい、焔! 大丈夫か?!」
体を揺すると、僅かに聞こえてきたのは寝息だった。
颪は安堵の息を吐いた。颪の走りについていけなかった凪が遅れて部屋に着く。必死に走ってきたのだろう、若干息が上がっている。
「焔様がどうかされましたか?!」
「寝てるだけだ。問題は、ないとは言い切れんがそこまでではないだろう。隣に寝室がある。運ぶからベットを整えてきてくれ」
「わかりました!」
凪がベットを整える間に焔の仕事着を脱がせてしまおうと考えた颪は、ソファに焔を寝かせると寝室から寝巻きを持ってくると手際よく服を脱がしていった。
脱がしている最中、焔が寝言を言い始めた。
「おろしぃ、それ危ないからやめなぁ。足とれちゃうよぉ、私のが」
「夢の中の俺は何をしてんだ」
「なぎ、なかないでぇ。ジャンボパフェもジャンボ焼きそばもまた買ってあげるからぁ。今度は落とさないようにねぇ」
「まず凪はそんな食えないだろ」
焔の寝言にツッコミを入れながら作業を進めていく。さぁ後は上を着せるだけとなった時、焔が小さな声で呟くように言った。
「無慚、篝、何処だい。何処にいったんだい。会いたいよ。お腹は減ってない? 怪我はしてない?」
焔は手を彷徨わせながら行方不明の無慚と篝を探す。
もちろんここにはいないため、いくら手を彷徨わせても意味はない。
颪は焔の手を握ると、自分の額に押し付けた。
「そうだよなぁ。心配だよなぁ。俺も心配だよ」
空のてっぺんから差し込む日差しが、焔と颪を包み込んだ。
それから数刻後、焔は夕日が差し込むベットの上で目を覚ました。
寝所に行った記憶も、寝巻きに着替えた記憶もない。だが焔は確かに寝巻きの姿でベットの上で寝ていた。
混乱する焔に声がかけられる。
「焔様、お目覚めになったんですね!」
「凪?!」
声をかけてきたのは本来炎神殿にいるはずのない凪はだった。
焔は周りを見渡した。凪の保護者兼上司の颪が見当たらない。体が小さく歳の割に幼いところがある凪を、任務以外で颪がひとりにした事はない。任務に行かせる時も御守りを持たせて遠隔で守るほどだ。
「凪、ひとりで来たのかい? 颪は?」
「颪様は先程識様に呼ばれて文神殿へ向かいました。それまでは一緒にいました。僕達、焔様の様子を見に来たんです」
「そうなんだ。じゃあベットに運んでくれたのも2人かな? ありがとう。でも珍しいね、識様に呼ばれたからとはいえ颪が凪をひとりにするなんて」
焔がそう言うと、凪は苦笑いを浮かべた。
「颪様、とても悩んでおられました。僕がひとりでも大丈夫だと言っても悩まれていたので……結局、御守りを渡されました」
「識様からの呼び出しを断る事はできない、けど凪をひとりにしたくない、苦渋の決断ってことだね……」
「僕もう100歳越えなんですけどね」
歳はあまり関係ないのだが、それを言うと凪が落ち込みそうなため焔は口を噤んだ。
「あ、焔様。体調はどうですか? 颪様がベットに運んだ時、随分と顔色が悪そうに見えたのですが」
「ああ、ここ最近寝不足だったんだ。充分寝たし、もう大丈夫だよ」
寝たと言ってもほぼ気絶のようなものだった。故に疲れは取れていないが、配下の手前弱々しい姿は神官として見せられなかった。
そんな嘘を見破ったのか、凪が大粒の真珠を流し始めた。
「な、凪?! どうして泣くの?!」
唐突に泣き出した凪に焔は動揺を隠せない。
「だ、だって焔様、大丈夫じゃないのに、大丈夫って言うから、僕は、そんなに頼りないかなってぇ」
「いやいや! そんな事ないよ! ただあんまり心配かけさせちゃダメだなと思って!」
「ゔあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ん゙」
「ごめんねー!」
真珠を床に撒き散らしながら泣く凪を、颪が帰ってくる前に泣き止ませねばと奮闘する焔だが、凪が泣き止む事はない。
どうすればと頭を抱え始めた焔に、突き刺すような殺気が浴びせられた。颪が識の呼び出しから帰ってきたのだ。
颪は寝室の扉を開け放つと、ツカツカと早歩きで焔の方へ向かってくる。
焔は何とか言い訳をしようと頭を回すが、十割自分が悪いため謝罪以外の言葉が思い浮かばなかった。
ベットの前まできた颪は問答無用で焔を立ち上がらせると、向かいあうように立ち上がった焔に後ろを向かせそのまま腰を掴み後ろへ反り投げた。
泣きながらもしっかりとその現場を見ていた凪は、後に無慚と篝にこう語った。見事なジャーマンスープレックスだったと。
「凪を泣かせるな!!!!!!」
「ごめんなさい!!!!!!」
投げ飛ばされた焔が痛みで頭を抱えている間、颪は凪から事情を聞いた。事情を聞き終わると、颪は大きな呆れ交じりのため息をついた。
「お前、そうやって無茶したから日中気絶するようなことになったんだろうが」
