第58話 血に染まる都市
「さぁて……アレはどこでしょうか?」
ビフロンスは大通りを暗澹たる身体を揺らしながら、宮殿へと向かって進んでいく。全身にある無数の眼は周囲で起こっている混沌を眼を細めながら見つめている。
周囲は騒がしい。
アルビオン帝国の中央に位置する都市、カルディア。普段であれば住民や商人たちの賑わいによる喧騒が、街を明るく染めている。
しかし、今は違う。
辺りに響いているのは人々の悲鳴や呻き声。従えている百を超えるアンデッドが、この都市にいる生きとし生ける者に殺戮の限りを尽くしていた。
アンデッドには、一部の例外を除いて意思などない。
生きている者に対しての憎悪、それがアンデッドを突き動かす唯一の本能だ。人間、魔族……種族を分け隔てる事なく、ありとあらゆる命ある者を殺戮する。それが、アンデッドを始めとする闇の勢力の存在意義だ。
無数の血と死体が埋め尽くされた大通りを進んでいくと、僅かばかりの騎兵を従えた騎士が行く手を阻むように立ち尽くしていた。
緑を基調とした胸鎧、手には金色に輝く派手な装飾を施した飾剣を握っている。しかしその剣が見た目だけの玩具なのは見るに明らかだ。
「おや……また弱そうな人間が出てきましたねぇ」
ビフロンスは全身にある無数の眼を細くして、嘲笑う。
皆殺しにした城壁に配置されていた兵士や衛兵。彼らは虫ケラのように弱かった。勇者やその仲間、一部の兵士を除いて警戒する必要などまるでない。
どのみち、邪魔立てする者はこの帝国にいない事はわかっていたが、なんとも味気ないものだ――と、ビフロンスは退屈に感じる。
そこへ突然、緑色の騎士が大声を上げた。その声は少し震えている。
「異形の者よ! 私はこの帝国の皇子、サール=ファウルン=ラドノーアである! 直ちに侵攻をやめろ!」
サールは飾剣をビフロンスに向ける。彼の後ろには、三人の騎兵が盾と長剣を構えている。シーベンの部下であり、帝国兵士団の一員だ。
「意気込みは買いますが…………声が……いや、脚も震えてますよぉ、キシシ」
「……黙れ! 目的は何だ! さもなくば――」
「殺す……ですか? これは傑作ですねぇ!」
「……何が可笑しい!?」
サールは震える脚に力を込め、一歩前に出る。身体は恐怖に震えているが、胸に秘めた国を想う勇敢な意思は崩れる事はない。
不退転の決意――それを嘲笑う事など、到底許容できるはずがない。
「たかが人間風情がいくら格好つけたところで……向かう所は死、だけだというのに。キシシ…………おや? その腰につけている物はもしや……」
ビフロンスはサールの腰に携えてある物に気がつく。
純白の持ち手に、神聖なる力を宿した刀身。それを収める白金の鞘。それこそビフロンスが求め、わざわざこの地に赴いた理由、そのものだった。
聖剣エーテルナエ・ヴィテ――聖なる力を持つ勇者のみが扱える邪を滅ぼす剣だ。
「キシシ……その剣を渡せば、お前の命だけは助けてやってもいい。なんとも寛大で魅力的な提案でしょう?」
「……断る!! これは……歴代の勇者が悪を滅ぼす為に使う聖なる神器。それを貴様のような邪悪に向ける事はあっても、渡す事など決してない!!」
サールは聖剣の柄をぎゅっと握りしめ返答する。その声は力強く、もう震えていない。まるで、聖剣から勇気を与えられたかのように。
だが勇者でもないサールでは、この剣を携える事はできても扱う事はできない。使う事のできない剣など、ただ飾りにしかならない。
しかしサールにはもう、この剣を頼る事しかできなかった。
