1 突然の宣告
「俺とシャンタルはここから東へ行くことにした。だからおまえらと一緒に西へは行けない。すまんが行くなら2人で行ってくれ」
トーヤの突然の言葉にアランとベルは言葉を失った。
ここはある安宿の一室。娯楽旅行でゆったり休むためではなく、先を急ぐ旅人がその日の夜を、寒さや雨露を、暗闇の危険を逃れるためだけ、とりあえず一晩体を休ませるためだけにある宿だ。壁も薄く、その気で耳をつければ隣の部屋の声が全部聞こえたりもする。
窓際の壁に頭をつけて背が低く、小さく硬いベッドが一つあり、その頭のすぐ横に、ベッドよりやや背丈の高い物置きが付いている。
物置の前に本当に小さい、古い傷だらけのテーブルが一つ。それを挟んでベッドの向かい側に、やはり硬い背もたれ付きのソファが一つある。このソファはベッドと兼用になる。一人旅にはベッドを使って一人分の料金を払い、2人なら1人はソファで寝ることになるが、1人と半分の料金で済むので「一人前半の宿」と呼ばれている。
部屋を照らすのは物置の上に置かれた安物のランプが一つ。小さい部屋の隅までやっと届くか届かないかの灯りがあるのみだが、それだけでも人はホッとするものだ。
室内にいる人間は4人。1人は今発言したトーヤ、まだ二十代半ばぐらいの短い黒髪の男だ。ソファの左、出入り口側に座り、その背に体をあずけるように深く腰をかけ、腕組みをし、やや俯いているため顔の上半分は前髪に隠れてよく見えないが、引き締めた唇からは意志の強さを感じられる。
トーヤをリーダーに魔法使いのシャンタル、トーヤと同じく傭兵のアラン、それからその妹で戦闘はしないが色々と手伝いをしているベル、この顔ぶれでこの三年ほど一緒に戦場稼ぎをしてきた傭兵仲間であった。
ベルはベッドの窓側、アランはトーヤの真向かいに腰掛けている。
ソファの窓側、トーヤの隣のもう1人、頭からすっぽりと生成りのマントをかぶった人物がシャンタルだ。
西の地でやや大きい戦が始まりそうなキナ臭い噂が囁かれ始めた。そこで一稼ぎになりそうだとそちらへ向かう途中、いきなりトーヤがそんなことを言い出したのだから、アランとベルとしては黙っていられないのも当然と言えば当然だ。
「てめえ……ざっけんなよ!! 2人で行け? はあ? ほんっと、ふざけんなよな!!」
ベルがふるふると怒りに震えながらそう叫ぶ。
「西の戦場に一緒に行こうって言ってたじゃんか! それをおれたち2人だけで行けって? は? 勝手なこと言ってんじゃねえ!!」
肩の少し下でざっくりと切り揃えられた濃い茶の髪、怒りで大きく見開かれた瞳も同じ色を持っている。ラフなシャツとズボンだけのしゃれっ気のない服装をして、ぱっと見ただけではまだまだ子供の部分が多く見えるが、やっとこの頃女性らしさも出てきたかというところの年齢、今年13歳だ。
いかにも健康そうな、生命の光に満ち溢れたようなベルが、今は全身に怒りをみなぎらせ、握った両拳を膝の上で細かく震わせている。
「大きな声を出すな、もう夜も遅い」
ベルとは対象的にアランが静かに声をかける。
ベルの隣で腕を組んで座っているアランは、まだ少年と呼んでいいだろう年頃の16歳だ。細身だがそれなりに引き締まった体躯、ベルよりかなり明るい茶色い髪と同じ色の瞳。兄妹だけに顔立ちはやはり似ている。
「だってよ兄貴、あんまりじゃないか!」
「お前の言い分はよく分かる、俺だって同じ気持ちだからな。だが時間も時間だ、もうちょっと静かに話をしようって言ってんだ」
兄に言われてベルが唇を噛み締め、悔しそうに黙って椅子に座り直した。
「トーヤ」
アランは斜め前でソファに腰掛けているトーヤに声をかけた。
「俺は、別にあんたらがここで別れようってんならそれはそれでいいんだよ、家族でもないんだし引き止める権利もないしな」
「兄貴!」
アランは今にも噛みつかんばかりのベルを留めながら冷静に続けた。
「だけどな、少なくともこの三年近く、ずっと4人で組んでうまくやってきたと俺は思ってる。別れるにしてもせめて理由だけでも聞かせてもらいたいってもんじゃないのか?」
「そうだそうだ、兄貴の言う通りだ、わけを言えよわけを」
重ねるようにベルもそう言う。
