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黒のシャンタル 第一部 「過去への旅」 <完結>  作者: 小椋夏己
第一章 第一節 シャンタリオへ
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 1 彩雲と暗雲

「もう一日も進めばシャンタリオ、『シャンタルの神域』の中心だ」


 そう聞いてトーヤはワクワクした。


 ここまで結構の道のりで、海は(なぎ)の日ばかりではなかった。波に振り回されるような日もあれば、海は静かでも何日も雨も降らず、来る日も来る日も太陽に照らされ続け、夜になっても室内に熱気がこもり、熱気と湿度がたまらない日もあった。


 それでも、途中寄った港では船が進む(たび)に変わる風景に、人の服装の珍しさに、その地その地特有の料理にと、心が沸き立つもののほうが圧倒的に多く、まだ若いトーヤには置いてきた故郷のことより、目の前の船先に押し寄せる旅の行く末への期待の方が大きくなっていった。


 はるか遠くへの旅立ちを決意したのは、一番自分の面倒を見てくれていた母の妹分、ミーヤの死があったからだ。

 幼くして母を亡くし、天涯孤独の身の上となったトーヤのことを、なんとか母が命を終えたその店に置いてやってほしい、そう言って必死に頼んでくれたのがミーヤだった。


「お願いします、大事な姉さんの残した子ども、あたしが面倒見ますから、どうぞどうぞ、店の片隅で構いませんから置いてやってください」

「だがね、おまえだってまだ姉さんたちに付いて勉強してる身じゃないか、自分のことも1人でどうともできん者の言うことをねえ……」


 そう言って渋る店主に、まだ当時13になったばかりのミーヤが、


「だったら15になる前に、今から、今日からすぐ店に出してくれても構いません。だからお願いします!」


 そう言って、床に擦り付けるように頭を下げ続け、見かねたように他の女たちも、


「あたしたちも世話になった姉さんの子ども、お願いします、あたしたちも手伝いますから」

「お願いです。こんな小さな子、放り出して何かあってもお父さんも夢見が悪いでしょうよ」

「こんな小さいの1人、増えても減ってもそんなに店に負担が増えるわけじゃなし」

「あたしらのご飯、ちょっとずつ削ってやってくれてもいいですから」


 そう言って援護してくれて、


「ちゃんと責任を持って面倒を見るならば。もしも店に迷惑をかけるようならすぐにも放り出す」


 と、まるで犬の子のことでもあるようにそう言って、店主もしぶしぶ置いてくれることとなった。


 そういうわけで、かわいがってくれる女たちはたくさんいた。どの女も自分を母の息子だということで世話を焼いてくれたが、自分をまるで本当の子どものようにかわいがってくれたのが、このミーヤであった。


「あたしの名前はね、あんたと同じように姉さんがくれたんだよ。だから似てるだろ、ミーヤとトーヤ」


 くしゃっと笑いながらよくそう言っていたなあ、そう思い出す。


 そのミーヤが母と同じ病気になった。すぐに命を落とすような病ではないと分かってはいたが、日に日に弱っていくミーヤを見るのはつらかった。


 かわいがってくれた母代わりに、せめてもと手近の戦を見つけては傭兵稼ぎをしたり、あまりおおっぴらに言えない仕事をして作った金で、精のつく物をとできる限りのことはしたつもりだったが、ミーヤが元の体に戻ることはなかった。


「あまり無理しないで、危ないことしないで」


 戦場から帰るとトーヤの手をやせ細った手で握ってはそう言ったミーヤ。

 最後までトーヤの身を案じ、心配の言葉と感謝の言葉だけを残して逝ってしまったミーヤ。


 実の母の時にはあまりに幼く何もしてやることができなかった。


 母の言葉で覚えているのは、残していく息子への「ごめんね」という一言だけだった。もしも母が自分が今の年齢になるまで生きていてくれたら、ミーヤと同じように「ありがとう」と言ってくれたのかも知れない、そう思った。


 ミーヤの(とむら)いを済ませると、トーヤは何をしていいか分からなくなった。

 人間というものは、自分のためより誰かのために何かをする方がより有意義に感じるのかも知れない、そんなことを思ったりしていた。


 そんな頃に、「シャンタルの神域」へ行く船に乗らないかと声をかけられた。

 

 ミーヤが寝付いてからはあまり長く町から離れるような仕事は避け、長くとも一月(ひとつき)ぐらいで様子を見に戻っていた。

 だがもうその必要はない、いつまで町を離れていてもいいのだ。何より今ここにはいたくない、そういう気持ちで行くことに決めたのだった。


 町を出る時には、そんなふさぎ込む気持ちの方が多かった。


 だが、船が進むに連れ、若い健康なトーヤの心の闇は次第に薄れ、ついでに海の上で何艘もの船を相手に暴れたこともよかったのか、東の大海を超えて「シャンタルの神域」に近づく頃には、すっかり新天地への期待の方が大きくなっていた。


「そうか、明日の今頃はもうシャンタリオか」


 船べりに手をかけて前かがみになり、「んー」と一つ伸びをしてからふと顔を上げる。

 水平線にかかる雲から、虹の足元が見えていた。

 すごく幸先(さいさき)のいい光景に思えた。


 だがその夜のことだ、海がいきなり牙をむいたのは。


 上も下も分からぬほど船は風と雨と波に(もてあそ)ばれ、トーヤは他の船員たちと同じくどうするもことできず、大嵐の中に放り出され、意識を失った。

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