20 警戒
「おはようございます」
カースから戻った翌朝、そう言って部屋に入ってきた侍女を見てトーヤは驚いた。
「おはようさん、って、今日はミーヤさんは?」
「ミーヤは本日はお休みをいただいております」
「えっ、体調でも崩したのか?」
「いえ、遠出をして疲れただろうと、キリエ様のお心遣いです」
そう聞いてトーヤはほっとした。
「そうか、なら良かった。カースは結構遠かったもんなあ、無理させてしまって病気にでもなったんじゃないかとちょっとばかり心配した」
「大丈夫です」
ミーヤに代わる侍女は儀礼的に答えた。
ミーヤと同じぐらいの年頃、同じような侍女の服装をしているが色が違う。薄い緑色の服を着ていてそれがよく似合っていた。
顔立ちはミーヤよりもほっそりとしてやや大人びた感じだ。見ようによってはミーヤよりも美しい少女だが、対応はやや冷たい。
(キリエのおばはんみたいな感じだな)
トーヤはちょっと嫌な予感がした。
「よう」
「はい、なんでしょうか」
「もしかしてさあ、これからはあんたが世話してくれんの?」
少女はトーヤの荒っぽい言い方に、ちょっとだけ眉をひそめたように見えた。
「いえ、キリエ様からは本日だけと伺っておりますが」
トーヤはほっとしたが、顔には出さないように気をつける。
「そうか、そんじゃまた明日からミーヤさんに戻んの? あんたは今日だけ?」
「私には分かりかねます」
なんか、ここに来た最初の頃にそういう言葉聞いたことがあるぞ、トーヤは心の中で苦笑する。もっともミーヤはもっとにこやかに答えてたっけかな。
単に個性の違いと考えられないこともない。だが、仮にも託宣で連れて来られた客人に対する態度とは少し違う気もする。
ってことは、何か申し付けられてることが違うのかも知れない。例えば、世話をするのではなく見張れ、とか……
「そうか、別にどっちゃでもいいけどよ」
トーヤの言葉に少女はむっつりと何も言わずにいる。
「よう……あんた、名前はなんて言うんだ?」
じっとりとねめつけるように言うトーヤに、少女は少しためらったようだが素直に答えた。
「リルと申します」
「リルさんかあ、いい名前だな。もう聞いてると思うけど俺はトーヤ、今日は一日よろしくな」
「よろしくお願いいたします」
トーヤの言葉に丁寧には答えるが、はっきりと距離を感じさせる形式的な返答だった。
「そんで、俺は今日一日何をすりゃいいんだ? とりあえずどっか行って色々見てこいって言われてカースに行ったわけだが、今日はどこ行きゃいいんだ?」
「特に何も承っておりませんので、ご自由にお過ごしいただけたら」
取り付く島もないという感じか、とトーヤは思った。
「そっか、じゃあ俺も今日は部屋でゆっくりするかな。カースは楽しかったけどよ、やっぱりちょっと遠いよな、俺も疲れちまった」
トーヤはベッドの上にばったりと倒れ込むと、うーんと背伸びをした。
「なあ、あんた……」
「はい」
「こっち来てちょっと肩揉んでくんねえか?」
「は?」
少女は驚いて目を丸くした。
「病み上がりの上に長いこと馬車に乗ってたもんで、俺もあっちこっちガッタガタなんだよ。よう、いいだろ? ちょっとだけこっち来いって」
トーヤは布団の上をポンポンと叩きながら、リルにニヤニヤと笑いかけた。
「なあ、いいだろ?……」
「それは……」
リルが絶句する。
「そのようなことは侍女の役割ではございません。お疲れとのことなら医者や施術師をお呼びいたしますのでお待ち下さい」
「冷てえなあ……」
トーヤは少しばかりいやらしい、嫌な男を演じようとしていた。
警戒音が身内で鳴っている。もしかしたらリルの言う通りに単にキリエがミーヤを気遣ってのことかも知れないが、だが……
(あいつがいる)
