第6話 予想外の一撃
オーガの巨体が迫る刹那、テネブリスは自らの腰に手をやる。
そこに収めてあるのは聖剣エーテルナエ・ヴィテ。アルビオン帝国を守護する勇者が代々継承してきた聖なる剣だ。
(剣を振るなどいつぶりだ? ふっ、まあよい。相手はオーガ……肩慣らしには丁度よい)
ニヤリと笑みを浮かべながら、鞘から聖剣を抜こうとする。その時、強く握った柄から違和感を感じた。
その違和感を信じ、オーガの突撃を《《迎え撃つ》》のではなく、《《防御する》》事へ瞬時に判断を切り替える。そして後ろに引き下がりながら、聖剣が収まったままの鞘を前方に向けて両手で構えた。
直後、ゴッという鈍い音と共に全身に強い衝撃が伝わる。
オーガの分厚く巨大な拳が、聖剣の鞘を捉えたのだ。
その衝撃は想像していたよりも遥かに強く、テネブリスは身体を大きく後退させられる。気付けば足は地面から離れ、身体が宙に浮く。
(吹き飛ばされた……!? この私が!? いや、それより……!)
数メートルは後ろに飛ばされただろうか。
空中で態勢を立て直し、地面になんとか着地する。そのまま片膝をつきながら、再び聖剣の柄に再び手をかけた。
そして先程の違和感は、確信へと変わった。
(聖剣が……抜けない……!? 私が、勇者ではないからか……?)
テネブリスは苦虫を噛み潰したような表情で立ち上がる。
聖剣が抜けない理由は何か。ルクルースの内にいるテネブリスの存在を感じ取ったのか、あるいは魔力がない状態を察知してか、それとも――。
唯一の武器の存在価値を失い、テネブリスは焦燥する。
相手はオーガ。だが先の一撃で、自身の身体能力が想像以上に低くなっている事を思い知っていた。
魔法が使えない今のままでは、たかがオーガといえども苦戦は必至。
(ちっ……ひとまず時間を稼ぐほかないか……)
オーガとの距離を保ったまま、テネブリスは怒鳴るように問いただす。
「貴様らはどこから来た! 答えろ!」
「俺タチハ、タダココニ連レテコラレタダケダ!」
意味ありげなオーガの返答に、テネブリスは目を丸くする。
(連れて……? ほう……つまり何者かが意図的にここへ連れてきた事になる。それもおそらく、転移魔法が使える手練によって。だが狙いは何だ……私か、それとも別の何かか……)
謎は深まる一報だが、価値のある情報でもある。そう判断したテネブリスは続けて問う。核心に迫る情報を掴む為に。
「それは、誰にだ?」
「……勇者ニハ関係ナイ!!」
オーガは聞く耳を持たず、再び攻撃の態勢を取った。
身体を一瞬しゃがませたと思いきや、次の瞬間には勢いよくテネブリスに向かって直進してくる。戦略も戦術も無い、ただ力に任せた突撃。
しかしその単純な攻撃こそが、今のテネブリスには厄介な事この上ないのだった。
(ちっ……魔力さえあればこんな雑魚など…………!)
距離を十分に取ったつもりだったが、慣れない体では反応が遅れてしまう。
回避しようと動き出そうとした時には既に、攻撃を受ける選択肢しか残されていなかった。
オーガの巨大な拳がテネブリスの体を捉え、肉と肉が衝突する音が響く。
ドゴッ――
その体に受けた衝撃は先程よりも強く、重い一撃だった。
(これは…………血……?)
テネブリスの目には、乾いた砂と鮮血が滲む地面が写っていた。
(私は……倒れているのか……ではこの血も…………)
意識が朦朧としかける中、立ち上がろうと必死に地面に爪を立てる。
その這いつくばる姿は、魔王であった頃の面影は一切なく、今やオーガごときに殺されかけている人間にしか見えない。
(たかが……オーガごときに……この、私が……! 許さぬ……許さぬっ、許さぬっ……!!)
激しい怒気と怨恨に満ちた瞳をオーガに向け、テネブリスはやっとの思いで立ち上がる。その身に纏っている白金の鎧は、砂埃と血飛沫で輝きを失いつつあった。
ゆらりと立ち上がったテネブリスの目前にはオーガがそそり立つ。まるで、獲物が起き上がるのを待っていたかのようだった。
その獲物を見下すと、醜悪な顔面をより一層邪悪な様相に変える。
そして、巨大な拳を振り落とした。
その時――
「人位魔法――蒼光!」
突如、女と思われる声で魔法が詠唱がされる。直後、オーガを青い閃光が包み込んだ。
その光を受けたオーガはよろめきながら数歩後退する。肉体的なダメージはほぼないが、目くらましとしての効果は絶大だった。オーガは目を押さえたまま動けない。
その隙を見計らい、先程の魔法を放った人物――アルキュミーがテネブリスの元へ駆け寄る。
テネブリスの予想以上に負傷した姿にアルキュミーは言葉を失う。それと同時に、ここへ駆けつけた自分の判断に安堵した。
「ルクルース……大丈夫!? やっぱりまだ体が……」
アルキュミーはテネブリスを肩で支えながら、泣きそうな表情で心配する。
ルクルース――今はテネブリスだが――のボロボロの姿を初めて目の当たりにしたアルキュミーは動揺を隠せない。
そんな彼女の心配をよそに、テネブリスは途切れ途切れに強がりを口にする。
「私を誰だと……思っている……凄惨たる魔王、テネブリス……」
「違うわ! あなたは勇者……勇者ルクルースよ!」
そう言ってアルキュミーは、テネブリスの言葉を遮るように身体を抱き寄せた。
部屋で目覚めた時と同じように。テネブリスの背中に当たるその柔らかな感触もまた、あの時と同じだった。
アルキュミーの突然の行動に、テネブリスは咄嗟に身を振りほどく。しかし心做しか、身体の痛みは薄くなっていた気がした。
そして、オーガに向けた視線はそのままに、テネブリスは僅かに血が垂れた口を開く。
「私が誰かなど、私が決める事だ……。それより女、力を貸せ」
「……!? そんなボロボロの体で、どうするつもり!?」
「なに……ちょっとした思いつきだ」
そう告げ、ニヤリと笑みを浮かべる。
その表情は、凄惨たる魔王を彷彿とさせる形相であった。
今回の魔法辞典
・人位魔法――蒼光
上級人位魔法のひとつ。視界の届く範囲内であれば、指定したあらゆる場所に蒼い閃光を放つ魔法。
一定時間ステータスダウンのデバフ効果と目くらまし効果があるが、この魔法による肉体的なダメージはほぼ無い。