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黒のシャンタル 第一部 「過去への旅」 <完結>  作者: 小椋夏己
第三章 第三節 広がる世界
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18 母か子か

 カースの海は(おだ)やかであった。

 もちろん海なので荒れることもあるが、今は(なぎ)なので静かに波が寄せては返すのみだ。


「静かですね……」


 ラーラ様は防寒(ぼうかん)と日よけのために全身を厚いマントでくるみ、岸に上げられた船に腰掛けて海を見ていた。


「いいだろう?」


 ダルの祖母ディナが同じくマントでくるまりながら(しわ)だらけの顔を縮めて顔全体で笑った。


「はい……」


 ラーラ様もにっこりと返す。


 あの日、シャンタルの声を聞かぬように波の音に耳を寄せたあの日から、天気の良い午後にはディナに連れられて海を見に来るのが日課(にっか)になっていた。


 村の者には「遠縁の知人だが体調を崩して温かいカースに療養(りょうよう)にきている」と説明してある。村の者たちも温かくラーラ様を迎えた。


「体調はどうだい?」


 通りがかった村の女が優しく声をかけた。


「おかげさまで落ち着いております」


 丁寧(ていねい)に頭を下げて礼を言う。


「そうか、ならよかった。この村は過ごしやすいし魚もおいしい、しっかり休んでしっかり食べて元気に子どもさんのところに帰ってやんなさいな。じゃあディナさん、また」

「ああ、また」


 朝早くから漁に出た船が戻り、魚を分けたり後片付けを終えた後、2人がこのあたりに座って海を見ている風景に村人たちも慣れてきていた。

 ラーラ様のことは「子どもが1人いる」とディナが説明をした。それで家に子どもを置いてきている母親と村人も認識をしているのだ。


「あれからどうだい?」


 ディナがそう声をかける。シャンタルの声が聞こえるかどうかを尋ねているのだ。


「まだ時折(ときおり)……」

「そうかい。大丈夫かい?」

「はい、波の音を聞くようにしておりますから」

「そうかい」


 それだけ話すとまた2人で海を見て波の音を聞く。


 午後はそうしてしばらく海を見て過ごし、夕食前には村長宅に帰る。夕食後は村長一家と少し話をしたりすることもあるが、その後はディナの部屋で2人で色々な話をして過ごすことが多い。

 主にディナが色々な話を聞かせる。カースのこと、王都のこと、自分が見てきたこと聞いてきたこと、家族のこと、特に今はダルの話が多い。


「ダルは小さい頃体が小さくてね、それにあまり丈夫でもなかったもんで少しばかり心配をしたよ。だけど気付けばあんなににょきにょき長く伸びて、おまけにすっかり一人前の顔をして。まあ、子どもというのは本当に勝手なもんだ」


 そう言って笑うディナにラーラ様も笑う。


「まあね、そうして勝手に大きくなったつもりなんだよ、親の気も知らずにさ。だがあたしらだって結局同じだ、同じ道を通ってきてるんだ。偉そうに言ってるが、みんな泣きながら生まれてきて、よちよちと立ち上がって段々と一人で歩けるようになると子どもだった頃のことなんて忘れてしまってる」

「私もそうなのですね」

「もちろんさ、誰だって生まれてくる時は裸で一人で泣きながら生まれてくるんだよ」


 ラーラ様はディナの話を聞くと不思議と気持ちが落ち着いた。


 十年前、実の親の元に帰らずに宮に残ることを選んだ。


 親からもらった唯一のもの、「真名(まな)」の書かれた木札を受け取り、包んであった絹布(けんぷ)を開いて「ラーラ」とその名を見た途端、身内(みのうち)から神が去る気配を感じた。人に戻ったのだと思った。

 その気持ちは同じシャンタルであった者にしか理解できないであろう。


 空虚と不安


 人の世に戻るだけ、そう思うが目の前が真っ暗で一歩を踏み出せないような心持ちだった。


 だが、だから侍女として残る道を選んだわけではない。

 「黒のシャンタル」の御誕生(ごたんじょう)を知り、その方を守るために残る道を選んだのだ。


 あの時、自分は両親の「子」に戻る道ではなく、「黒のシャンタル」の「母」となる道を選んだのだ。

 結局、実の親には一度も会ってはいない。


 ラーラ様の生まれ故郷はシャンタリオの東の端、王都とは全く逆の方向にある中程度の大きさの町である。そこに住む商人夫婦の間に、上に兄弟姉妹のいる末の子として生まれたと聞いている。

 人の世には戻らずそのまま宮に残ることを報告するために一度だけ手紙を書いた。その返事が一通だけ届いたが、二十年の間に母は亡くなり、父も高齢で会いに行くことは叶わないこと、兄弟姉妹も宮に残ることを承知したこと、だけを淡々と記したものであった。


 そんな話をポツポツと、話せる部分だけディアに話した。


「そうして親を知らぬ私がシャンタルの母になど、なれるわけはなかったのです……」


 そう言った途端(とたん)にディアに叱られた。


「何を言ってるんだね、母親がそんなこと言ったら子どもがかわいそうだろうが。いくら親を知らずともあんたは母親になったんだ、そんな無責任なこと言っちゃいけない」


 ディアは叱るとその後で優しい顔になって言った。


「最初から親になれる人なんていやしないよ。子どもができたら嫌でもなるんだ。子どもに親にしてもらうんだよ。あんたも子どもに親にしてもらったんだ、あんたも立派な母親なんだ、自信を持ちなさい」


 ラーラ様はディアに会ったことのない母を感じた。


「はい、ありがとうございます」


 そうして時に叱られ、時に()やされ、過ぎる時をどうにか過ごしていられた。

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