第56話 解放
職業スキル――凄惨たる魔王。
テネブリスを中心とした半径十メートル以内に、テネブリス以外の魔力を持つ者、なおかつテネブリスが敵であると見定めた者が一名のみ存在する場合にのみ使用できる能力。
ひとたび発動すれば、テネブリスの内に眠っている膨大な魔力がとめどなく溢れ出し、顕現する。またその魔力の恩恵により、これまで受けていた傷や消費していた魔力が瞬時に回復するという副次的な効果もある。
それと共に、身体的な変容も起こる。
瞳は深い緋色を宿し、その眼で見つめられるだけで身動きできなくなりそうな程の戦慄が浴びせられる。
背中には左右四枚――計八枚の黒い翼が出現し、まさに悪魔王のような容姿。それこそが魔王であるテネブリスの真の姿だ。
そして――今この場にいるのは、何者か。
煌めく銀髪、白金の鎧。だがその瞳は紅く、背には黒き翼がゆらゆらと躍動している。勇者ルクルースと魔王テネブリスが共存しているような、畏怖と共に不思議な神々しさをも感じさせる。
そんな姿となったテネブリスは微笑し、左手を炎で覆われた天に向かって掲げる。
魔法――否、規格外の魔力の圧が放たれた。
炎の帳は瞬く間に霧散し、火の粉がひらりと舞い落ちる。圧倒的な魔力の前には、たとえベリアルの轟炎であっても抗う術はない。
「ふん……悪魔兵から魔力を得た甲斐があったな」
「なっ…………!?」
ベリアルは四つある瞳を震わせる。
目の前で起きている状況に理解が追いつかないからだ。そこにいるのは勇者の姿をした人間――だがその者から溢れ出る禍々しい圧倒的な魔力、そしてその佇まい。魔王である証とも言える黒き八枚の翼、飲み込まれるような真紅の瞳。
そこから導き出される答え、それは――――
(テネブリス……様…………なのか………………!?)
ベリアルは地面に膝をつき、ひどく動揺する。先ほどまでテネブリスに向けられていた敵意が揺らいでいる。
それを感じ取ったテネブリスは、微笑を保ったままゆっくりと歩き出す。一歩、また一歩……近づくたびにベリアルの表情は苦悶へと変わっていった。
「ベリアル……貴様が望まんとする王は、ここにいるぞ?」
「…………うっ、ぐぅうううぅ………………!!!」
「どうし――――!?」
テネブリスはベリアルの異変を察知する。
まるで見えない何かと抗っているような悶絶。普段のベリアルからは想像できない事態だった。
(操られているのか……? それとも…………ふん、手のかかる奴め)
苦しみ、悶えるベリアル。それをテネブリスは冷徹な瞳で見下している。
仮に操られているのならば、その魔法を解けばいいだけだ。しかし、種族スキル等の魔法でない場合は、操っている本人を対処しなければならない。
判断を誤れば、ベリアルを失う事態にもなりかねない。
「うっ……うぐぅぁぁ…………!!!!」
ベリアルの全身から全てを焼き払うような獄炎が噴出する。まるで自身をも焼こうかとする勢いだ。しかしそれは、あながち間違ってはいない。
ベリアルは己と戦っていた。
ビフロンスが使った種族スキル――伝染。とめどなく押し寄せてくる憎悪と敵意が、ベリアルを支配している。だがその一方で、テネブリスへの確固たる敬意も存在している。
敬意と敵意――相反する感情が脳内でひしめき合っていた。
そこへ現れた敬愛する魔王。畏怖べき存在を目の当たりにし、その感情は次第に片方へと傾いていく。
「この姿でこれは使えないやもしれぬが……貴様を解放するにはこれしかあるまい。種族スキル――――――!?」
テネブリスが魔力を開放しようと手を掲げようとした時、その姿が目に入った。
そしてテネブリスはふっ、と小さく声を漏らし、手を降ろす。