ルギが、何か余計なこと、例えばミーヤが自分と必要以上親密そうだったとかそんなことをキリエに、もしかするとマユリアに吹き込んだのかも知れない。そのためにミーヤが遠ざけられたのだとしたら? 遠ざけられるだけなら問題はない、だがそのためにこの宮を追い出されるとかつらい目に合う可能性もないことはない。
もしかすると考え過ぎの可能性はある。だが、どんな小さなことでも気をつけるに越したことはない。
「あんたさあ、べっぴんだよなあ。それに結構色っぽい……いいな、俺のタイプだ」
「…………」
リルは固まったように動かない。
「なあ、別に変なことしようってんじゃねえんだぜ? ちょっとマッサージぐらいしてくれてもいいじゃねえかって言ってんのよ。妙なことしねえって。ミーヤは、あいつはお固くてなあ、融通が利かねえんだよ。あんたなら少しぐらい話が通じそうだ。なあ、おいって」
トーヤがギシッと音を立てて態勢を変えると、リルはビクッとする。
「なあ、嫌がることしねえって、ちょっと肩とか足腰揉んでくれねえかって言ってるだけだからよ、よお」
「あの、失礼いたします。すぐに施術師を呼びますのでお待ちください」
急いでそう言うと、それでも膝をついて一礼して急いで部屋から出ていった。
その後姿をトーヤはあえて聞こえるように舌打ちをして見送った。
(さって、キリエのおばはんがどう判断するかな)
もしかすると、若い女性を側に置いておくのは危険と判断され、ミーヤはもう来ないかも知れない。それはとてもさびしいことだが、まあ仕方がない。
自分はやがてこの国から出ていく人間だ。というか、本音を言うと一刻も早くこの厄介な状況から逃げ出したい。その時に心残りが減るのは気持ちが楽だ、そう自分に言い聞かせながらトーヤはもう一度ベッドの上に身を投げ出した。
リルは客室を飛び出すと、足早にキリエの執務室に飛び込んだ。
「あの、私にはできかねます……」
「どうしました?」
「あの、いやらしいことを、あの……」
ぽつりぽつりと精一杯説明をする。
「肩を揉めと言われたことが、それほどいやらしいことなのですか?」
「いえ、あの、言い方が、あの……べっぴんだとか、タイプだとか、ミーヤは融通が利かないが私の方が話が通じそうだとか、あの、その……」
若い、それも男慣れしていないリルは、泣きそうになりながら言葉を続けるが、実際に言葉としては何かいやらしいことを言われたわけでもない。自分が勝手にそのように思い込んだ、と言われたらそれまでだ。
「多少容姿をほめられたからと言って、それは少々持ち上げただけのことでしょう。それは侍女の役割ではありませんが、きっぱりとそう断って施術師を呼べばいいだけのこと」
「はい、申し訳ございません……」
「まあいいでしょう、無理だと言うのならもうよろしい」
「はい、はい、申し訳ございません……」
泣きそうになりながら退室していった。
トーヤの推測通り、リルにはトーヤの様子を見張ってどういう人間か報告するようにと言いつけてあった。
昨日ルギがミーヤが取り込まれている可能性があるかも知れないと言い、それを聞いたからには一応他の人間とどのように接するか、ミーヤとの違いはないか、何かその人間にも策を弄することはないか様子を見たかったのだ。
それを少しからかわれたぐらいで逃げ出すとは、とキリエは小さくため息をついた。
この様子では誰を付けても同じ結果になることだろう。それならば警戒させぬためにもこのままミーヤを付けておく方がいい。
マユリアの勅命ゆえの指名なのでそうそう勝手に交代させるわけにもいかないが、問題があれば何か理由をつけて交代を上申する必要もあると思っていた。まあ仕方がない、明日からはもう一人誰か付けて報告させればいいことだ。
その後、施術師を連れたキリエがトーヤの客室を訪れ、
「お疲れだとのことで施術師を呼びました。リルが体調不良になりましたので今日は私が一日お世話をいたします」
そう言って、トーヤを絶望の淵に追いやったのは言うまでもない。