「本当にごめんね。反省してます」
「僕も泣いてしまってすみませんでした……」
「凪は何にも悪くないよ……泣かせちゃってごめんね」
掃除をしながら謝る凪に、焔は泣かせてしまったことを謝る。
正座をして反省の意を伝える焔に颪は早々に許しを出した。
「まぁ、わざとじゃないんなら良い。お前の気持ちも分からんでもないしな。でももうすんなよ」
「はい……」
焔が顔を上げると、そこには走って帰ってきたのか白い肌に赤みがさした颪がいた。
「凪、悪いが冷たい茶を入れてきてくれ」
「はい!」
寝室の一角には小さな厨が設置してある。よく焔と颪はお互いの配下を連れて自身の部屋でお茶会を開くため、篝も凪も厨の何処に何があるのかは熟知している。
手際よく入れられた冷たい茶を、颪は一気に飲み干した。
「随分と急いで帰ってきたんだね。どうしたの?」
「無慚と篝の居場所がわかったんだ」
「へ?」
「本当ですか!」
焔は予想外の回答に一瞬頭がついて来れなくなる。数秒遅れて、喜びと安堵が心に満ち溢れた。
「ど、何処にいるの?!」
「蓬初慕だ。ついさっき、通信所で宿泊手続きをしたようだ」
「そっか、良かった」
張り詰めていた糸が切れたように、焔の顔に余裕が戻ってきた。
「それでな、識様が早速連絡を入れるみたいで、もし良かったらそばで聞くかって。時間が許すなら話せると思いますよってさ」
「行く! すぐに着替えるからちょっと待ってて!」
思いもよらない誘いに浮き足立った焔は急いで着替えを終えると、部屋の外で待っていた颪と凪とともに文神殿へ走って向かった。
白の四脚門を潜ると、焔は識を探し始めた。
「ごめんください! 識様はどちらにいらっしゃいますか!」
「私はここですよ」
四脚門に一番近い廊下に識は立っていた。顔色が普段よりも悪そうだが、理由はお察しだ。
焔達は識に駆け寄った。
「2人が蓬初慕にいると!」
「はい、その通りです。これからおふたりに連絡を入れるところです。みなさん着いてきてください」
長い廊下を歩くと、資料室の近くに着いた。文神殿の部屋の中で唯一扉のついた部屋に入れば、一つの黒電話がある。
ボタンを押しながら回せば、すぐに通信所に繋がった。識が一言二言職員と話すと、受話器から耳を離し焔達に手招きをする。
揃って近づき耳を傾ければ、
「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
随分と小さな声で謝る無慚の声が聞こえた。
◇◇◇
「篝! 識様そんなに怒ってないかも!」
「よっしゃ!」
「おや、怒って欲しかったんですか?」
「「いいえ全く!」」
危うく墓穴を掘りそうになった無慚と篝は、識には見えていないと言うのに必死に首を横に振った。
「そうですか。ではお二方、早速ですが何がどうしてこうなったか教えて頂けますね?」
無慚と篝に緊張が走る。恐れていた瞬間がやってきてしまった。言葉一つで、無慚と篝は明日の朝日を拝めるかが決まる。
無慚は一旦受話器を机に置くと、篝とともに深呼吸した。どちらかともなく手を握り、もう一度受話器を取る。そして一息に言った。
「開錠門の故障により森に落ちたため蓬初慕に行けず八咫烏に場所を聞いたら蓬初慕からひと月離れた森にいると言われ驚いて大事なことを伝え忘れその事に気づかずひと月かけて今日の夕方に着きました。予想外のハプニングに冷静さを失い走って蓬初慕に行こうとし、走っている間に罠やら動物にあっては怪我を負い迷子になり遠回りの道を選ばざるおえない状況に見舞われひと月もかかりました。八咫烏には開錠門の件を報告するように頼んだ後会えていなくて連絡が遅くなりました誠に申し訳ありません。明日から任務始めます!」
無慚と篝は正直に話した。嘘をついてもすぐにバレる、そもそも識相手にそんなことをする度胸はない。今は怒っていなくとも、どうせ後で怒られるのは目に見えている。ならばその際に叱られる要素を一つでも減らすために、正直に話す事にしたのだ。
無慚と篝は目をきつく閉じた。これから降ってくるであろう叱りの言葉を受け止めるために準備をしたのだ。目を閉じても何の意味もないが、彼らにとっては最大限できる準備だった。
識の息を吸う音が聞こえた。
「なるほど、わかりました」
帰ってきた言葉は想像よりもずっと軽く、優しい音をしていた。
驚いた無慚と篝は揃って首を傾げた。
「「え?」」
「え? ってなんですか」
「怒られるかと思って僕ら身構えてたんですけど……」
「何を怒る必要があると言うんです?」
「「え?」」
「だからえ? ってなんですか」
不思議そうな識に、さらに首を傾げる無慚と篝。叱られるようなことしかしていないと言う自負を持っていた彼らにとって、識の言葉も反応も予想外のものだった。
