16 誓い
ついさっきまでは楽しくカース行きの話をしていたのに、なぜこんな話になったのか。
ミーヤは悲しくなった。だがトーヤの気持ちも分からないではない。
「ご不安でしょうね……」
「え?」
「故郷から王都に来た時、やはり私も不安で不安でたまりませんでした。宮に仕えるつもりでこちらに来て、実際にそうなって、全部承知して来たつもりでもやはり不安でした、心細くて泣きたくなりました。それを、嵐に流され仲間も亡くし、不安でない方がおかしいですよね。そのことに思い至らないなんて、私は本当になんて愚かなのでしょう……これまで、知らぬ間にずいぶんとあなたのことを傷つけてきたのではないでしょうか? それを思うと申し訳なくて……」
今度はトーヤが言葉をなくした。
「もしも、もしもですが、本当に衛士とかになれないか伺ってみてはどうでしょうか?」
「え?」
「先行きが不安でいらっしゃるのなら、何か落ち着く場所が見つかれば少しは安心されるのではないですか? その、トーヤ様がこの国にずっといたいと望まれるなら、それもいい方法かと思いました」
ミーヤが初めてトーヤの名前を呼んだのでトーヤは驚いた。
今まではずっと「あなた」と二人称、外に向かっては「客殿の方」としか呼んだことがなかったのだが。
「あんた、トーヤ『様』って」
その呼び方がおかしくて、トーヤは思わず吹き出した。
「え、でも、だって……」
カースでは村長も「トーヤ様」と呼んでいた。他の村人も。その時は何も言ってなかったのに、なぜそんなに笑うのだろう。ミーヤは自分がそんなに変なことを言っただろうかと慌てた。
そんなうろたえたミーヤにトーヤが笑いながら続ける。
「トーヤでいいよ、様とかさんとか間違ってもちゃん、とかつけるんじゃねえぞ」
「まあ」
「その代わり俺もあんたのことミーヤって呼ぶから、そんでいいだろ?」
「構いませんが……でも、宮では少し困ります」
ミーヤが本当に困った顔をする。あまり親しげに呼び合うのは立場上良くないのだろう。
「そんじゃ人前ではミーヤさんって呼ぶ。あんたはトーヤ様でいいや、様で」
そう言うとなんだかおかしくなってトーヤはゲラゲラと腹を抱えて笑った。
「何がそんなにおかしいのでしょう、本当に」
ミーヤはふくれっ面をしたが、本当には怒っていないようだった。
「いやー楽しいな」
海を見ながらトーヤは少し違う気持ちで見られるのがうれしいように感じた。
ケラケラと楽しそうに笑い続けるトーヤ。
だが、ミーヤの目にはなぜかそれが泣いているようにすら見えた。かける言葉が見つからなくなる。
「俺な、まだまだたくさんあんたに、ミーヤに、隠してることや言ってないことがあるんだよ」
「え?」
トーヤはあえて「嘘」と言う単語を使わずにそう言った。
「だけどな、決めた。今すぐに全部話すってことはできねえと思うけど、できるだけミーヤには隠し事はなしにする。そう決めた」
ミーヤはトーヤが言い出したことがよく理解できずに黙ったままでいる。
「だからな、この先、俺はあんたを傷つけるようなことはしない、約束する。結果として傷つけることになってしまったとしても、傷つけようと自分の意思でやることはない。信じてくれるか?」
トーヤが正面からじっとミーヤを見つめる。ミーヤはなんと言っていいか分からず、かと言って目をそらすこともできず、じっと見返すしかできなかった。
「誓うよ」
もう一度トーヤはゆっくりと言った。
「……分かりました、信じます」
ミーヤが答えた。
「ありがとう」
トーヤがさっぱりとした笑顔を浮かべた。
どうしてそんな事を言いだしたのか自分でも分からない。
わけの分からぬ状況の中で一番身近にいたからか、思わぬ失態を見せてしまったから、それともその名前ゆえか、もしくはあまりに純粋なその瞳のせいか……
「なんでか自分でも分かんねえんだけどな、本当になんでかな、あんたにだけはそうしたいと思っちまったからな……」
言いながら照れくさそうにまたぷいっと馬車の窓へと視線を移し、後はずっと沈黙になった。
馬車の外を海が走る。ミーヤもまた黙って海を見ながら不思議な気持ちになっていた。
どうしてだろう、この人のことは信じても大丈夫だ、そういう気持ちになっていた。
最初は与えられた使命から丁寧に対応していただけだった。
それが、思わぬ暴力を振るわれて恐ろしいと思わぬことはなかったが、その後の消沈した姿を見てできるだけのことをしてあげたいと思ってしまっていた。
ついさっきの本音を聞き、もっと親身になってあげたいと思ってしまっていた。
そして今は信じよう、信じられると思ってしまっていた。
窓の外を進行方向に視線を向けるとその先には戻るべき場所、シャンタル宮がある。
宮に戻った後、この先に何があるのか。
今までは与えられた使命を果たすことだけに一生懸命で、その日その日の義務を果たすことだけに一生懸命で、その先に何があるのかなど考えたこともなかった気がする。
そんな日々の中、いきなり嵐がやってきて自分もその渦の中に放り込まれた、その自覚すらなかったかも知れない。
本当に、宮は、いや、シャンタルとマユリアはトーヤに何をさせたいのか。初めてミーヤはそのことを意識した考えた気がする。
そしてそのことが終わった後、トーヤはどうなるのか。この国に残るのか、どこかに戻るのか、そんな日が来るのか。
そのことを考えると少しばかり胸が痛いことをうっすらと自覚していた。
でも、今は……
「もうすぐ宮に着きますね。戻ったら今日はゆっくりしてください。ダルさんとの話も、それから、トーヤの今後のことも、みんな明日のことにしましょう。今日だけは全部忘れてしっかり寝てくださいね」
進路から流れてくる風に流されることなく言葉はトーヤに届いた。
「ああ、そうする。なんもかんも明日からだ」
トーヤがミーヤの顔を見ずにそう答え、ミーヤもトーヤの顔を見ることなく言葉だけを耳で受け止めていた。