(ルクルースの部屋に無造作に置かれてあった聖剣《この剣》……なぜ彼が持ち歩いていないのか疑問だったが、しかし――)
サールは柄を握りしめ、聖剣を抜こうと試みる。
だが案の定、その刀身は姿を現すことはない。
「キシシ、無駄ですよ。勇者でもないお前に抜ける訳がない」
ビフロンスは嘲笑う。
聖剣――永遠の命。その刀身には歴代の勇者の魂が宿っている。魂の内包――そう呼ばれる特異な力だ。
歴代の勇者により積み重ねられた聖なる力。故にその所有者は、内包された魂に勇者として認められない限り、扱う事はできない。
(その剣に内包されているアレ。それこそが私の、いや私たちの――――)
ビフロンスは細長い尾を、ぐんっと一筋伸ばす。
その速度は矢の如く走り、血飛沫と共に飾剣を持つサールの左腕を容易く吹き飛ばした。
「キシシ……まずは左腕」
痛みに悶え、膝をつくサール。
戦闘などほとんど経験した事がない皇子には、想像だにしない痛みだ。しかし必死に痛みを堪え、立ち上がろうと奮起する。血が滲むほど歯を食いしばり、苦痛に顔を歪める。
そこへ追撃の黒い尾が再びサールに向かっていく。
だがその攻撃を受けたのは、後ろに控えていた三人の騎兵だった。
「命に代えてもサール皇子を守れ!!」
「うおぉぉ!!」
人盾となるようにサールの前に立ちはだかるが、一人、また一人……と、ビフロンスの黒い尾が騎兵たちの身体を射抜いていく。
サールの目の前で、無残にも風穴を開けられていく騎兵たちの身体。彼らから吹き出す鮮血が、後ろに膝をつくサールの顔面を赤く血塗らしていく。
そして――――騎兵たちは崩れ落ちた。
「あ……あぁ………………」
同じくして、サールの心も崩れ落ちた。
その直後、高速で伸びる黒い尾がサールの首を撥ねた。
頭部と左腕を失った遺体。その右手には固く聖剣が握りしめられている。ビフロンスはゆらりと近づくと、細長い尾で聖剣を絡め取った。
「キシシシ……あぁ、ついにこの時がぁ……! ですが、もうしばしお待ち下さい、我が王……。まずはこの地にいる人間を根絶やしに……!」
ビフロンスは大通りの奥に見える、真っ白の建物を見据えた。この帝国を統べる皇帝、フェイエンが居住するマグニフィカト宮殿だ。
帝国の繁栄を象徴する豪奢な宮殿に対して、ビフロンスは二本の尾を向ける。その先端に、黒く重々しい魔力が凝縮されていく。
「霊位魔法――黒贈」
ビフロンスの尾から放たれたのは、魔力が凝縮された黒い弾丸。しかしそれは、風船のようにゆっくりと宮殿へと向かっていく。
人間が歩くような速度であるため、回避は容易い。だが標的は建物だ。回避不可の黒き弾丸は、やがて宮殿の中央部に轟音と共に着弾した。
音を立てて崩れ落ちていく宮殿。
その光景を見て、ビフロンスは高笑いする。
背後には、未だに悲鳴を上げ続ける街。目の前には無残に死んだ皇子と、騎兵たち。その奥にそびえていた宮殿は、跡形もなく崩壊している。
――まさに混沌。
その中心にいるビフロンスは周囲で起こっている阿鼻叫喚に、ただただ快感を感じていた。
そこへ――――それは現れた。
大通りの中心。そこに突如として、紅い魔法陣が浮かび上がる。
光の粒子が迸ると、魔法陣が消失する。代わりに現れたのは、白金の鎧に、煌めく銀髪の男。漆黒の鞘を携え、腕を組んでいた。
その男は双眸に宿す蒼碧の瞳を左右へ動かし、周囲の状況を確認するように見渡す。
一通り辺りを窺うと、冷酷な瞳をビフロンスに向けた。
「えらくご機嫌だな、ビフロンス」
勇者の姿をしたその男――テネブリスは不敵な笑みを浮かべながら、そう告げた。