「西の戦で、ちょっとまとまった金を手にしようぜって話をしてたよな? 少なくともそれまでは一緒に仕事ができる、そう思ってたんだよ、俺たちはさ」
「そうだよ、4人だったらいい仕事できるじゃないかよ、今までもそうしてたじゃん!」
「ちょっと口挟むなお前は」
「だってよ!」
今度は兄妹で諍いが始まりそうな風向きになってきた。
「理由な、それ話したら納得するのか?」
トーヤが低い声でひっそりとそう答えた。
「そうじゃねえよ!」
ベルが立ち上がり、机をバン! と叩いた。
「このままずっと一緒でいいじゃんか! そう言ってんの、おれは!」
「だから静かにしろって……」
はぁっとため息をついてアランが妹を止めた。
「とにかく、理由だけは聞かせてくんないかな? いきなりここでおさらばだって言われても、ああそうですかと納得はできないって言ってんだよ。なんもかんも話を聞いた後、そんでいいか?」
トーヤはぐるりと体を右に回すと、ソファの背もたれに右手をひっかけ、ベッド側に座っている細身の影に声をかけた。
「だとよ、どうするシャンタルよ? ベルもアランもだまってさいならは聞いてくれそうもないぜ」
鋭い目つきにそれなりに整った顔つき。笑えば柔らかい表情に親しみやすさも感じるが、少し歪めた口元が危険そうな雰囲気も与える。見る人によっては修羅場をくぐってきた油断ならない人間に、また違う人には怖い人間に見えるかも知れない。
アランとベルもそちらを見る。6つの目がマントをかぶった人物を見つめる。
しばらくの沈黙の後、シャンタルがようやっと口を開いた。
「2人を、巻き込みたくないんだよ……」
小さいがよく通る声でほおっと吐き出すように答える。まだ若い男の声のようだ。
「なんだよなんだよそれ、巻き込みたくないってなんか水臭いんだよ!」
ベルがまた机をバン! と叩き、アランが「手を痛めるだろうが」と掴んで止めた。
「なあ、シャンタル、俺は、こいつらは信用できると思ってるんだがな。おまえは違うのか?」
「アランとベルは信用できるよ、でもそういう問題でもないだろう?」
「なんだよそれ、信用できるって言いながら内緒かよ! それって信用してないってこと――」
「だからあ、おまえちょっと静かにしろって」
アランに頭をべちっと叩かれ、ベルは不承不承口を閉じた。
「とにかくさ、とりあえず話せるか話せないか決めてくんない? その結果次第じゃ俺も黙ってないけどさ」
アランがそう言ったが、シャンタルは無言のまま、そのまま沈黙が続く。
3人がマントの影をじっと見つめている。空気が動きを止めたような、夜の闇だけが流れていくような、そんな時間が続く。
いつまでも口を開かないシャンタルに、ゆっくりとトーヤが語りかけた。
「なんて言うか、これも運命だと思わねえか? 今この時にこいつらと一緒にいる、そんで別れるっても簡単には諦めてくれそうもない。こっちもこいつらを信用してるんだ、話してもいいんじゃねえのか? その上でこいつらがどうするか、そいつはまたこいつらの問題だ、違うか?」
シャンタルは答えない。
「俺は話そうと思ってる」
シャンタルが驚いたようにくいっと顔を上げた。
弱いランプの灯りに照らされたその顔は、少女と見紛う端正な造り。実際、声を聞かなければ女性だと思う人間が大多数だろう。
特徴的なのはその顔を縁取るゆるやかに流れるくせのない銀の髪、深い緑の瞳、そして深い褐色の肌だ。
神秘的、その言葉が一番似合う人間、いや人間と言うより精霊のような、そんな存在であった。
「おまえが俺と出会ったのが運命なら、こいつらと出会ったのもまた運命だ、違うか? ってことは、ここで話すはめになったこともまた運命、違うか?」
「それは……」
「まあ、そういうことだからな、とりあえず俺は話すぞ。言いたいことがあれば言え、そんでいいか?」
まだしばらく考えた後、シャンタルはようやくゆっくりと頷いた。
「よし。そんじゃ話すが、長い長い話になるぞ、いいか?」
「いいよ」
「ああ」
トーヤの問いにアランとベルが答える。
「さて、どこから話すかな……そうだな、まずはこの世に神様がいた頃の話からか」
「長すぎんだろうが!」
ベルが立ち上がってそう抗議するのに、トーヤはニヤリといたずらっぽく片頬を歪めて笑った。