「貴方達は何も悪いことはしていませんよ。任務に行く前にした約束を覚えていますか?」
無慚と篝は揃って首を縦に振った。
「はい、覚えてます」
「ならば明白なはずです。蓬初慕に着いたことは今聞きましたし、開錠門の件はしっかりと報告を受けています。任務に関することを伝え忘れてしまったこと、冷静に判断ができなかったことも反省しているようですし、そもそもそれは八咫烏が貴方達のところへ帰っていれば成し得たことですから私からは何も言うことはありません。ね、貴方達は何も悪いことなんてしていないでしょう?」
識がそう言い終わるないなや、無慚と篝の涙腺が決壊した。電話越しであるためその様子を識達に知られることはないはずだが、識は年の功でそれを察した。
無慚は心底安心した様子で篝にもたれかかった。篝も篝で安心したのか無慚を抱きしめている。
「篝! 僕達明日の朝日を見れるよ!」
「良かった、本当に良かった!」
「何だか失礼なこと言われている気がしますね」
「「すみません!」」
無慚と篝の反応に何かを感じ取った識だったが、大人の寛容さで許した。
識はちらりと後ろを向くと、焔達が話したそうにウズウズしている様子が目に映った。識としては聞きたいことは聞けたため、無慚と篝に話しかけながら焔達にもう一度手招きした。
「そうそう、お二方が音信不通になってしまって随分と心配なされた方々がいるんですよ。今変わりますね」
無慚と篝の返事も聞かずに焔達に受話器を渡すと、矢継ぎ早に話し始めた。
「無慚! 篝! 怪我してない?! お腹減ってない?!」
「お前らどんだけ心配したと思ってんだ! 帰ってきたら覚えとけよ!」
「篝! 無事で良かった! 無慚様! 初めまして凪です!」
知り合いの大声に驚いた無慚と篝は、声に気圧され転んだ。
「うわーー! 声がたくさん! 心配かけてごめんね! 帰るの怖くなっちゃった! 初めまして無慚です!」
「無慚は怪我してるけど治療中です! お腹減ってません! 帰ったら何されるんですか! 凪! 心配かけさせてごめんな!」
転びながらもそれぞれに返答した無慚と篝。頭の中を反響するほどの大声に目を回しながら、焔達の言葉一つ一つが自分たちを心配しての言葉であることを理解し、嬉しそうに笑い合った。
「2人が無事で良かったよ。本当に、良かった」
受話器から聞こえる焔の声は、家族が無事な事に心底安堵する、兄とも父親とも思えるような声だった。
そんな声を聞いたのは、無慚も篝も初めてだった。
無慚と篝は放り投げた受話器を取ると、再度謝った。
「心配かけさせてごめんね焔」
「申し訳ありませんでした、焔様」
「良いんだよ。帰ってきたら、2人がどうやって仲良くなったのか教えてね」
「「うん!/はい!」」
無慚と篝が笑顔で頷くと、焔も心から笑った。
「あ、そうだ。篝、喉は平気かい? だいぶ大声出してたみたいだけど」
焔がそう問うと、篝の笑顔にヒビが入った。
篝は普段大声を出さない。声がよく通るため、普通に話していてもよく聞こえるからだ。大声を必要としないと言うことは、反対に大声を出すのが苦手になると言うことだ。
ところで、篝は無慚との生活の中でよく大声を出した。特に蓬初慕に向かう道中の森の中ではよく大声を出した。無慚が動物用の罠に引っかかり足を切断しかけた時、一緒に深さが5メートルはある落とし穴に落ちた時、森の主(巨大な鹿)に襲われた時、地面だと思って足を踏み出した場所が沼地だった時、そのどれもに驚き危険を感じ大声で叫んだ。
初めは叫んだ後に喉が痛み咳き込むことが多かった。しかしひと月もそんな生活をし続けていると、喉の痛みはなくなり咳き込むことも無くなった。単純に慣れたのだと、その時篝も無慚も思っていた。
しかしそれは間違いだった。
「……………………」
篝の口元から赤い線がツゥと顎へと走っていく。
「ゲボロシャァ!」
篝は吐血した。口から身体中の血という血を全て吐き出す勢いで吐血した。開いた口から噴水のように血が吹き出している。さながらマーライオンのようだ。
篝の喉は、連日の大声に慣れたのではない。疲れがピークを超え一時的に感覚が麻痺しただけなのだ。蓬初慕についた時点でHPはマイナスをぶっちぎり、喉の状態は最悪だった。
慣れないことをして溜まった疲労が、傷として帰ってきたのだ。
「焔ぁぁぁぁぁぁぁぁ! 篝が血ぃ吐いたぁぁぁぁ!」
「あーやっぱり、背中摩ってあげて。口の中に固形物ないか確認してね。あったら吐かせてあげて。それ終わったら、部屋まで運んで安静にさせてね。血の処理は職員さんに頼んでね」
「冷静だなぁ! 分かったよ!」
その後無慚は焔の言った通りに行動し、血の処理を頼んだ職員達にハッキリと悪口を言われた。
誤字脱字等ありましたら教えて下さい。