そこにあったのは、深く頭を下げ跪いたベリアルだった。
その姿にもはや敵意がない事は明らかだ。つまり――――
「大変申し訳ありませんでした………………テネブリス様」
「……貴様ともあろう者が、とんだ失態だな」
「返す言葉もありません。御方に対して何たる無礼を……」
「……もうよい。で、何があった?」
テネブリスの問いに、ベリアルは一拍置いて答える。
「ビフロンス……おそらく奴の仕業かと」
「ほう……たかが第七魔臣に貴様がやられたと?」
辛辣な一言にベリアルは耳が痛くなる。第一魔臣、それも次期魔王として名高いベリアルが七魔臣において序列最下位の者にしてやられるなど、ただの羞恥でしかない。
だが逆に言うと、ビフロンスという存在がそれだけ実力を隠していたとも言える。そしてそれを見抜けず、第七魔臣という地位を与えたテネブリスにも落ち度はある。
「いや……貴様だけを責めるのは理不尽か。奴の危険性を見抜けなかった私の失態でもある。許せ、ベリアルよ」
「そ、そんな!! 滅相もございません、テネブリス様!!」
ベリアルは真紅の髪を振り乱しながら慌てふためく。
ビフロンスの影響とはいえ、敬愛する主を傷つけたのはベリアルだ。本来であれば万死に値する愚行を、たった一言で赦した寛容な主に、ベリアルはとめどない罪悪感に苛まれた。
「で、奴は……ビフロンスはどこにいる?」
「アルビオン帝国へ向かうと……理由は不明ですが」
「……帝国、だと?」
テネブリスは目を瞑り、瞬時に思考を巡らせる。
――ベリアルを単騎でテネブリスと対峙させた事。
――魔族の軍勢がメンシスにいない事。
――ビフロンスが帝国へ向かう事。
しばらくの後、テネブリスはある結論に思い当たる。
理由も方法も不明。だが――
(ビフロンスは、勇者ルクルースがテネブリスである事を知っている……! つまり、奴が……)
テネブリスは目をゆっくりと開くと、蒼碧に戻っていた瞳をベリアルに向けた。
短く、そして力強く指示を出す。
「ベリアルよ、私をアルビオン帝国へ転移させろ」
「……! では、私も同行――」
「いらぬ」
「なっ!? 敵がいるとわかって御方を一人にさせる訳には――」
「私が一人では心許ない、そう言いたいのか?」
テネブリスの冷酷な視線に、ベリアルの全身に悪寒が走る。
たとえ見た目が勇者の姿であっても、醸し出す雰囲気、肌に突き刺さるような冷酷な視線、重くのしかかる圧、それらは魔王テネブリスそのものだ。
「……申し訳ありません。そのようなつもりでは……」
「ふん……貴様には魔境に向かってもらう。そこにベルフェゴールたちがいるはずだ。奴らと合流し、ビフロンスの件を伝えろ」
「はっ、承知いたしました」
「……それと、ひとつ伝えておく…………魔境に何人か人間がいると思うが、許可なく殺す事は許さん」
「……はっ」
ベリアルが了承の意を示すと、テネブリスは顎をしゃくって合図をする。
その合図を受け、ベリアルはすっと立ち上がり四つある金色の瞳に力を込めた。
魔族の軍勢の中で、ベリアルとハーゲンティのみが使える転移魔法。その発動の為だ。
「霊位魔法――転移」
テネブリスの上下に紅い魔法陣に出現する。その魔法陣がテネブリスを挟み込むように動くと、一瞬でその姿は消失した。テネブリスがいた周囲には、細かな煌めく粒子だけが残っている。
「どうかご無事で、テネブリス様……! 霊位魔法――転移」
残ったベリアルも、自身を魔法陣に包んでアルボス魔境に向けて転移する。
そして、メンシスには静寂が訪れた。
白き砂塵が舞う奥にそびえる古城。その窓のひとつから見える、ぐねぐねと蠢く影はこの城の主の帰りを、ただ静かに待っている。




