4 託宣
「嵐の夜、助け手が西の海岸に現れる」
シャンタルがそう言った。
そしてマユリアがそれを聞いた。
それが全てであった。
それが「託宣」である。
神によって告げられる、人が従わねばならぬ運命を告げる言葉。
王宮の侍従たち、神殿の神官たち、宮の侍女たちにその事実をマユリアが告げる。
聞いた者たちは「託宣」の内容を吟味する。
「託宣」の真偽を問う必要はない。
なぜなら「シャンタルの託宣」は事実だから。
「西の海岸とはどこか?」
最初の議題はそれであった。
シャンタリオの中心に位置する神殿「シャンタル宮」は小高い山の中腹にある。
背後にまだ高くそびえる山を従え、だがその位置からは遠くの海岸線までが見渡せる。
「シャンタルの神域」の中心に位置する「シャンタリオ王国」、その中心にある「シャンタル宮」より世界に慈悲の言葉を与える「慈悲の女神シャンタル」の目の届く範囲が「王都リュセルス」と定められている
リュセルスの西の端からは長く突堤のように細い半島が突き出している。小さな半島だが、細長い山のように向こう側の海を抱え込むように隠す形をしている。
半島の付け根あたりまでが王都リュセルス、少しばかり湾曲して太い弓形に海に張り出した部分が「カース」小さな漁村である。そのカースのあたりが「西の海岸」ではないか、そういう話になった。
「助け手とは?」
こればかりは話し合ってもどうしようもない。
とにかくシャンタルが「助け手」と言ったのだ、大事な方であることは間違いない。
「もしや、新たな神の御降臨では」
などと言い出す者もあり、頭の痛い事態となった。
なぜなら、託宣の最初にある「嵐の夜」がいつなのか分からない。
日付がはっきりと分からないのでどう準備をすればいいのかが分からない。
もしも本当に「新たな神」をお迎えするのなら、新しい神殿を作るなどしなくてはいけないが、明日の夜にでも嵐が来るならとても間に合うものではない。
「とにかく、できるだけ早く準備しなくては」
一番重要なのはそういうわけで時間となった。そのためにすでにある建物を神殿として準備すると決まった。
「カースの海神神殿を借り上げるのは?」
そういう意見が出た。
シャンタリオはシャンタル神を絶対神としてはいるが、自然と対峙するカースの民たちは漁の安全、豊漁などを祈って海神を祀っている。
それは特に禁止されている行為ではない。
シャンタルは唯一自分たちを守り、導いてくれる存在ではあるが、他の神もまた尊い存在だ。シャンタルは祀って当たり前、そして他の神は敬えば恵みをいただける。
特に自然を守る神は時に厳しく人の命すら奪う。常に敬意を表して荒御魂を沈めていただかねばならない。
カースの神殿には海神と並んで、いや、一段高くにもちろんシャンタルも祀られている。すぐそこの神殿に本物がいるが、その出張所のように、海神をも見守るように神殿から授けられた「シャンタルの分体」たる木製の札が掲げられている。
もちろん、他の地方の神殿にも同じようにこの札がご神体として掲げられている。カースの神殿のように他の神を祀る神殿でも同じ形式になっており、その神に頭を下げると自然とシャンタルにも頭を垂れることになる。
それほどまでにこの国では、全く疑う余地もなくシャンタルは絶対の存在なのだ。
早速カースに使者が遣わされ、小さな漁村は上を下への大騒ぎとなったが、網元でもある村長の指図の元、驚くことにたった一晩で神殿を磨き上げ、神殿から運ばれたり指定された様々な準備を仕上げていつでもその時を待つ支度が整えられた。そのために届けられたのは立派な家具一式、絹、貴金属、食料品など、一漁村には余りあるほどの質、量の物品で、漁師やその妻子たちは疲れを感じないぐらいの興奮を感じながら不眠不休で準備を整えたのだ。
「嵐が来るのはいつなのか」
最後の問題であった。
なぜなら、シャンタルの名代たるマユリアが、嵐の前に仮神殿に入って助け手を待つと宣言したからだ。
「仮神殿とは言ってもシャンタル宮とは比べ物にならない粗末なもの、危険な嵐の間は宮にいていただきたい」
そう言上してもマユリアは頑として首を縦に振らない。
そもそも。マユリアに何かを言える立場の人間はこの国には国王しかいない。王妃や王子王女であってもだ。その国王の言葉とて、同列にあるマユリアが聞くかどうかはマユリア次第だ。それほどまでにこの国におけるマユリアの地位は高いのだ。
マユリアが移動する手段は輿である。聖なる存在であるシャンタルとマユリアが穢れた大地に足を下ろすことは許されない。そのため、清められた聖なる神殿にしか体を置くことはできない。見渡せる位置にあるとは言え山腹の神殿から輿を運ぶのにはそれなりに時間がかかる。もしも、運んでいる間に天気が急変したらその尊い身に危険が及ぶ可能性もある。
それに、仮神殿とは言っても元々は小さな漁村の小さな神殿だ、嵐の間に何かがないとも言い切れない。仮に建物が安心に足るものだとしても、そもそも漁村の人間にマユリアのお世話をさせるわけにはいかない。村の者だとて困るだろう。さりとて神殿からそれなりの人数を割くのも、それはそれとして大変だ。
「では神殿よりもっと近い場所にご滞在いただくのはいかがだろうか」
そう言い出した者があり、カースにほど近い場所にある、さる貴族の別荘がマユリアの滞在場所、「仮御座所」と定まった。
そこなら高貴な人の世話にも慣れているし、仮神殿までほんの一刻もあればお運びできる。早速そちらにも手を加え、満足できる設えが整えられる。
マユリアの乗る聖なる神輿は、神馬が引く清められた馬車に乗せられ、粛々と仮御座所への道中を終えて、マユリアもゆったりと腰を据えた。
こうして問題は全て解決し、後は「その日」を待つばかりとなった。
そして「その日」は託宣から十日後にやってきた。




